正論だからって人に見せていいとは限らない
「あっ!」
俺は思わず声が漏れていた。
さっきの一団の男の顔が現れたのだ。
見間違えではない。フードコートで見たものと全く同じ顔。
……ということは。
あのうるさい女たちは、この男の演技目当てに見に来ていたのだろう。
そしてあの怪人は、ショーにかこつけて、この男に何かしようとしている。
女を連れてくるあたりから他の演者の様子が変だったのは、台本に無かったからだ。
「どうなっているんです?」
彩音ちゃんも異変に気付いたのか、小声でつぶやく。
「おい、緑……いや、
「……何だ」
「まずは、俺に向かって土下座しろ」
「土下座?」
「良いから早く!」
怪人の剣幕に押され、上井……それがあの男の名らしい……はステージ上に両膝をつく。
次いで両手をつき、怪人に向かって深々と頭を下げる。
「ああそうだそうだ……」
怪人は上井に近寄り、右足で上井の頭を踏みつける。何度も何度も。
まるでボールが跳ねるかのように、上井の頭が上下に往復する。
「痛いか? 痛いだろうな……」
怪人はしばらく上井を踏み続けると、右足で頭を押さえつける。
「よし、俺に向かって謝罪をしろ。『私、上井は今年四月、サークルの新入生女子を新歓コンパと称して居酒屋でつぶれさせ、そのあと自分の家に帰ってさらに酒を飲ませ続け、挙句の果てに一人で自宅まで帰らせることで、急性アルコール中毒を発症させ彼女を殺しました。刑務所で死ぬまでお詫び申し上げます』と言うんだ。きっちり三回!」
「何だ、それは……」
「とぼけてんじゃねえよ。お前が殺したのは、俺の妹だ」
「妹……」
「そうだ。俺の大事な大事な妹だ。俺と同じ大学に行きたいと言って猛勉強し、念願かなって合格し、大学生活を楽しみにしていたんだ。それをお前が、その場のノリとかいうしょうもないもので、全部台無しにしたんだよ!」
「待て、殺したってどういう……」
「黙れ! お前にはわからないだろう、妹が帰ってこないから探しに行こうと玄関を開けたら、顔を赤くした妹が倒れていたショックを!」
「……」
「妹がメールをよこしてきてたから、お前のサークルで飲んで、そのあとお前の家ヘ行ったということはすぐにわかったよ! 少し調べれば、お前のサークルの悪名高さはすぐわかった! お前らは殺人鬼だ、自分らさえ楽しければそれでよくて、他人のことなんて気にしない糞野郎だ!」
「……」
「大学のラウンジでも授業中でも食堂でも四六時中騒いでばかり! お前らが板書を撮るシャッター音がどれだけうるさいのかわかってんのか! 駅前でお前らが騒いでるのがどれだけ他人の迷惑になってると思ってるんだ! お前らの吐いたものを掃除する人たちのことを考えたことあるか!お前らみたいな糞がいるから『あそこの大学は』なんて言われてるんだよ!」
「……」
「コールって何だよ! 酒を飲みすぎたら死ぬことも知らんのか! 自分が楽しければ他人が死んでもいいのかよ! そんなのここにいる小学生だってわかってるぞ! お前らはそれ以下だ! お前らは人間じゃねえ! 猿だ! 一生ブタ箱に入ってろ! 二度と出てくんな!」
……この怪人の言ってること、ど正論である。相変わらず女に包丁を突き付けながらのセリフであるが。
「うるせえ……」
「おっ、何だよ、今なんて言った?」
「そんなの俺の勝手だろ、根暗の分際で何言ってるん」
上井がそれを言い終わる前に、怪人の右足が上井の頭をクリーンヒットする。大の字に転がった上井の腹に、怪人の右足が降ろされる。
「ぐはっ」
「根暗が正論言っちゃだめなのか! やっぱりお前は糞だな!」
「やめなさいよ! 何をする気!」
刃を向けられていた女が叫ぶ。
「見ての通りだよ! こいつに妹の分の復讐をしてやってるんだ! いや、妹だけじゃねえ、こいつに酒を飲まされて苦しんだ奴の、こいつに振り回された女全員の分だ!」
怪人は観客席最前列の女たちに声を向ける。
「どうせお前らも、飽きたら上井に捨てられるんだよ! こいつは四六時中女をとっかえひっかえして、いいように操ってる糞だ! 全ての男の、全ての女の敵だ!」
「そんなわけ……」
「そうなんだよ! こいつは糞なんだ! 糞だ糞だ糞だ……」
そう言って、怪人は上井を足蹴にし続ける。だんだん、ただの罵声になっていく。
ふと横を見ると、彩音ちゃんが顔をうつむけ、ぎゅっと俺の右手を握っている。
こんな闇を見せるような状況、彩音ちゃんに見せたくない。
今すぐにでも彩音ちゃんを連れて逃げ出したいところだが、下手に動くとあの怪人がどうするかわからない。
あの怪人の言うことは非常によくわかるが、だからって上井を足蹴にしたり、あの女をあわよくば殺そうとすることが良いわけではもちろんない。
「……お前……俺にこんなことして、何が楽しい」
「楽しい? そんなわけないだろ」
「じゃあ……何がしたい、俺を殺したいか……」
上井が途切れ途切れに声を上げる。
「もちろんお前は殺したいほど憎んでる、だがお前を殺してしまうよりも、お前を刑務所に入れる方が、お前はもっと苦しむ」
「……」
「お前を警察に出すための証拠はもうここにある」
怪人は包丁を左手に持ち替え、空いた右手をポケットに突っ込む。怪人がその右手を一振りすると、大量の何かが宙に舞った。
俺のところにも一枚飛んでくる。
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