全部含めてこの世界の姿
……写真だ。おそらく深夜の大学の最寄りの駅前で撮られたもの。
写真中央に、顔を赤くした上井。その周りの男たちも顔を赤くし、大声で何やら歌ってる様子だ。皆髪を染めたり、派手なアクセサリーを付けている。おそらく上井と同じサークルの連中だろう。
その周りに、上井たち以上に顔を赤くした男女数人が倒れている。服は乱れ、靴は脱げ、中には吐いている者もいる。
正直言って、地獄絵図だ。
「この写真の元データが、ここにある」
怪人はスマホをポケットから取り出してみせる。
「それだけじゃない、音声データも入っている。少しここで再生してやろうか」
怪人はポケットから音楽プレーヤーを取り出し、ステージの隅にあるスピーカーにつなぐ。途端に、大騒ぎする声が大音響で流れ始めた。
『飲ーめ飲ーめ飲め飲ーめ飲ーめ飲め、飲み足りないから持ってんの! はいイッキイッキイッキ……』
『自分、全然お酒だめなんですけど……』
『一杯ぐらい平気! 飲めないと大学生じゃないよ?』
『サークル入りたいんだろ、飲めよ!』
『あ、ゴロゴロゴロ(吐いた音)』
……俺の中で怒りがこみあげてくる。
飲みたい奴が飲むのは自由だ、それで何かあってもその人の問題でしかない。でも、拒絶する人に無理やり飲ませるのは、どう考えても駄目である。
俺は、反射的に彩音ちゃんの耳をふさいでいた。
こんなところにいたら、彩音ちゃんが誤解してしまう。彩音ちゃんはさっきからずっと震えている。怖いのだ。
「このスマホがあれば、お前は絶対に刑務所行きだ、それだけじゃない、お前のサークルの奴ら全員まとめて刑務所だ、そうすれば大学がどれだけ平和になることか!」
「や、やめろ……」
「お、そんなこと言うということは、自分が悪いことしてる自覚があるのか? 今すぐこれを警察に渡してもいいんだ」
「するな……」
「するに決まってるだろ! ……実はこのショーが始まる前に、駅前の交番の駐在をここに呼んでおいた、ここからも見えるだろう? そいつが証人になってくれるさ、ついでに言うと、このやり取りも録音しているからな」
本当だ……ステージの横に、警官の恰好をした五十代ぐらいの男が一人いて、様子をうかがっている。
「お前が変なことをしようものなら、この女を刺し殺してもいいし、このスマホをあの駐在に渡してもいい」
……なら、駐在にスマホをとっとと渡してほしい。怪人の言うことには同情するが、彩音ちゃんを一刻も早くここから遠ざけたい。
そのとき。
「今すぐ投降しなさい! 繰り返す! 今すぐ投降しなさい!」
その声とともに、観客席の後方、駅のある方向から、何人もの警官が走り出てきた。拳銃を持っている者も数人いる。
「ちっ……おい駐在! お前が呼んだのか!」
怪人はステージ横の駐在をにらみつける。
「たくっ……まあいい、公開処刑はもう十分だろう……おい、受け取れ!」
怪人は、右手に持ったスマホを、駐在に向かって放り投げた。
駐在が二、三歩前に出る。白いスマホが放物線を描く。
「あっ、待て!」
怪人の注意が一瞬消えたタイミングで、上井が起き上がって、スマホに向かって踏み出した。
「お前は動くな!」
怪人の左手が女の首を離れ、上井ヘ向かって包丁が襲い掛かる。
しかし、上井は右手で怪人の左腕を握りしめ、それを受け止める。
「確保!」
警官が、観客席の間から一斉にステージヘ向かう。
上井と怪人が力比べになったところで、スマホを受け取った駐在と、怪人に捕まっていた女が、同時に怪人の背中から飛びついた。
「う、うわっ!」
最前列にいた他の女も飛び出し、ステージ上はもみくちゃ。騒然となったが、しばらくして……
「きゃあーっ!」
女の甲高い悲鳴が響く。
ステージ上の人混みの中央には、上井が仮面戦隊の恰好のまま、ヘそのあたりを包丁で刺され、血だらけになって倒れていた。
こうなると広場はパニック状態である。
震えて固まってしまった人、顔を伏せて泣き出す子供。
「みなさん、落ち着いて!」
警官の指示も全く意味を成していない。
……と、俺ははっと我に返った。
警察がここで捜査を始めたら、彩音ちゃんのことがばれる!
「彩音ちゃん、ここは危険だ、逃げよう!」
俺は彩音ちゃんの右手を引っ張り、アウトレットパークの反対側ヘ向かって駆け出す。
「その場で動かないでください! 落ち着いて!」
警官が大声で静止するのも聞かず、俺らは建物内ヘと逃げて行った。
アウトレットパークの裏口から外ヘ飛び出し、大通りを曲がって駅の反対側までぐるりと回りこむ。繁華街の中のファーストフード店で一息つけたのは、午後三時近くになってからだった。
「……彩音ちゃん」
「……」
「……その、とんでもないことになってしまって、申し訳ない」
「……お兄さんのせいじゃないですよ」
「いや、これは俺の責任だよ。せっかく彩音ちゃんに新しい世界を見せようと意気込んだのに……」
「新しい世界なら、もうたくさん見ました」
「……そうだけど、俺が見せたかったのは……」
「……私、別に新しい世界が楽しいことばっかりとは、全然思ってませんよ」
……?
「あの怪人が何を言ってたのか、私にはよくわからなかったですが、あの怪人がとっても苦しんでいたことは、わかります。怪人のやったことがやってはいけないことだというのも、わかります。こういうこともあるけど、それを含めて、全部私の知らない世界です。今日のことがあったからって、私、もうこの生活いやだとか、全然考えません」
「……彩音ちゃん、強いねえ」
「え……?」
「そういう言葉がまず出てくるって、すごいことだと思うよ。普通だったら、怖い、もういやとしか言えなくなっても不思議じゃない」
「……私も、とても怖かったですけど」
「……それは、怖くて当たり前だよ。でも、彩音ちゃんはそこで逃げないんだから、強い子だ」
これは……度胸なのだろうか。中学二年生にして、数々の海外のコンクールで優勝してきた、その生活で培われたものなのだろうか。
「……とにかく、私はもう大丈夫です」
それでも、今日は相当疲れたので、予定を切り上げて、帰宅したのは五時だった。彩音ちゃんを家に帰した後、俺は夕飯を買いにコンビニに行く。
「いらっしゃいませ」
レジの中の店員があいさつしてくる。
「……どうしました?」
「……いえ」
店員が茶髪だったので、ついにらみつけていたのかもしれない。
彩音ちゃんは、夕飯を食べシャワーを浴びると、こてんとなってそのまま眠ってしまった。俺も、今日はこれ以上執筆作業する気が起きなかった。
四日目にして、こんなことがあるなんて……この先、大丈夫なのか……
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俺とピアノ少女の夏 しぎ @sayoino
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