電脳ゾンビは人間の夢を見るか?
阿僧祇
電脳ゾンビは人間の夢を見るか?
「ゾンビになりたくはないかい?」
僕はそれを聞いて、口の近くまで運んだウイスキーのグラスを止めた。彼の突拍子の無い言葉に、バーテンダーもグラスを磨く手が一瞬止まった。
「ゾンビって、あのゾンビですか?
全身が腐って、人を食べて、マイケルジャクソンの後ろで踊っているあれ?」
「そう、映画やゲームでよく使われるあれだよ。」
「僕にそれになれと?」
「ええ。」
「うーん…。
確かに、奢ってもらっているんで、この酒代のお願いなら受け入れても良かったですけど……、それはちょっとねぇ?」
「ほう、そうですか?
これはむしろ、あなたにとっていい話ですよ。本当なら、あなたが私にお酒を奢ってもいいくらいだ。」
「……その心は?」
「それでは、聞きますが、あそこの1番奥のテーブル席に座っている人の特徴を詳しく教えてもらえますか?」
私はカウンター席から、チラチラと奥の席に座っている人を見た。すると、彼女のデータが頭の中に入って来る。
「性別は女性、国籍は日本、職業は高校生、年齢は25歳、そして、
名前は蒲焼さん太郎。
……彼女が何だと言うんだ?」
「あなたは気がついていないようですが、相当おかしいことを言っていますよ?」
「?」
「まず、高校生なのに、年齢は25歳。普通、高校生は18歳で卒業ですよ?
それに、高校生がバーに来ていることも不自然ですし、名前も蒲焼さん太郎っておやつじゃないんだから、人間にそんな名前ありませんよ。」
「でも、この電脳で検索された彼女の情報はそう言っているから、間違い無いはずだ。」
「そうですねえ。その情報ではね。
これは現代の人類全体に言えることですが、あなたたちはデータに依存しすぎていますよ。
少し目を向ければ、あそこに座っている人は、50代の黒人男性に見えるはずですよ。」
「どういうことです?」
「彼は情報を買っているんですよ。」
「?」
「今、私達は電脳化の恩恵を非常に受けている。
身体と脳が分離されたことで、格段に伸び、人間の平均寿命は100歳に伸びた。
それに、電脳ネットワークが持つ検索エンジンのおかげで、全人類が一定の知能を持つようになり、クイズや勉強はもはや、電脳の性能を競うものとなった。
そして、人を見れば、一瞬でその人の犯罪歴、年収、他人からの評価ポイントなどあらゆる基礎情報をスキャンして、一瞬で知らせてくれるようになった。
しかし、それは視覚情報を衰退させた。
脳に接続されるネットワークの情報ばかりに依存してしまい、生物的な五感情報は廃れていった。
だから、情報さえ改竄できれば、全てを変えることが出来る。
男性なら女性に、黒人なら白人に、障害者なら健常者に。
あまり知られていませんが、お金さえ払えば、そう言った情報は全て修正することが可能だ。
こう言った修正は、電脳社会が完全に進む前は、違和感を感じる人が多くいた。
25歳の高校生と聞けば、誰もが不思議に思っていた。例え、視覚情報が無くとも、人間の思考力さえあれば、高校生は18歳で卒業だと言うことを繋げて、違和感を持つ。
しかし、もうその違和感すらも失われた。
人間は、先程のあなたのように、何も考える事なく、データだけを盲信する生物へと進化してしまったのです。
電脳社会の前からそのような予兆はあった。遡れば、人間が火を使い始めたことから始まっていた。
人間が火を使い、料理をすることで、硬い歯と強靭な顎は廃れた。
人間は自動車を生み出し、足腰を脆くし、メガネを生み出し、視力は弱らせた。
そして、人間はそんな自らの能力の劣化に気が付かず、電脳を生み出し、脳の思考を捨てた。
これは自らの道具に依存し、中毒となった人間の運命なのかも知れない。
ここまで聞けば、嫌な話ですが、ここからが本題だ。
おそらく、ここまで聞けば、人間としての能力を取り戻したいと思ったんじゃないですか?」
僕は、彼の質問に大きく首を縦に振った。
「やはりね。君以外にもこの話をしたけれど、君と同じ反応だったよ。
電脳によって、思考力は欠如しようとも、まだ人間の尊厳的な感情は失われていないらしい。
だが、もう君の次の世代には、その尊厳すら消えているかもしれないから、今、君が人間としての自我を持っているうちに、決断することは非常に重要だ。
では、人間に戻る具体的な方法についてだが、最初に問いかけてある通り、ゾンビになることだ。」
僕は彼の話を聞いてもなお、ゾンビには抵抗があった。
「まあ、そんな嫌な顔になる理由も分かる。
だがね、君は気が付いていないが、私はゾンビなのだよ。」
「えっ!?」
私は思わず大きな声をあげる。
「驚くことは無いだろう。この電脳社会で、こんな話をできるのは、人間の思考力を持っている証拠だろう。
そして、人間の思考力を持つためには、ゾンビの再生能力で、身体を再構成する必要がある。
だから、私は人間であり、ゾンビだ。」
「……でも、データにはゾンビと書かれていませんよ。」
「当たり前だろう。誰がデータの中にゾンビの項目を作るんだ? 電脳は情報項目に無いことは認識できないんだよ。
だから、見た目は君には普通の人間に見えている。それに、君の想像しているゾンビと違って、会話のできるゾンビだ。
確かに、体の中にゾンビになるウイルスを入れるから、皮膚は腐り、死体のような見た目だ。しかし、人間の脳があるから、思考力もあり、喋ることもできる。
それに、頭以外を撃たれても、全治癒する再生能力もあるし、その再生能力で、寿命も電脳人間と同じくらい長い。
だから、ほぼノーリスクハイリターンだ。
もちろん、仲間もいる。もちろん僕を始め、何百人がゾンビとして、人間を取り戻している。
どうだろう? 君も人間になってみないか?」
私はその勧誘を聞いてもなお、迷っていた。
「でも、ゾンビになって、人間としての能力を取り戻したとしたら、自分は五感を取り戻すんですよね?
だとしたら、自分は心が人間でありながら、見た目はゾンビになるんですよね。」
「そうだね。実際、私も鏡に映った自分を見る度に、私は人間なのか、ゾンビなのか分からなくなる。
常に、人間とゾンビの間で板挟みになっているよ。
でも、電脳人間も同じようなものだ。
見た目は人間だが、脳はもうゾンビのようなものだ。脳は血が通っていない、ただ機械に電気が流している。
電脳を別の肉体に移植すれば、生きながらえることができる。電脳も部品を変えれば、さらに長く生きることができる。
そして、思考はネットワークに支配されている。これは、もはや、電脳ゾンビと言ってもいい。」
電脳ゾンビ。
その言葉が僕の心に強く残った。
「もう世界がこうなった以上、心と体、どちらをゾンビにするかの二択になっているんだ。
この話を聞かなければ、君は電脳ゾンビとして、何も気にせずに生きられたかも知れない。
それでも、この情報を多くの人に知って、人間に戻って欲しい。
もちろん、頭の中の電脳ネットワークは消えるから、ずいぶん生きにくい世界となるかも知れないが、一つずつ世界を考えていくことはきっと楽しいはずだ。
だから、君にはゾンビになって欲しいんだ。」
彼はそう言った後、ウイスキーの入ったグラスを一口飲んだ。
僕には彼がゾンビであるように見えない。そして、奥の席に座る人も50代の外国人男性に見えない。
本当に電脳に騙されているのか?
彼が嘘をついている可能性もある。しかし、彼の言っていることが嘘であるかも、真実であるかも証明することが出来ない。
我思うが、我があるとは限らない。
だが、この疑わしい自分の意思で、この決断を決めねばならないのだ。
「……すいません。やっぱり、このままでいいです。」
僕がそのように言うと、彼は一気に残念そうな顔をした。
「まず、電脳に騙されているという証明が出来ないですよね。あなたの理屈はもっともらしいが、私はそれを検証出来ない。
25歳の高校生をおかしいとも思えないし、あなたがゾンビだとは認識できないから、いまいち信じることが出来ない。
それに、例え、あなたの言っていることが本当でも、自分がゾンビであると考えながら生きていくのは辛い。
それなら、電脳に騙されながらでも、人間を喪失しても、自分の意思が幸せならそれでいい。
だから、僕はゾンビを選ばない。それが嘘でも、電脳ゾンビで人間と信じていたい。」
彼は私の意見をそこまで聞くと、うんうんと首を動かし、グラスのウイスキーを飲み干した。
「それもまた一つの選択だ。
不思議なことに、この話をした時、半分が私のようにゾンビになり、半分が君のように電脳ゾンビとして、変わらない選択を取る。
どちらが人間らしい選択であるかは分からないが、それは君自身の選択だよ。きっとね。」
そう言って、彼はしばらくグラスに残った氷をくるくる回していた。
「分かった、これ以上君にゾンビになれと無理強いすることは出来ない。だから、話はこれでおしまいだ。
だが、もう一つだけ頼み事がある。」
「なんですか、奢って貰った酒代くらいの要求なら受けますよ。」
私がそう言った後、彼は喉をごくりと鳴らした。
そして、バーに居た客とバーテンダーも同時に喉を鳴らし、こちらに肉食動物のような視線を送る。
「……お腹が空いた。」
僕はその彼の言葉を聞いて、今までの彼の話が本当であることを悟った。
僕は瞬く間に四肢をもぎ取られた。僕は薄れゆく意識の中で、僕の手足の肉にかじりつく彼らを見ていると、ふとした疑問が浮かび上がった。
私と彼、どちらが人間らしいゾンビなのだろう?
電脳ゾンビは人間の夢を見るか? 阿僧祇 @asougi-nayuta
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