隠しごと
「いい天気で良かったね!ね、お姉ち…悠」
「あ、うん…そうだね」
悠の退院から1ヶ月経った今日、一年に一度の強化合宿が行われる。
珍しくはしゃぐ翠とは対照的に、こちらも珍しく、萎れている悠の姿があった。
気になった浅葱が声を掛ける。
「こういうの1番楽しみにしてそうなお前がどうしたんだ。まさか、演習にびびってるんじゃあるまいな」
「違いますよ!それはどんとこいです」
一応悠にもプライドがあるため、それはきちんと否定した。
すると浅葱が意地悪そうに笑った。
「それは良かった。指導員は俺だから安心しろ。思い切りしごいてやる」
退院後に、あの時の行動についてみっちり叱られた悠にとっては、それはあまり嬉しくない情報だ。
しかし、
「や、やれるもんならやってみろ!」
負けず嫌いもここまでくると悩みものである。
訓練場がある白藍村というところまではバスで移動する。
座席は、前に葦葉、後ろに悠と翠という順となった。浅葱は最前列で他の上役と話し合いをしている。
「翠ー。ポッキー持ってきたけど食べる?」
悠が手持ちのリュックから某菓子を取り出しながら言うと、すかさず浅葱が振り向いて、
「アホか!これは修学旅行じゃないんだぞ!菓子なんか食べるな」
と離れた席にいる悠に向かって怒鳴った。
その様子を見ていた周りの人達から、くすくすという笑い声が聞こえる。
悠は恥ずかしさで真っ赤になって、そんな怒鳴ることないでしょうよ、と独りごつ。
それから浅葱に向かって、
「誰かさんがいっつも怖い顔で怒るから、お菓子なんか食べとかないと心が休まらないんですー!」
と言い返すと、またもや周りから笑いが漏れる。
もはや見せ物状態だ。
その上、葦葉が
「うわぁ、山吹かわいそー。俺もポッキーもーらいっと」
と悠に加勢したので、遂には浅葱が拗ねて
「勝手にしろ」
と言い捨てて、背を向けてしまった。
流石に言いすぎたかな、と悠は反省したが、葦葉が
「大丈夫、大丈夫。あのくらいじゃ浅葱には響かねーよ」
と言ったので、とりあえずは放っておくことにした。
お菓子を食べて数分後、眠気が襲ってきたので、素直に従うと、次に悠が目を覚ました時には既にバスは訓練場に到着していた。
現地に着くと、まず初めにチーム分けが行われた。分け方は戦闘チーム、作業チーム、救護チームなどがあり、緊急時に銃を使ったり、体を張って闘う悠や浅葱は戦闘チームに、爆弾を仕掛けたり、敵の誘導などを行う葦葉は作業チームに配属された。未成年である翠は、自動的に救護チームへまわされた。こちらは、医療資格を必要としない応急処置の仕方などを学ぶためのところである。
戦闘チームの悠は、浅葱をリーダーに、トレーニングから始めて、最終的には実践に向けてのリハーサルを行ったりとなかなかなハードなスケジュールをこなす予定となっている。
「うぐぐぐぐ……おえっ」
まず始めはダンベルカールという種目だ。
両手に25キロのダンベルを抱えた悠はもはや腕がもげそうになっている。
すると、
「どうした。入院中にサボった代償が今頃のしかかってきたか」
と頭上から声が降ってき、死に物狂いで顔を上げると、そこには30キロのダンベルを悠々と持った浅葱の姿があった。
「しっかり足踏ん張って落とすなよ。ダンベルを妹だと思え
「翠は50キロもないわっ!」
「なんだ、体重まで把握しているのか。このシスコンめ」
「ちゃうわ!目視でわかるだろ、目視で!」
隣にいたチームメイトが吹き出した。
コントやってるんじゃないんだけどなぁ、と少しむくれる。
だけどまぁ、これでさっきのお菓子の件はチャラでしょ、などと考えていると、
「はい、そこまで!用具片付けて3分で演習の準備しろ。無駄話はするなよ」
いつのまにか浅葱は壇上に戻り、号令をかけていた。
やっと、自分の番が来た。
悠は腕を鳴らしたが、肩が痛んだので途中でやめた。
「どうだ、降参か!まだ闘えるやつは自分が相手してやる!」
目の前には、大量の横たわったチームメイトの姿。
チーム内で二つに分かれて行われた模擬戦闘は、結果的にほぼ悠1人が敵部隊全員をやっつけることとなった。
その勇敢すぎる背中に、味方でさえも引いている。
悠は得意げに浅葱を振り返った。
「どーですか。こうみえて銃の腕はいいんです。まぁ、半数くらいはぶん殴って気絶させたけど」
「そうみたいだな。じゃあ、今度は俺と一対一でやるか?」
「いいですね。負ける気しませんよ。…とりゃぁぁ!」
そう言って全速力で浅葱に体当たりしにいく。しかし、浅葱の方は真面目に取り合おうともせず、余裕の表情で躱された。思わず勢い余って転びそうになるが直後で浅葱に抱き止められ安心したのも束の間、次の瞬間には既に10メートルは吹き飛ばされていた。
「えぇぇぇ─────!?」
「調子に乗んなよクソ餓鬼!俺に勝とうなんぞ10万年早いわ!」
悠の体当たりにかすりさえしなかった上に、こんな勝ち誇ったような台詞を吐かれて、忌々しく浅葱を睨むが、まだ完全に治りきってない肩をぶつけないように考慮して投げてくれたことが余計に悔しかった。
「翠〜!疲れたよぉ〜」
訓練が終わり、用意されていた宿の部屋へ戻ったところで、寝転がって何らかの資料を読んでいる翠と合流した。
「おかえりー…って、何その痣。バク宙失敗でもした?」
「ま、まぁそんなとこ」
まさか、主任に投げ飛ばされときにできたものだなんて言えるはずもなく、悠は適当に誤魔化した。
あ、そういえば、
「ねぇ、翠どうしよう!?あと10分でお風呂の時間なんだけど」
この宿にはご丁寧にも男女別の温泉がついており、普段は男として生活を送っている悠も、ここでは女性風呂に入らなければならなくなる。
履歴書の性別の欄で「男」に丸をつけた悠にとって、これは大問題である。
「知ってるよ。でも、自業自得じゃん」
こいつはたまに目を疑うほど冷酷な性格をしている。
「そうなんだけどさぁ。…あ、いいこと思いついた。よく考えたら部屋のお風呂使えばいいんじゃん。ちょっと主任に許可とってくる!」
「え、それは…」
翠が何かを言い終える前に、悠は部屋を飛び出した。
「だめだ」
「え、なんで!?」
一応スケジュール表には全員一律に温泉に入るようにと注意書きで書かれてはいたが、強制する理由がないので、許可を取ったら部屋のお風呂を使えるだろうと考えていたが、どうやらそれは甘かったらしい。
「女子社員の中に、諸事情で温泉に浸かりたくないという人がそこそこいるらしく、その奴らに優先的に部屋の風呂を使わせているからだ。大勢が同時にお湯使ったら水道が止まるだろう」
「そんなぁ…」
「なんだ、そんなに行きたくない理由があるのか。場合によっては考えてやるから言ってみろ」
珍しく優しいので思わず口が滑りそうになったが、寸でのところで踏みとどまる。
「…いや、やっぱり何でもないです」
「?そうか」
これ以上どうしようもないと諦め、失礼します、と挨拶を残して自分の部屋へ戻った。
「どうだった?」
既に入浴時間が始まっているのにも関わらず、翠は悠の分のパジャマを用意して待っていてくれていた。
申し訳ないなと思いつつ、両手を合わせて拝むポーズをとる。
「部屋のお風呂は女子優先だから駄目だって。悪いんだけど、先に入っててくれる?」
「了解。お姉ちゃんはいつ入るの?」
「15分後くらいかなぁ。みんな早く上がってくれると助かるけど」
「分かった。じゃあ、お先にー」
そう言って温泉に向かう翠の背中を見送って、悠は床に寝そべる。
…いっそ本当のこと言えたら楽なんだけどなぁ
思わず弱音が頭を巡る。
ため息を吐いて、15分の暇を潰すためにスマホの電源を入れた。
ふと時計を見ると、翠が部屋を去ってから17分が経過していた。
そろそろ頃合いだと思い、パジャマと諸々を抱えて悠も部屋を出た。
タオルを頭から被ってそっぽ向いておけば何とかなるかな、などと考えながら歩いていると、いつのまにか入り口の前に到着していた。
「女湯」と書かれた湯暖簾をめくろうとしたその時、
「おい、そっち女湯だぞ」
ここにはいないはずの人の声が聞こえて2センチほど飛び上がる。
恐る恐る振り向くと、そこには悠と同じようにパジャマを持った浅葱がいた。
「な、なんで…。お風呂入ったんじゃ…」
「少し仕事が残ってて、作業していたらこの時間になってた。それよりお前、葦葉の言う通りやっぱりそういう趣味が…」
「ない!それはないです!神に誓って」
「ならどうしてそっちに行こうとしていた」
そう言って浅葱は首を傾げる。
そりゃそう思うよね。
何と返そうかと考えていたが、すぐには思いつかない。
…あぁ、これ限界だ。
きっといつかはバレてしまうだろうと悠も思ってはいたが、まだしばらくは大丈夫だと軽く見ていた。しかし、ここにきてその考えは見事に崩れ去った。
諦めて悠は、女湯の暖簾を指差して、
「こう見えて実はこっちであってるんです」
と苦笑いしてみる。
なけなしのプライドが、最後まで自分の口で事実を述べることを拒否している。「女」という語句を吐き出すことに身体が抵抗をおぼえた。
しかし、浅葱はどうやらまだ分かっていないようで、
「どういうことだ?」
などと言っている。
なんでこの人こんなに鈍感なの!?と悠は焦ったくなり、最終的には折れて、
「だから、自分は実は男じゃなくて女なんですー!」
と自爆した。
そこまで言われてようやく理解した浅葱の表情はみるみるうちに翳りを含んできた。
そういえば、悠の携帯している銃は男性専用のもの(重量などの観点から女性には扱いにくいため)であったり、男女別の訓練の際も男子チームに混じってメニューをこなしていたりなど、前科が様々ある。
これはやばい、と本能的に思い、浅葱が何かを言う前に頭を下げた。
「本当にすいませんでしたっ!」
「お前風呂上がったら俺の部屋に直行しろ」
聞いたこともない低い声を受けて、悠は恐る恐る顔を上げる。
目が合った浅葱の顔はほとんど般若だった。
これ以上一緒にいると本気で生命の危機に迫る可能性がある。
悠はもう一度頭を下げてそそくさと女湯へ逃げていった。
残された浅葱はしばらく立ち尽くしたのち、
「まじか…」
と呟いた。
般若の顔に見えたものはただの困惑顔であることを知っているのは、この場にいない葦葉のみだった。
烏の行水が終わったところで浅葱が自分の部屋に戻るとすぐに、悠が部屋へやってきた。
「し、失礼します。山吹です」
「見りゃわかる。まぁ、座れ」
怒っていない浅葱の声に拍子抜けした悠は、目の前にあった座布団に腰を下ろす。
何で怒ってないんだろう、と疑問に思ったが答えはすぐに分かった。
浅葱が言いにくそうに目を泳がしながら言う。
「さっきのことだが、もしかしてお前、あれか?あの、世にいう…FTM?」
あぁ、そういうことかと合点がいく。
「いや、それは違います。自分は体も心も女です。まぁ、見た目は男の子に見えるでしょうけど」
そうか、と浅葱が明らかに安堵する。他人のプライベートな事情には踏み込みにくいのだろう。
しかし、それならば、と再び尋ねる。
「どうしてそんなに男のフリをするんだ?何か利点でもあるのか」
男女差別を無くそうと奮闘しているこのご時世で、鳩羽郵便局は女性に対して補助金も出しているのにも関わらず、なぜそんなに自ら大変な道を進んでいるのかと疑問に思うのは順当なことだろう。
もちろん悠だって考えなしにその道を選んだわけではない。
理解してもらえるかは自信がないが、悠は言葉を選びながらおもむろに口を開いた。
「理由は色々あるんですが、一つは、差別されるのが嫌だからです。最近になってようやく男女平等が重要視されてきましたが、それでもやっぱり全てが解消されたわけではなくて、私が入社する前に見かけた鳩羽郵便局の女子戦闘員は緊急時に後方へ回されていたりなど、力仕事は特にですが、未だに「女は役に立たない」っていう先入観が残っていることが多くて、自分もそう思われたら嫌だなと感じてしまって…」
どうやら悠の心配は杞憂に終わり、なるほど、確かにそれは理にかなっているな、と浅葱は思った。
現状、鳩羽郵便局は胸を張って男女差別がないとは言い切れず、さらにそれを女が苦手な浅葱が言えた立場などでは絶対にない。
なんと返答しようかと考えた末に、
「そうか…」
などと、全く気の利いた返しとは程遠いものを口にしてしまった。
「そうなんですよ。まぁ、他にも色々あるけど」
悠の方もこれ以上話を続ける気はないようだ。
悠からしてみると、性別を偽る大きな理由は別にあったが、それはまだ今の段階ではあまり言いたくない。
事情も事情で、お互いに気まずくなって無言が続いたその時、
「ただいまぁー」
この場にはあまり相応しくない、呑気な声と共に部屋に入ってきたのは浅葱と同室の葦葉だ。
「あれ、山吹じゃん。2人揃ってどしたん?」
どちらともあまり自分から言いたくないようで、気まずい表情のみを葦葉に投げかける。
すると、
「あ、もしかして、山吹の嘘がバレた感じ?」
葦葉がニヤニヤしながら悠に問いかけた。
なんで知ってるの!?と悠は唖然とする。
「な、なんで…」
「なんで山吹が女だと分かったかって?そりゃ最初に見た時は分かんなかったよ。髪短いし、男物の制服着てるし。でも、よく考えたら、男にしては身長低いなとか、声を頑張って低くしてる感じとかが怪しさ満点なわけよ。なんか事情があるのかなーって思って言わなかったけど。あ、でも安心して。俺みたいな相当勘のいいやつ以外は多分気づいてないから」
すらすらと出てくる葦葉の分析に悠も浅葱も開いた口が塞がらない。
しまいには、
「後、一人称が『自分』は変すぎるでしょ。無難に『俺』とかにしたら?まぁ、それが山吹なりのボーダーラインなのかもしれないけど」
などと、悠の痛いところをついてきた。
葦葉の言う通り、悠は男として暮らすことを決めてから一度も一人称を「自分」以外にしたことがない。それは、悠にとっての境界線であり、それを超えてしまうと、「悠」というものの何かを失ってしまう気がして怖かったからだ。
しかし、それすらもバレてしまった今、頑なに一人称にこだわる必要はないのかな、などと思ってしまった。
「分かりました…。じゃあもうこれからは俺って言います」
「まぁ、別に何でもいいけどね。それより、もうすぐ夕食の時間だから一旦部屋戻ったら?気まずいでしょ」
葦葉なりの助け舟なのかは分からないが、それはとてもありがたい提案だ。
この機を逃したらさらに気まずさが増すと思い、悠は浅葱を振り向いて、
「そういうことなので、帰りますね。あの…今まで騙してて本当にすいませんでした」
「お、おう」
もう何が何だか理解が追いついていない浅葱を置いて、悠は浅葱の部屋を立ち去った。
「おーい、浅葱。大丈夫かー」
フリーズしている浅葱の目の前で葦葉が手を振る。
そこでやっと浅葱は魂を取り戻したらしい。
「あ、あぁ、大丈夫だ。というかお前知ってたんだな」
「まぁね。確信はなかったけど」
俺にくらい教えてくれれば良かったものを、と今更になって少し葦葉を恨んだが、これで今までの不可解な現象に全て合致がいった。
日々のトレーニングの際に、姿勢を矯正するため、悠の胸や尻などを触っていた時にほんのりと顔が赤くなっていたのは多分暑かったからではないようだ。その時はあまり気にしていなかったが、今になってようやくその訳が分かった。
俺は今まで遠慮なく女の体をベタベタと触っていたのか、と少しだけ悠に申し訳なく思うのと同時に、これからどうやって接していけば良いのかと困惑した。
しかし、それ以前に一つ問題がある。
「浅葱」
「分かってる」
浅葱は気を正して正面を向く。
あいつが女だというのならば、やはりあの時の考えは正しかったようだ。
そして多分、葦葉も今同じことを思っているのだろう。
目が合ってどちらともなく声が重なる。
あいつの兄は─────
五年前の記憶が蘇る。
それは決して愉快な記憶ではない。
しかし、それと同時に、この事件は絶対に忘れてはいけないものだ。
この島を守りたいと思う者ならば。
当時、まだ幼い少女であったあの子が、どんな気持ちでこの職業を目指していたのか、
考えるだけで胸が締め付けられる。
いつか、真実を話さねばならない時が、きっと来る。
でも、どうかそれまでは、あの子が平穏に日々を過ごすことができますように、と
浅葱はそう願うことしかできなかった。
鳩羽郵便局 梳芽 @somei_03
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