苦渋の選択
悠を除く3人は管理塔へ向かうため、車を発進させた。運転の権限は浅葱に戻ったが、2人のうちの1人の男がまだ車内で見張っているため、反抗することはできない。
人質をとられていなければ武力で押さえつけることはできそうだが、悠の命がかかっている今、そんなことはできない。おそらく、男の胸元に付いているトランシーバーでやりとりをしている。
浅葱は管理塔に着くまで、一言も喋らずに車を走らせた。
近くの駐車場に着いたところでエンジンを停止した。
助手席に座っていた男が浅葱を脅す。
「いいか。20分以内にここに戻ってこい。1秒でも遅れたら人質の命はない」
「分かった」
素直に頷き、それと同時にさりげない仕草で武器を隠し持った。
万が一、荷台に積んだ武器を見られたら一般人でないことが判明してしまう。
「ではまた20分後に」
そういって3人はその場を立ち去った。
「浅葱さん!どうなさったんですか?」
管理塔に足を踏み入れた瞬間、浅葱の顔を見た受付の女性が素早く駆け寄ってきた。
流石は特別指導主任。総人数600人以上を抱える鳩羽郵便局内でもトップ10に入るほどの役職を持つ浅葱は顔が広い。
「すみませんが、事情を説明している時間がないんです。フェイクの門カードを作ってもらって良いですか。実際に使いはしません」
門カードとは入門許可証の略であり、関係者の間では、他にも門カなどとも呼ばれている。
「分かりました。名前と住所を教えていただけますか?」
幸いなことに受付係は察しが良く、深くは聞こうとしないまま、必要項目を尋ねた。
「名前は私の名前を使ってください。住所はアドレスホッパー扱いで。急かすようで申し訳ないのですが、20分以内にお願いします」
手早く伝えると係の人は、分かりました、とだけ言って奥へ小走りで消えていった。
「とりあえずスムーズにいって良かった。浅葱がここにいたのが功をなしたんだろうな」
待合室のソファにもたれかかって葦葉が言う。
きっと、葦葉や翠が行ったのでは、こんな無茶振りは相手にさえしてもらえない。
その点では浅葱の信頼は厚い。
「まぁ、たまたまだな。多分お前が行っても上手いこと言って作ってもらえただろうよ」
こういう時でも、浅葱は自慢することなく淡々としている。
そういうところだよなぁ、と葦葉は内心感心する。
そういうところが人からの信頼を得られ、25歳という若さであの役職にポストした理由でもあるのだろう。
しかし、今はそれどころではない。
俯いたまま座っている翠を見て、改めて現実に引き戻される。
声をかけるか迷って結局、
「お兄ちゃん、心配?」
尋ねた。
翠はこちらを見上げて、少しだけ首を傾げた。
「そうですね。でも、撃たれるからというよりは、逆に正当防衛以上の仕返しをしていないかが心配です」
こちらはあまり可愛げがない。幼い割に肝が据わっている。
「きっと大丈夫よ。相手銃持ってるし、大人しくしてるって」
「だといいですが…」
それでも翠は納得しきっていない様子だったので、同意を求めようと浅葱の方を見ると、
翠以上の渋い顔がそこにあった。
「え、お前も心配してんの?」
「あいつならやりかねん…」
葦葉は少しだけ悠が可哀想に思えた。
「こちらが入門許可証になります。実際に使えはしませんのでお気をつけください」
15分経ったところでフェイク許可証が完成した。おそらく大分急いで用意してくれたのだろう。礼を言って管理塔を後にする。
トラックへ戻ると、男は待ちくたびれた様子で浅葱に突っかかった。
「おい、おせーぞおっさん。いつまで待たせる気だ」
「そんな急くな。時間は守っただろう。それに俺はまだおっさんと呼ばれるほどの歳じゃない」
そう返しながら運転席へ乗り込む。
余裕に見せてはいるが、内心は相当焦っている。
悠と別れてから約40分が経過した。例え外的損傷がないとしても、精神的にはまいり始める頃合いだ。
しかし今後の計画は今のところ皆無である。
とりあえずは男の指示に従うしかない。
…待ってろよ。
自然とハンドルを握る手に力が入った。
「…どこ向かってんだ」
浅葱達と別れた後、悠は両手に手錠をかけられ、その状態のまま男に連れられて空き地街を彷徨いていた。
「うるせぇな。喋んなよ。バレるだろうが」
おそらく最初から場所を決めていたわけではないのだろう。自分たちにとって都合の良い空き家を探しているのか。
さらに少し歩いたところで、ようやく見つけたらしい。
「ここに入れ」
悠の頭に銃を押し付け、扉の方へ誘導する。
それに従い、足を一歩踏み出したその時、
「キャ─────!」
背後で悲鳴がした。
反射で振り向くと、おそらくたまたま通りかかったであろう20代くらいの女性が、悠の頭にかざされた銃を見て驚いたらしい。
男は銃口を悠からその女性の方へ動かした。
「逃げてっ!」
悠は女性に向かって叫んだが、当の女性は腰を抜かしてへたりとその場に座り込んでしまった。
銃の引き金が引かれる。
その瞬間、悠は身を翻して女性の前に立ち塞がった。
その銃がモデルガンであることを信じて。
しかし、その願いは一瞬にして儚く散った。
銃弾が悠の右肩を貫いた。
「ゔぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ─────!」
あまりの激痛でその場にしゃがみ込む。
男のほうもまさか本当に撃つ気は無かったらしく、自分の行動に慄いている。
冷静になったのは悠の方が早かった。
「いいか、他の人を巻き込むな。撃つくらいならこの女の人も自分と一緒に人質にして。大丈夫。今は気絶してるから叫びはしない」
そういって、痛む右肩をこらえつつ、ショックで気絶した女性を抱き上げた。
「良かった…怪我してない」
貫通した弾は威力を落とし、女性には届かなかったらしい。そのことにとりあえず安堵する。
「ならさっさと入れ。絶対見られんなよ」
男は震える右手を隠す様にして顎で先ほど悠が入ろうとした空き家を指し示す。
悠は女性を抱いたまま今度こそ扉を通った。
「痛ぁー…」
撃ち抜かれた肩は未だ流血している。
押し込められた部屋にあったカーテンを引き裂いてタオルがわりにし巻きつけはしたが、なかなか血は止まらない。
奥歯を噛み締めて涙を堪える。
すると、
「んぅ………」
悠の横に寝かせていた女性が薄目を開けた。
すかさず顔を覗き込む。
「大丈夫ですか?痛むところはありますか」
まだ状況が飲み込めていない女性はうつらうつらとした状態で
「う…うん。多分大丈夫」
と独り言の様に呟く。
女性の無事を確認したところで、悠は改めてこれからのことを考える。
さて、どうするか。
悠1人なら丸腰で挑んでも勝算はあるが、残念ながら傷つけてはいけない対象が増えた。
しかし時間はない。
おそらくあと数十分で悠の肩は壊死を始める。
こうなったら。
「…なぁ、あんた、これからどうすんの?」
悠は目の前に座っている男に声をかけた。
「分かんねぇのか。この島に滞在するんだよ」
「顔バレしてるっつーのに?あんたらが捕まるのは時間の問題だよ」
「てめぇまた撃たれてぇのか」
男が脅すように銃を向ける。
しかしそれと同時に男の気も悠に向いているのは確かだ。
そう、これこそが悠の作戦である。
人は気を取られれば取られるほど、他のことに対しての注意は背くものだ。
だからその間に主任たちが戻ってきてくれれば。
悠はめげずに男に話しかける。
ウザがってはいるが、返事はする。
まだ外で人の気配はしない。
お願い主任早く来て─────
ただひたすら願う。
その時、ドアがバタンと閉まる音がした。
どうやら悠の願いは浅葱に届いたらしい。
悠は敢えて喋り掛ける声を大きくして男の注意をこちらへ向けた。
男は3人が戻ってきたことにまだ気づいていない。
そして、
「主任!この女性頼みます!」
瞬時に窓を開け、まだ夢見心地の女性を引っ張って外に出し、手を放す。
身体が、宙に浮く。
「おい!」
浅葱は驚愕の叫びを上げたが、すでに受け止める姿勢をとっている。
あぁ、大丈夫だ。
悠はそれだけ確認すると、くるりと男を振り向いた。
後はこいつを倒すだけ。
男は殺気立ちながら銃を構えている。
「お前、よくも……!」
既に肩を壊した悠の身体は限界に近い。
それでも、
「撃ちたいなら撃てばいいよ」
たとえ自分が死んでも、これ以上怪我人は出さない。
「ほらおいでよ」
悠は煽るように男に近づく。
それに比例するように相手は遠ざかる。
銃の照準が悠に定まるのが分かる。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
銃声がなる。
弾が右耳を掠めた。
しかしそんなことじゃ怯まない。
悠は男の右袖を掴み、地面に投げ捨てた。
手が緩んだ隙に銃を取り上げ遠くへ投げ捨てる。
そして最後に腹へ殴りを入れたところで相手は伸びた。
数秒してやっと、倒した実感が湧いてくる。
「お、終わったぁー……」
ほっとして気が抜けた瞬間、自分も床に倒れ込んだ。
暫くして部屋の扉が開く音がした。
もう1人の男かと構えたが、それは浅葱だった。
「おい、大丈夫か!?怪我は?」
「あ、女の人は大丈夫です…。落としてしまってすいませんでした」
「馬鹿か。俺が聞いてるのはお前の方だ」
「そうですね…ちょっと肩が」
そこでようやく悠の怪我が浅葱の目に止まったようだ。
しかし、浅葱の焦った顔を最後に悠の意識は途切れた。
コンコンと扉を叩く音がする。
「はーい。どうぞ」
声を掛けると、遠慮がちに扉が開いた。
病室に一番に入ってきたのは翠だ。
その後に浅葱と葦葉がぞろぞろと続いて来る。
「悠ー。愛しの妹が来たぞー」
そう言って翠がお見舞い品の入った紙袋をテーブルの上に置く。
「まさかほんとに撃たれるなんてね。まぁ、心臓じゃなかっただけ幸運だったけど」
あの日、悠が気を失った後、浅葱の通報により駆けつけた救急隊によって悠はすぐに病院へ搬送され、緊急手術が行われたが、結局、手術は成功し、ものの2時間で目を覚ました。
そして、浅葱達についていた男は、浅葱が悠のところへ向かっている間に、葦葉によって倒されたらしい。
悠は照れ笑いをしながら、
「いやー、心配をおかけしました。でも全治2ヶ月らしいからすぐに復活するよ」
とフォローになっていない言い訳をした。
翠は呆れたように苦笑したが、その目は明らかに安堵を語っている。
3人が持ってきてくれた見舞いの品を食べたり、談笑したところで、面会の終了時刻が迫ってきた。
看護師が病室を訪ねてきた頃に、じゃあそろそろ、と葦葉が腰を上げたので、悠も居住まいを正す。
「忙しいのにありがとうございました。早く治します」
葦葉に向かって言ったはずの言葉には、パイプ椅子を折り畳んでいた浅葱が反応した。
「そうだな。回復力を上げることも戦闘員として大事なことだ。後、今回はたまたま良かったものの、今後の護衛対象への扱いについては退院後よく話す必要がありそうだな」
ひぇ…と喉の奥で悲鳴をあげる。
浅葱の顔はもはやお説教モードだ。
見かねた葦葉がすっと2人の間に入り込む。
「まぁ、それは今度のお楽しみということで。とりあえず山吹は3ヶ月後の合宿に向けて早急にリハビリを頑張った方がいいんじゃない?」
助かったと思ったのも束の間。予想もしなかった言葉に今度は驚く。
「え、合宿?」
「あれ、知らねーの?うちは一年に一回強化合宿があるんよ。大変だけど、宿は温泉付きの豪華な場所で飯も上手いよ」
「学校の運動部みたいですね…って温泉付き?」
「そう。露天風呂あるよ」
いや、そこじゃない、と思わずツッコミたくなる。これは悠にとって大問題だ。
「こ、混浴とかじゃないですよね?」
「え、何。山吹もしかしてそういう趣味あんの」
「いやっ、ちが…」
温泉で混浴ではないということは勿論男女で分かれているわけで、それだと男という設定で過ごしている悠は…
全てを知っている翠がぷっ、と吹き出す。
睨むと目を逸らされた。
くそ、笑いやがって、と我が妹を忌々しく思うがそれどころではない。
このままでは今までの努力が全て水の泡になってしまう。
あぁぁぁ、どうしよ─────!
この時、悠は初めて入社したことを後悔した。
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