【5月】老犬と海 第3話

(潮騒)


(カモメの鳴き声)


(低く響くエンジン音)


「今日は誘ってくれてありがとう……」


 タマキは海風に飛ばされそうになる帽子を押さえながらあなたに言った。


 タマキの服装は白のノースリーブシャツに膝丈のスカート。大きな白い帽子がよく似合っている。首には相変わらずの首輪。


「だけど、びっくりしちゃったな。なんか、お船に乗ることになってるし……」


 タマキは笑顔を浮かべているが、疲労を隠せていない。タマキに憑いた犬の飼い主探しは難航していた。副会長が主だって、ここ最近で亡くなった犬、迷い犬を調べてくれているが、手がかりが首輪だけではその特定は難しく、結局、虱潰しのようにして飼い主を探すのが関の山であった。


「いや、全然嫌じゃないよ。あなたなりに私とこの子のことを考えてくれたんだよね……」


 タマキの尻尾は海に出てから期待に大きく振られている。体調は幾分ましなようだ。


「あ、島、見えてきたよ」


(船の汽笛の音)


 船はゆっくりと速度を落とし、港に近づいていた。



(潮騒)


(荒波が桟橋にぶつかってガッポンと音を立てる)


(カモメの鳴き声)


 港はさびれていて、降りる客は少ない。あなたとタマキは数人の住人とともに港に降り立った。


「あれ? この島?」


 タマキが鼻をスンと鳴らし、イヌ耳があたりを確認する。


「懐かしい、匂いが、する?」


 タマキがふらふらと歩き始める。あなたはその手を取ると、スマホの位置情報アプリを頼りに歩き始めた。


「え? こっち?」


 防風林越しに波の寄せては返す音を聞きながら、あなたはタマキの手を引きながら海岸沿いの道を歩く。タマキのサンダルの足音が半歩後ろをついてくる。リードよりもタマキとの距離を近く感じる。


「え……ここ……知ってる……この子、知ってるって……!」


 タマキの嬉しそうな声が聞こえる。


「もしかして、ここ、この子が住んでた、島……?」


 あなたは首肯する。


「でも、副会長さんも見つけられなかったのに……」


 あなたは副会長にメッセージしたのと同じ内容をタマキに説明した。タマキにはサプライズにしていたが、今日のことはあなたと副会長の間では共有済みだ。まあ、彼女の姿をあなたはまだ見たことはないのだが。


「この子、亡くなった子でも、迷い犬でもないって……?」


 あなたは説明を中断して、道を急ぐ。そろそろ約束の時間だ。見てもらった方が早い。


 海沿いの道から集落へ入る。風よけの塀で迷路のようになった道を通り、あなたは一件の家の前に立った。赤い屋根の平屋づくり。庭には色とりどりの花が咲いている。


「ここ……この子の……家……?」


 タマキの首から、首輪が自然と外れて、手の中に落ちた。


 強い潮風が吹く。白いつば広帽ブリムハットを貫通していた三角のイヌ耳も、お尻に生えていた尻尾も光の粒子となって、その家の軒先へと運ばれていく。


「待って……!?」


 光の粒を追う。


 家の縁側では家の住人であろうおじいさんが居眠りをしていた。


 その隣には、もう何年も使っていないであろう犬小屋がある。


 光の粒子はおじいさんの周りを何度か回ると、その横が本来の居場所であるかのように集まると、ふわりと空気に溶けた。


「帰ってきたんだね……帰りたかったところに……」


 眠っているおじいさんの顔が少し笑顔になった気がした。



 改めて家を訪ねると、おばあさんが顔を出した。あなたが名乗ると、上がるように促される。


「じゃあ、この首輪は、この家で飼われていた……獅子丸ちゃんの……」


 遠くからはるばるありがとうね。と、おばあさんはあなたに言った。


「……あなたが見つけてくれたのね……」


 でも、どうやって……と、あなたに耳打ちするタマキ。そう、タマキの信頼する副会長の頑張りをもってしても、の中に首輪の主、獅子丸は見つけれらなかった。タマキはそれがどうも納得がいっていないらしい。あなたはとりあえずおばあさんについていくようタマキを促した。


『おばあちゃん! その人たち、だーれ?』


 居間には、先客がいた。いや、いたと言っていいのだろうか。テレビ越しに小学校低学年ぐらいの女の子がこちらを興味津々にのぞき込んでくる。テレビ通話だ。おばあさんが、孫娘ですと紹介してくれる。


 おばあさんが少女にあなたたちを紹介する。獅子丸の首輪を見つけてくれた人たちと聞いて、女の子は『わかったー!』と元気よく言って、画面奥へと走っていった。テレビ越しに向こうの部屋の中身が見渡せるようになる。


「え? 獅子……丸……ちゃん?」


 タマキが目をぱちくりさせた。向こうの画面には、先ほどまでタマキに生えていたイヌ耳、巻き尻尾を持つ大型犬が少女に抱えられてずりずりとテレビの前に連れてこられるところだった。首輪こそ違うが、タマキに憑いていた獅子丸に相違ない。


 おばあさんが事情を説明する。


「それじゃあ……この島でお世話するのが難しくなって、お孫さんのところに預けた……と……」


 ほうじ茶をすすりながらタマキがほぅと息を吐いた。ちゃぶ台の上にはおばあさんが剝いてくれたビワも並ぶ。


 あなたが調べたのはここ最近亡くなった犬でもなく、行方不明の犬でもなく、だった。汽笛を聞いて海に駆け出した行動から、ヤマをかけたのである。船舶での犬の移動はある程度制限される。毎日港へ行っての聞き込みは大変であったが、無事、首輪の主を見つけることができた。


 テレビ画面の中では女の子が獅子丸の顔をむにむにと揉んでいた。獅子丸は少しいやそうな顔でワフンと鳴いたが、耳の様子からリラックスしている様がうかがえる。


「獅子丸ちゃん、元気でよかった……」


 タマキがあなたにもたれかかりながら言った。少しまぶたが落ちてきている。


 奥の間からガタゴトと音がして、おばあさんが迎えに行く。ほどなくして、杖を突いたおじいさんが居間に入ってきた。


 『獅子丸が帰ってきたで、飯にしたれ』と、おばあさんをせっつくおじいさんに、『獅子丸はあーちゃんのところに預けたでしょう』とおばあさんはまだつながっているテレビ電話を指す。


 『あ、おじいちゃんだー』『わふ』『げんきしとったかー』


 祖父と愛犬と孫娘の会話が始まる。


 『孫に預けたのに、あの人、まだ、時々、獅子丸の散歩に行こうとするのよ』


 おばあさんは可笑しそうに言った。


 『あら?』おばあさんはあなたたちを見て眼を細める。


 「すー……すー……」


 緊張の糸が切れたのか、タマキはあなたの肩に頭を預けて眠りこくっていた。



(ゆっくりとした潮騒)


(ウミネコの鳴き声)


(ビワの実がいっぱいに入ったビニール袋が立てるカシャカシャとした音)


「……結局、あれは、獅子丸ちゃんの未練……だったのかな……」


 あなたに背負われたタマキが呆けたように言う。


 タマキが熟睡してしまったため、帰りの連絡船の時間ギリギリまでお世話になってしまった。お土産にいただいたビワの実が重い。


「でも、よかった……。あなたが見つけてくれて……」


 タマキはまだ寝ぼけているのか、背中にぎゅっと抱きついてくる。背中に伝わるブラウス越しの感触が温かい。


「生きていてくれて……」


 あなたは不意に首筋に水滴を感じ、空を見上げる。青から橙に染まりつつある空には雲一つない。


「ヨシヨシ」


 タマキが指を立ててあなたの頭を撫でる。不安定な体制で寝ぼけながら撫でてくるタマキの指先の感触は頼りない。


「あなたなら、見つけられるのかな……」


 タマキは小さくつぶやいた。


「本当の私を……」


 あなたは背中のタマキに問いかけるも返事はない。完全に眠ってしまったようだった。


 あなたはタマキを背負いなおすと、あなたたちの町へと戻る連絡船に乗り込んだ。


(船の汽笛)


(エンジン音)



◆◆◆


終幕 【5月】『老犬と海』


次回 【6月】 ???

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ギリモフセラピー【ASMR】 ~可憐な生徒会長はヒミツのXXX~ 黒猫夜 @kuronekonight

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画