第2話

 血生臭い匂いが、古い小屋に充満する。

 それも仕方ない。ここは鶏の屠畜場。

 僕含め、みんなが鶏を処理して血を流しているのだ。

「それで? 結婚相手は決まったのか?」

 黒に二つの白の楕円模様が入った特徴的な髪。力強さを感じる鋭い瞳。精悍な顔立ち。

 そんな顔で繊細さの欠片もない言葉を投げるのは同僚でありシャチの擬人族であるサエスだ。

「またその話?」

 僕は呆れながら鶏の羽を毟る。サエスは吊り下げられた鶏の処理から一旦手を休め、「まさかまだ番を見つけていないのか?」と詰めてくる。

「ニューイ、お前今度で二十歳だよな。誕生日はいつだ?」

「確かニヶ月先」

 サエスが呆れたような溜息を吐く。事の重大さを分かっていないと彼が言いたげなのは明らかだった。

「ニューイ、分かっているのか? 二十一歳までに番を見つけて子どもを授からないと俺たち擬人族は元の姿に戻ってしまうんだぞ」

「そうだね」

「ニューイ、子どもを授からないとお前は指先で簡単に潰せる小さなクリオネに戻ってしまうんだぞ。魚に食べられてもいいって言うのか?」

 サエスが心配しているのは僕たち擬人族にかけられた魔法の話だ。

 遠い昔のこと、この国には宮廷に仕えた偉大な魔法使いがいた。

 当時、エタンの層だった人間が差別に耐えかね国に反旗を翻した。そこで宮廷魔法使いは問題を解決しようと動物を人の姿に変えて擬人族を作り出した。擬人族が人間の代わりにエタンとなることで人間を最下層の身分から解放したのだ。それが擬人族の始まり。

 そして魔法使いは、エタンとなって国を支える擬人族の人口を一定に保つために脅しをかけた。

『二十歳を終えるまで子を持たなければ、自然の理に戻ることになる』

 つまり二十一歳までに子どもがいない擬人族は、魔法が解かれ、動物に戻ってしまうというのだ。

 だが別にそれでいいと思う者もいた。それは肉食動物たちだ。

 家畜同然と見なされ、仕事の報酬も微々たるもの。だから大半の肉食動物たちは二十歳を過ぎると元の姿に戻り自然へ戻った。

 しかしそうはいかないのが食物連鎖でも喰べられる側の動物だ。常に死と隣り合わせ、餓死なんかも普通にある世界だ。確かに人間からの屈辱は許し難い、しかしそれに慣れてしまえばベッドでぐっすり眠れる、そんな安全が保証されている今の生活の方がマシだと考える者も多いのだ。

 だから今の擬人族の大半は、非捕食者の動物たちばかりだ。

 サエスもそんな非捕食者の立場をよく理解し、僕のために言ってくれているのだ。

「心配してくれてるんだね。ありがとう」

 普段の彼はちょっと言い方がキツい、でも優しい冷静沈着な男だ。そんな彼がこうも僕のために必死になってくれているのが嬉しかった。

「……心配ってだけじゃない」

 サエスが言う。けれど意味は汲み取れなかった。

「こうなるのがお前の望みだって言うのか?」

 サエスは処理した鶏の首を掴んで僕に見せつける。鶏の死んだ目と目が合った。

「何が自分にとって最善の選択か、まだ分からないんだ。それに番になりたい相手もいない」

 僕の場合、元の姿がクリオネなだけあって体は男だけど、子どもも授かることの出来る構造になっている。だから番相手は男でも女でもどっちでもいいのだが、今のところどちらの方もいいなと思う人はいない。

「そうか……」

 サエスは静かに受け止める。そして再び作業を始めた。僕も作業を再開する。

「サエスだってこれからどうするの? 僕と同じくまだ番を見つけていないじゃないか」

「もう番にしたい相手は見つけてる。ただ相手はそう思っていないらしい」

「へぇ。サエスに振り向かない女性なんているんだ。やっぱり顔がいくら良くても目が怖くて、言い方がキツいのがいけないのかな」

「悪かったな」

 番がまだ決まっていないとはいえ、サエスはシャチで捕食者だから僕同様の危機感は抱いていないようだった。

 作業に集中して静かになる。ふとサエスが呟くように言う。

「もし、お前が本来の姿に戻るって言うなら俺もそうする。俺がお前を命懸けで守る。唯一、弱肉強食の垣根を超えて家族になれるこの世界は惜しいけどな。だがお前のためならなんでもするよ」

 サエスが何を意図して言っているのか理解する。作業する手を止めて、顔を上げる。

 仕方がないと言いたげに、でも愛おしそうに彼は目を細めていた。

 こんな彼を見たのが初めてで固まってしまう。

「ここ職場ってこと忘れてないか?」

 ウサギの耳を生やした男が状況に耐えられなかったのか、僕たちに言う。

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ずっと君を探してた @ocean999

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