勝軍曹とイロケ戦争(ちなみにコイツは戦後まで生きました)
花森遊梨(はなもりゆうり)
第1話
ー直ちに命令を実行し、鉄壁のごとき防御陣を敷いてこれを迎撃し、随時随所において果断な反撃に打って出るものである
これは大本営発表ではない 勝軍曹が書き上げた参謀本部へのお返事である
軍人とは、特に日本軍人は、戦争から満州に国民とあらゆることをコントロールしていた。そして一番肝心な「生殺与奪」に関してのみアンコントロールというヒジョーに因果な職業である。
日本男児、正確には日本老年以外のオスは全員そこに属する可能性があった。
戦後で例えれば20歳になれば一定確率で大切な
新聞に載ってる戦果報告は必ず「勇気ある転身」で終わるあの時代、
「毎日のように目新しいことが起きる変化に富んだ日々」というのはダイレクトに日本軍に属しない限りどこにもなかったと言っておく。
自分が行かされた中国大陸では「昨日は
そのうち「辻が乗った輸送船が沈まなかった」とか「死神宮崎が堅固な陣地ができてからあててコヒマ攻略を始める」など、真の米英こと鬼畜な味方に命を脅かされるなど、新鮮な出来事が毎日起こるようになった。
つまり「変化に富んだ毎日」というのは「日本軍とその飼い主たる日本があの戦争をまったくコントロールできていなかった」ことを意味していたと言え、楽しかったとは「テメーなんざ殺す価値もない」と同義の呆れ交じりの怒りであったのだ。
鬼畜行為といえば、戦前、それも太平洋戦争より前の戦前からあって、徴兵と称して旅費もなしに決まった場所に行かされ、銃を磨いたり殴らたり編み物をしたり仕事を勝手に与えられて、決められた時間まで絶対帰れないという日本軍の臣民に対するちょっとした鬼畜行為が罷り通っており、嫌気が差した人も多かったと思うが、今考えればあれは日本軍が置かれた状況をおおむねコントロールできていたという証であったのだ。
確かに徴兵先では古兵を名乗る軍服男やたまにそうでないメンコ男が暴力を振るってきたが、その古兵が実は辻、メンコ男の真の姿は服部、そして彼ら主導の殴り合いで内務班はおろか将兵の約半分が死亡、隊長という隊長は辻にせっつこれて拳銃自殺、そのあと作戦の神様が誕生ということは起きず、関係者は全員「ちょっとした鬼畜」以上には道を踏み外さなくて済んでいた、とも言える。
ここまで書いてようやく勝軍曹、つまり俺の話になる訳だが、まずはお詫びをいいたい。
戦争中なら毎日のように特筆すべきことが起こるわけではなかったのだ。これは私に限ったことではない。戦闘行為というのは戦後でいえばゲリラ豪雨や大地震とほぼ変わらない 戦前の大陸ではゲリラ豪雨の雨粒のポストは小銃弾が勤めていて、もっぱら真横に飛んでくる。ぼさっとしてると濡れるので雨粒を避けてとりあえず地面に伏せるかあれば遮蔽物に隠れる。たまに敵が大砲を用意してくれたおかげで轟音と共に地面が揺れたりすることもある
戦後と違うのは自然にやむのを待たずに、自分たちの銃を雨や震源地の方向に向けて持ってる銃を向けて構えて引き金を引く工程があることだろう。 しばらく繰り返していると雨はやむ。たいていはそれだけで済む。どうしても雨が長引いたり、負傷者が出たり、時には思わぬ死者も出る。顔見知りがいつの間にか死んでたなんてこともあるし、雨をしのいでやっと基地に帰還したら部隊の頭数が合わないこともある。戦争の目的も倒す相手もよくわからないまま、そんなことを繰り返しているうちに、みんな一人前の兵士に成長していく。友人や知人が死ぬのも、いつか自分がそうなることも気にならなくなってくる。
そうやって戦場を生き延びる要領ばかりに長けたものばかり150人の中隊は、思わぬ敵に出会う。中隊150人が攻撃を終え、本隊に帰る途中、某「イロケ」参謀に出会ってしまった、
手柄を立てることに執着し、手柄のために部下を騙し、部下を殺す上官を「イロケ」といい、殺される仲間の数で言えば敵軍以上なのに銃で撃ち殺せないというヒジョーに厄介な存在で、言うまでもなくみんなに嫌われていた。
「例の地点まで進出して敵に攻撃を加え、ただいま本隊への帰還途中であります」と仕方ないので隊長は報告した。するとその参謀は「そうか、ご苦労。だが、あの地点にもたぶん敵がいる。敵は油断しているから、本隊に帰る前に、今日一日そこを攻撃してから帰ってこい」
出会い頭の味方に「醤油貸して」くらいの気軽さで死を命ぜられた。さすがはイロケ参謀殿
だが、命令には逆らえない。戦地でこんなわからないとこをすれば起きることは一つしかない。
ーわからぬ士官は後ろから撃ってしまえ。弾丸は前からだけじゃない、後ろからも飛ぶのさ
「了解しました」
異常事態が起きる。中隊長はその命令を聞き、「わかりました」といって部隊を前進させてしまった。あのサビ天はまんまと部下149人を生贄にすることを選んでしまった。そうなるとやることはひとつ
ー弾丸は前からだけじゃない、後ろからも飛ぶのさ さあ、日本が誇る三八式歩兵銃の力を後ろから
「おい、みんな休め」
しばらく行軍を続け、いきなりの第二次命令であった。そうして夕方まで部隊は休んで帰還し、「敵はいませんでした」と報告することになった。
その報告を聞いた別の参謀も、「なんと情けない偉大なる大日本帝国民でありながら中国の匪賊一人倒せないとは貴様らは非国民でありゾウムシのクソの切れ端のような弱卒だ」と一呼吸かつ棒読みで叱って済ませてしまった。
いろいろなことが現場では起きていたのだ。
今考えてみると、冒頭のイロケ参謀も出会い頭の「死ね」もその少し前あたりに参謀本部から「特に意味はないけど日本のために華々しく死んで!」という戦後でいうメンヘラみたいな命令を送りつけられて、命令をやったことにするためのものだった可能性が高い。だからサビ天、つまりはそういう連中の言動をよく心得、部下は要領に長けているという中隊にあの命令を下したのだろう。
将校商売。だから勇ましい命令をとりあえず下し、下士官道楽。なので上からの命令を型通りに聞き流し、兵隊ばかりが国のため…のはずであった。すなわち、戦争中なのに意外と戦争していない。もはや戦争全体が「要領」になったのである。
いわゆる終戦の少し前の日。
「可及的速やかに兵力を集中し、敵の態勢いまだ整わざるに乗じ、果敢に反撃して敵を上陸地点周辺において撃滅すべし」
「陸大と同じように、あいつらは毒でもあおらない限り勇ましい命令しか下さねえのさ。だから適当に勇ましい電報返しときゃ済む。だから勝、ちょっと電報返してみろ、内地のの大本営発表みたいにな。済んだらまた適当に「転進」を続けるぞ」
そんなサビ天中隊長の言われるままに、俺が返した電報がこれである。
ー直ちに命令を実行し。鉄壁のごとき防御陣を敷いてこれを迎撃し、随時随所において果断な反撃に打って出るものである。
戦後、かつて大本営の参謀だった男が語る。
「われわれは、大本営として作戦をたて命令を下していたが、だんだん手詰まりになってきた。 それでも文章だけは勇ましく書いて、いわば紙の上だけで戦争をしていた。だから、勇ましいだけの電報が返ってくるたびに、胸を撫で下ろしていたのだ」
勝軍曹とイロケ戦争(ちなみにコイツは戦後まで生きました) 花森遊梨(はなもりゆうり) @STRENGH081224
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