掃きだめの鶴とは何か

村乃枯草

掃きだめの鶴とは何か

周囲の人は才能があって自分は羨むばかり。後から他人がどんどん追い抜いていく。そう悩み苦しむ人は多いです。


僕も同じで苦しみ続けています。


ですが、そんな貴方や僕は半分幸せだとも思うのです。


それはなぜか。


僕の現状を記します。大学時代に留年休学を繰り返して、ただ運良くソフトウェア開発会社に新卒入社できてから二十一年、この四年ほどはひたすら一人で周囲の足を引っ張り、二週間ほど前に三回目の休職から戻ったばかり。カクヨムに登録したのはワナビだからですが、こちらも目が出ず、この三年は文庫本サイズの作品を書けないまま。懇意にしていた人もいますが、つい二日前にXのスペースに飲酒状態で参入して参加者から総スカンを食らいスペース主催者の面汚し。何もかも、本当に何もかも、全てが、今はまだいいもののこれからの転落が約束された状況です。それが見えていて、いつ自ら命を捨てるか分かったものでなく。


いなくなる前に書いておく気になりました。捨て身というか焼けのやんぱちです。信用されなくてもネットに残します。


職場に、周囲が平凡というかネットで言うところの「バカ」ばかりの一人だけ才能を天から与えられて人が導かずとも天の理として指導的地位に就く人を複数人見てきました。言わば、掃きだめの鶴、です。その人物を追い抜く人はいません。


会社勤めをすると分かりますが、正社員に就くと固定給が支払われますから、給料分働かないとその社員の存在価値はマイナスになります。周りの人は言います。給料泥棒ばかりのところに、その人物が適切な進路を示して仕事に正の価値を付けている、周囲の社員の不出来すら全てその人物が責任を持って取り返している、と。


冒頭で紹介したような、他人の才能に苦しみ様子は皆無です。その姿を見ると羨ましいです。


しかし何かが変なのです。


技術的に、あるいはもっと上位の、UIの設計やさらには製品の方向性について、ある意見を社員の誰かが言ったとします。チームのメンバのほとんどは言うと疑われます。しかし掃きだめの鶴と目される人が言うと慧眼の主とみなされ意見が採用されます。人間社会で人による信用の差は避けられませんが、そのチームの場合はほぼ0と100%。時には掃きだめの鶴と目される人が意見を180度ひっくり返しても異議なくチームが方向転換します。


ソフトウェア開発でも他人による内容確認は必須です。業界では「レビュー」と言ったりしますが要はダブルチェックです。それは業界の常識です。掃きだめの鶴と目される人もエビデンスに基づきレビューの必要性をチームの他のメンバに教育します。しかし本人の仕事だけはレビューを経ず採用されて異論が出ません。他人の目による確認が、片務(二方向の関係者の一方しか責務を負わない)的で、掃きだめの鶴だけ例外。


さらには怒鳴り声も。まあ、瞬間湯沸かし器?


ここまで来ると、あれ? と思うでしょう。


それは、こうやって文章に起こすと分かるのですけどね。


答えを明かします。これは元・東京慈恵会医科大学精神科教授の牛島定信と筑波大学社会医学系教授の松崎一葉により命名された「クラッシャー上司」の姿です。Wikipediaなどにも記載があります。上記の一文はWikipedia(日本語版、2023年10月1日版)より引用させていただきました。全容を知りたい方には松崎一葉著「クラッシャー上司」(PHP研究所)をお勧めします。そこに全て記されています。


僕が語りたいのは、そのような人物が周囲からどのように見えるかという点です。


書籍やWebで読めば「クラッシャー上司」と分かる事案は、渦中の人間にとっては「掃きだめの鶴」に見えます。適切な名前が付けられない、というより、現場の人間が実相を把握できていないので生産性を下げる人物がのさばるのです。


そんな「掃きだめの鶴」(実態はかけ離れており、いわゆる、という揶揄を込めて、括弧付き)は「バカに苦しめられてきた」と言って回ります。経歴を調べると嘘偽りはありません。周囲の人物がまるで仕事の成果を上げておらず、全て一人で仕事が正の価値を持つ内容に仕上げており、バカばかりの中で孤軍奮闘してきました。


するとソフトウェア開発会社は、喜んで当人を採用します。こんな(正直あまり素晴らしい会社とは言えないと自覚している)弊社によく来ていただいた、と。


ですが、労働市場の実情から見て、低い会社に素晴らしい人材が移ってくることは稀です。むしろ数としては、入社してから策を弄して「自分だけ優秀」という状況を人為的に作っている場合が多いのです。


給料泥棒ばかりのところに、その人物が適切な進路を示して仕事に正の価値を付けている、という触れ込みとは逆に、企業に相応の社員が複数人揃っている中にクラッシャー上司が入り込んで、チームのメンバの生産性を業界水準未満に落として自分だけが優秀であるように見せかけている、というのが実相。そして、企業内での評価が高くても生産性が業界水準より低いチームですから、案件は負債を抱えます。そしてクラッシャー上司はチームリーダーとしての経歴を一つ積み上げて会社を去ります。


そして実相を知るのは、渦中にいて、なおかつ感化されなかった人物だけなのです。


それを繰り返すと、日本のソフトウェア業界で苦しんだ人物という評を得ていきます。残念ながら日本のソフトウェア業界は国際的に低位です。後進国と言っていいです。そんな、日本のソフトウェア業界という掃きだめの中で苦しんできた鶴、という評価を勝ち得ます。繰り返します。現実に周囲の働きが悪かったのですから。


しかし周囲の才能を潰しまくって自分だけ現世利益を得ていいのか。


周囲の人が才能に恵まれて自分が劣ることが辛い、次々と追い抜かれる、そう言う人は、他人の才能をぶつしてこなかったことは実証されています。それは、ある意味で、悪くないことです。


まるで宗教だ、真面目に生活していれば死んだ後の来世で幸せになるという世迷い言と同じ構造で他人を騙している、そう指摘されるでしょう。それは全て認めます。


無力な善人は、他人から妨害されることもありますし、乗った船が沈むこともあります。現世利益は保証されません。


しかし「掃きだめの鶴」つまりクラッシャー上司は、船に例えれば確実に船長になり、そして操舵を誤り、船を沈没させます。多くの他人を巻き込んで没落します。それは、現世で利益を得ても、幸せな人間の姿かどうか……


お読みの皆様はともかく、僕は実際に周囲の足を引っ張った人間ですから、クラッシャー上司と180度違うものの同じ損害をもたらしました。そんな人間の言葉は世迷い言か捨て台詞。聞く人はいないかもしれません。


ですが、言うのです。


掃きだめの鶴でない貴方は、他人の才能を潰す罪だけは犯していません。

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