時計

白鷺(楓賢)

本編

男は、部屋の片隅でただ一つの行動を繰り返していた。逆さまになった時計を元に戻し、再び逆さまにする。その手は、時折微かに震えながらも、一定のリズムで動き続けた。誰かが男に声をかけても、彼は返事をしなかった。まるでその行為だけが男の全てであり、それ以外のことには何の興味も示さないかのようだった。


日が昇り、そして沈んでも、男の行動は変わらない。時計を元に戻し、逆さまにする。まるで何かに取り憑かれたかのように、その単調な動きを続ける男。その目は、時計だけを見つめているが、焦点が定まっていないようにも見えた。


「何をしているのだろうか?」と、人々は男を見つめながら不思議に思った。だが、誰もその答えを知る者はいなかった。


時が過ぎ、数年が経ち、数十年が経っても、男は変わらなかった。周りの景色が変わり、季節が移り変わる中で、男だけが変わらない存在だった。


60年が過ぎたある日、ふとした瞬間に、人々は気づいた。男が人間ではなく、人形だったことに。その手は長い年月を経て、少しずつ摩耗し、皮膚の下から機械の歯車が露わになっていた。


男の動きは、ただ時計の機構と同じようにプログラムされていた。逆さまにし、元に戻す。それは、人々の想像を超える長い年月の中で、少しも狂うことなく続けられていた。


人形が何のためにこの動作を繰り返していたのか、それを知る者はいなかった。ただ、彼の動きが止まることなく続いていた事実だけが残り、彼を見つめていた人々は、静かにその存在の意味を問い続けた。

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時計 白鷺(楓賢) @bosanezaki92

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