最終話 旅立ち
「蒼依、愛してる」
そんな言葉を口にした真生はこれまで見た中で一番素敵な笑顔を浮かべていた。
何か言わなくちゃ。そう思えば思うほど口の中は乾燥してパクパクと口だけが動き、漏れ出た空気が顔の回りに白い息になり舞う。
真生の優しい視線が俺を包み込む。
こんな俺をその優しい目で見てくれるのは、いつしか真生だけになっていた。
小学校四年に出来た新しい父さんは、前の父さんよりもずっと優しかった。大声で怒鳴ることもなければ、お金をくれと騒ぐこともない。一人の人として父親として尊敬できる人だ。
だけど父さんは男としては駄目だったらしい。
あるとき母さんは父さんの出張中に吸っていなかった煙草を吸いだし、俺の腕で火を消すようにグリグリと押し当て、こう言った。
『なんでアンタばっかなの⁉︎ アンタなんか居なくなんなさいよ‼︎』
あるときは、数えきれないほどついた火傷の跡に
『ごめんね蒼依。母さん寂しいの。智彦さんは蒼依ばかり構って私には全然構ってくれないの。だから蒼依に八つ当たりしちゃうの、こんなお母さんでごめんなさい』
この飴と鞭の使い分けが、母さんは物凄く上手かった。
これは一種の洗脳のようで、母親を思う子の気持ちを巧みに利用し、自分だけではなく貴方も悪い。との考え方をすり込ませる。
だから、つい最近まで母さんが八つ当たりするのは全て自分の
だから父さんにも誰にも火傷の痕を見せないよう必死に隠していた。
だけど父さんと真生は気づいた。真生にはなんとか誤魔化すことが出来たが、父さんはそうにもいかなかった。なんせ火傷が見つかったときにはもう、右腕も左腕も火傷だらけで、なんと言い訳しても言い訳にならなかったからだ。
父さんは俺を連れて離婚すると言ったが母さんは承諾せず『もうしない、もうしないから。蒼依を取り上げないで』と何度も頭を下げていた。
そんな母さんを見た父さんも情けをかけ、家にペットカメラを設置することと、もう二度と俺に手をあげないと誓約書を書かせて終わった。
だが母さんはもう狂ってしまっていて、父さんになんで怒られたのか訳がわからなくて全て俺のせいにし、カメラがない場所に呼び出して、今まで以上に殴ったり蹴ったり火を押し付けられたりした。
多分、父さんは気づいていないだろう。もしくは気づかないフリをしているのか。
そんな状況の中で唯一、これらのことを知っていても知らないフリをして、今までと同じように接してくれたのが真生だった。
火傷をつけられた日は腕が痛くてたまらなかった。治りかけの傷も痒くてかきむしりたくなる。そう言うとき真生は決まって、家から持ってきた塗り薬を『痛い痛いの飛んでけ』と言いながら丁寧に塗ってくれる。
俺は死にたいのか?
死にたいと言ったのは本心だ。ずっと前から思ってた。だけど死ぬのはやっぱり怖くてずっと思うだけだった。今日、死にたいと口にしたのは全くの想定外だったが、そう口にして真生が『いい所あるよ』と手を取ってくれたとき、もしかしたら一緒に死んでくれるのでは? と期待した。
真生に避けられ無視されて、だけど心の何処かではずっと真生と仲直りしたいと願っていて………
ようやく叶った。
お互いの想いを全てを話したおかげで、幸せだった頃に戻った俺は、地獄のような家に戻るのは抵抗があった。
どんな地獄もやっぱり一人は
もう家には帰れない、帰りたくない。
真生の温かい手を握り返し、心の奥底にしまい込んでいた真生へと想いを口にする。
「俺も愛してる」
真生は握っていた俺の両手から、左手の薬指を咥え噛んだ。差し出された真生の左手を同じように薬指を咥え噛んだ。
月夜の淡い光に照らされた俺たちの左手の薬指からは微かに血が出ていた。
「これなら何処へ
「うん」
誰にも邪魔されない二人の時間が欲しい。
微かに震えている繋いだ手を固く握りなおし堤防の下、真っ暗なダムの水を見る。
何処までも真っ暗で恐ろしいダムの底。真生の温かい体温だけが心の拠り所、真生を見ると俺が大好きな笑みを浮かべていた。
「大丈夫だよ。僕たちは此処で繋がってるから」
そう言って繋いでいる左手に目をやった。
「今までありがとう真生」
「こちらこそありがとう蒼依」
最期に愛してるって言ってくれて、ありがとう真生。
遠くから聞こえていたエンジンの音が徐々に近づいて止まった。
溢れ出しそうな涙が落ちないようにギュッと目を瞑り天国か地獄か、行く末のわからない未知の地へと進む扉に手をかけた。
死を共に いゆう @061
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