瞬く星を抱く少年

槙野 光

瞬く星を抱く少年

 王都にいる父が、一時帰宅をする。

 白鳩のぴいが便りを持ってきたのは、昨夜の時分だった。

 便りを受け取った母は早朝になり、父を労う準備をするため早々に晩飯の支度を始め、コニーは忙しない母の代わりにワガツカの肉の煮付けを買いに商店街に繰り出した。

 朝陽が昇ってまだ間もないというのに、商店街は活気に溢れている。大声で人寄せをする野菜売りのバーナス。生きた鳥の両足を縛り、軒先にぶら下げた鳥肉屋のタックス。王都へ向かう経由地ということもあり、そこそこ栄えた商店街の中をコニーは闊歩し、目的の店に着く。

 ワガツカの肉を専門にしている、ハナバ婆ちゃんの店だ。生肉も売ってはいるが、看板商品はハナバ婆ちゃん特製のワガツカの煮付けだ。厚く切った肉を一日火にかけ、歯応えを残しつつもとろんとなるまで煮込み、一日甘辛いタレに寝かせたそれは、父の大好物だ。

 コニーがワガツカの煮付けを三人分頼むと、ハナバ婆ちゃんは「お使い偉いわね」とまるで五歳かそこらの幼児を相手するようにコニーの頭をくしゃりと撫でる。


 もうすぐ十二になるんだけどな……。


 苦笑するコニーに一世紀近く生きているハナバ婆ちゃんは、串に刺さった味付け小玉子を持たせてくれた。甘塩っぱいタレに漬け込んだ味付け小玉子は半熟で、歯で噛むたびに舌にとろっと滑らかな感触が伝いその度に頬が落ちそうになる。

 コニーは石畳の上を歩きながら、舌鼓を打つ。そして、あっという間に味付け小玉子を平らげ口の周りを舐め、違和感に気づいた。

 遠ざかった喧騒に、曇ったような薄暗さ。

 どうやらあまりの美味しさに夢中になり、いつもは通らない細道に足を踏み入れていたようだ。

 足元を鼠が走り、コニーは心臓を縮ませる。早く大通りに出なければと焦燥感に駆られていると路地裏からぼそぼそと耳障りの悪い声が聞こえてきた。

 コニーが喉を鳴らし顔をそっと覗かせると、男がふたり額を突き合わすように話し込んでいた。ひとりは、頬に引っ掻き傷のある枝木のように細いのっぽの男。もうひとりは、頭に紺地のバンダナを巻いた満月のようにまん丸い太っちょの男だ。

 どちらもここら辺では見ない人相の悪さだ。濁った白眼と言い、黄ばんだ歯といい、あまりお近づきになりたくはない。


「それで捕まえたのか」

「へい、ワダナルの匂いを嗅がせて眠らせやして、そのまま屋根裏の椅子に縛りつけときやした」

「そうか、良くやった。……やっと俺たちの恨みを晴らす時がきたな」


 捕まえた? 眠らせる? 縛り付ける? 恨み?

 物騒な話に、口内がからからになっていき背筋を寒気が覆う。しかし、このまま聞かなかったことにはできない。

 誰か呼んでこなきゃ。

 コニーは喉奥を小さく鳴らすと息を殺し、後退る。すると、とん、と硬い板のような何かにぶつかった。

 コニーは恐る恐る振り返り、そして、息を呑んだ。

 コニーの眼前には、体躯の良い三白眼の男がいた。男は、ぎょろりと蛇のような瞳でコニーを見下ろす。


「どこの餓鬼だ」


 地を這うような嗄れ声。地獄の底から湧き出るように男の手がぬっと伸びてきて、コニーは逃げる間も無く左腕を強く掴まれ声にならない悲鳴を上げた。

 コニーの手から透明袋に入ったワガツカの煮付けが滑り落ち、男は表情を変えずブーツの底でそれを踏み躙る。袋に空いた穴から、身体から臓物が飛び出るかのようにぐにゃりと捻じ曲がった煮付けが這い出て、袋に溜まっていた甘辛いタレが石畳を赤茶に染めていく。

 静脈を締め付ける圧迫感にコニーは眉根を引き絞り、眦に溜まった涙がこぼれないよう必死に歯を食いしばった。


「おい! お前ら何油売ってんだ!」


 雷鳴を轟かせるような三白眼の男の怒声に、のっぽと太っちょが両肩を跳ね上げた。直立不動となったふたりに男は溜飲を下げたように息を吐く。そして、コニーを見下ろし舌打ちをした。


「余計な荷物が増えたがまあ良い、行くぞ」


 そして、ポケットの中から取り出した黄ばんだ布をコニーの鼻に当てる。

 蜂蜜と砂糖を溶かしたような甘い甘い香りがコニーの鼻腔を襲う。頭の中では吸ったらだめだと分かっていたが、口元をもう片方の節くれた手で覆われ反射的に鼻で息を吸ってしまう。すると、瞬きの間に瞼が重くなり、頭の中が霞掛かってくる。そして、コニーは抗う間もなく、意識を手放した。



「おい、大丈夫か。起きろ、おい」


 靄の向こうから、声が聞こえる。高すぎず、低すぎず。耳に心地よい声に脳内を揺さぶられ、コニーは逆らおうとする瞼を無理やり持ち上げた。

 薄らぼんやりとした視界の中で光が弾ける。

 目が眩むような光と澄明な青に、空に浮かぶ真夏の太陽かと思ったが違った。

 視界が晴れていくと、コニーの眼前にひとりの少年が現れた。黄金の髪を揺らし、眉尻を下げた少年の青い瞳には口をぽっかりと開けたコニーの間抜け面が映し出されている。

 白磁の肌に、筋の通った鼻梁。

 天使かと見紛うほどの美少年だ。


「……綺麗」


 コニーが陶然と呟くと少年は瞠目し、肩で笑う。そして、口端を吊り上げ悪戯めいた笑みを浮かべた。


「よく言われる。その調子なら大丈夫そうだな。ほら立って」


 少年がコニーの片腕を掴み引っ張り上げる。

 軋む身体に、コニーは何があったのかを思い出した。立ち上がるや否や、少年に縋り訊く。


「そ、そうだ。俺、路地裏で男に捕まって。その前に何かを捕まえたって言ってた。眠らせて、屋根裏の椅子に縛りつけといたって。俺、それ聞いて誰かに助けを求めなきゃって……」


 捲し立てるコニーを見ても笑みを崩さない少年。少年の背後を窺うと、そこには背中から倒れたままの木椅子と螺旋を描くように太縄が床に落ちていた。


「もしかして、君が?」

「そうだ。あいつら乱暴にしやがって」


 頷き、ブーツに手をやった少年は隠していた小型ナイフを手で弄びまた仕舞う。


「……元気そうだね」

「いや、椅子にずっと縛りつけられていたからな。身体の節々が痛い」


 文句を言いながら少年は右腕を回し、屈伸をする。

 怪我もなく、ぶつくさと憎まれ口を叩く余裕のある少年にコニーは拍子抜けをしながら辺りを見回す。

 本棚に、ベッドに、机。四角四面のはめ殺しの窓から光が僅かに差し込んでいるが、机上に置いてある花瓶までは届かず、萎れて色を失った一本の花がくたりと項垂れるように下を向いていた。


「ここは……」

「ああ、街外れにある空き屋敷だろう。どうやらここが奴らの根城らしい。どこに隠れているかと思ったがまさかこんな近くにいるとはな。見つからないわけだ」


 捕まったのは少年の筈なのに、まるで少年の方が彼らを探していたような口調だ。混乱するコニーをよそに、少年は余裕綽々な様子で室内を動き回り、ベッドの下を覗いたり本棚に仕舞い込まれた本を手に取ったりと忙しない。 


「あの、一体何をやってるの?」

「ああ、こんなことでもない限りこんな狭くて埃っぽい部屋来ることはないからな。世間勉強ってやつだ」


 埃っぽいとは思うが、コニーにとってみれば特段狭いとは思わない部屋だ。少年の堂々とした佇まいに、垣間見える居丈高な口調。それに、太陽のような黄金の髪に澄明な空のような青い瞳。父から何度も聞いた、父の仕える主の話。脳裏を過ぎった少年の正体にコニーの心臓が飛び跳ね、手のひらにじんわりと汗が滲み出た。


「き、きみは、いや、あ、あなたは」


 給餌を待つ魚のように口を開閉し唇を震わせるコニーに、少年が小さく笑う。


「ヨーデルで良い。今の俺はお前と同じただの少年だ。お前の名は何と言う」

「……コニー。ルーカスの息子の、コニーです」

「そうか、お前がルーカスの……。コニーほら、見てみろ」 


 確信めいた言葉は与えず、少年――ヨーデルは窓辺に寄り外を一瞥すると、コニーに手招きをする。

 コニーがヨーデルの近くに寄り外を覗くと、例の三人組が屋敷を見張るように腕組みをし佇立していた。

 

「あの、のっぽと太っちょと三白眼の男は賊の残党だ。少し前、騎士団が一網打尽にした筈だったが、逃がしたらしい。あちらこちらで行商を襲い、困り果てた町長からの要請を受け、騎士団が動いた。しかし俺が囮になったことでお前が巻き込まれるとはな……。すまなかったな」


 頭を下げるヨーデルに、コニーは胸の前で慌てて両手を横に振る。


「い、いやそんな。僕が勝手に巻き込まれたんだ。ヨーデルは悪くなんてないよ。だから顔を上げて? ね?」


 コニーの必死な口調に、ヨーデルはゆっくりと顔を上げ、「まあ、それもそうだな」とあっけらかんと笑う。その切り替えの速さに釈然としない気持ちをコニーが抱えると、胡座を掻いたヨーデルがコニーを見て柔く微笑んだ。


「それではコニー。騎士団がここに来るまでの間、暇潰しに市井の話を聞かせてくれ」

「し、市井?」

「ああ。お前は普段、どんな生活をしている。朝は? 昼は? 夜は? 街の人は? ここはどんな街だ? 楽しいことや困ったことが沢山あるだろう。お前の日々の生活を、俺にありのまま聞かせてくれ」


 ヨーデルの口元や目元は三日月を描くように柔く笑っているのに、その瞳が抱く光は強い。澄明な青空に星の瞬きをそのまま閉じ込めたような眩さに、コニーは双眸を細め、父の言葉を思い返した。


 ――この国の第二王子は、とても真面目なお方だ。彼がこの国の片翼を担えば、この国は今以上に発展し、笑みの絶えない国になるだろう。


 コニーは瞳を輝かせながら、まだ見ぬお方に羨望の情を抱いた。いつか会えるかなと言ったコニーに、父は強く顎を引き、コニーの頭を優しく撫でてくれた。


――ああ、きっと。お前が優しく強い気持ちを持っていれば、いつか。


 コニーは喉を鳴らす。鼓動が早鐘を打つ。ヨーデルと同じようにあぐらを掻いたコニーは胸元の服を右手で握りしめ、床に置いた左手を握りしめた。そして、手のひらに滲んだ汗を指先でそっと拭い、声が震えないよう口を開いた。



 コニーの住む街は、一見穏やかで平和だ。しかし、光あらば影がある。仕事を求め溢れた男は浮浪者となり、女は春を売る。

 コニーには春を売ると言うのがどういったことか分からないが、噂を口にする人々の顔つきからあまり良くないことなのだと薄々感じ取っていた。

 それでも諍いの絶えない周辺国と比べるとこの国はまだマシな方なのだと、皆口を揃えて言う。


「ねえ、ヨーデル。何で皆、仲良くできないんだろうね。悪いことをしたらごめんねって謝って、良いことをしたらありがとうってお礼を言う。そんな単純なことじゃないのかな」


 コニーが眉尻を下げ小首を傾げると、ヨーデルは目を細めた。


「そうだな。そうできたら良いが、皆、大事な何かを守るために簡単に頭を下げたりはできないのだろう。……でも、私は諦めたくない。兄上と共に誓ったんだ。この国を笑顔の絶えない豊かな地にするんだと」


 小さな窓に向けたヨーデルの瞳は、大きな光を抱いていた。目が眩むような強い光にコニーが喉を大きく鳴らすとヨーデルはコニーの方を向き、柔く微笑んだ。


「ありがとうな、コニー。この街のことが、よく分かった」

「い、いや」 


 褒められて、面映い気持ちになりコニーの身体に熱が溜まる。ヨーデルはくすりと小さく笑みを溢し、俯き、口ごもるコニーの頭をくしゃりと撫でてくれた。 

 離れていく暖かなその掌を追いかけるように、コニーは顔を上げる。そして、視界に入ったヨーデルのそれに息を呑んだ。

 ヨーデルの掌は白魚のように柔いかと思いきや石のようにゴツゴツと硬そうで、凹凸がある。 


 ――剣だこだ。


 垣間見たヨーデルの努力に、コニーの胸の奥がじんわりと滲むように熱くなる。


「僕、強くなるよ」


 口からするりと出た言葉に、言った筈のコニーが驚く。しかしそれは、コニーの胸の奥深くにすぐに収まった。まるで前からそこにいたみたいに。

 コニーの覚悟を、待っていたみたいに。

 コニーは深く顎を引く。そして、ヨーデルの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「大人になって父さんより強くなって、ヨーデルと一緒にこの国を守る。だから、それまで待ってて」 


 コニーの言葉にヨーデルは虚を突かれたように目を丸くする。しかし、目を逸らさないコニーにヨーデルは軽く息を吐くと、ふわりと目元を緩めた。


「ああ、待ってる」


 ヨーデル。嬉しくなったコニーが名前を呼ぼうとした瞬間、階下からけたたましい足音と耳をつん裂くような怒声が聞こえた。


「……やっと来たか」


 扉の合間から飛び込んでくる唸り声と甲高い金属音。事態に追いつけずコニーが当惑していると、ヨーデルは肩を竦めた。そして、服の首元に隠れていた金色の首飾りを外すとコニーの右手を取りその上に置いた。

 先端には、ヨーデルの瞳と同じ、澄明な空の青をした涙型の宝石が付いている。


「いつか、返しに来い」 


 コニーが手元を見ていると、強い声がした。

 顔を上げると、ヨーデルが真摯な眼差しでコニーを見ていた。輝く瞳の中に、コニーが映る。

 コニーは深く、そして強く顎を引いた。


「必ず」


 ヨーデルが微笑み、顎を軽く引く。そして立ち上がると、コニーの腕を引っ張る。 


「さて、行くか」


 立ち上がったコニーは、ヨーデルの横顔を見上げた。黄金の髪を揺らし、まっすぐに前を向く澄明な空のように清々しい顔つきの大人びた少年。

 今はまだ、コニーの背はヨーデルより低いし、腕っ節だって弱いだろう。けれどいつか彼の背を追い越し、彼がコニーを引っ張り上げてくれたように、コニーが彼を引っ張り上げることができるだろうか。

 今はまだ、わからない。まだ先のことだ。でもいつか。いつか、彼の隣に立つのだとコニーは掌の中で眠るネックレスを握りしめ、誓った。


 

 階下に降りると、のっぽと太っちょと三白眼の男の他にも鄙びた麻服を纏った五、六人の男が太縄で縛り上げられ床の上に横たわっていた。


「殿下! ご無事で」


 藍色に染められた幾何学模様の騎士団の服を纏った父がヨーデルの元に跪く。ヨーデルは堂々とした佇まいで、顎を軽く引く。


「良い、ルーカス。今の私はただのヨーデルだ。それよりお前の倅の手当てをしてやってくれ。恐らくワダナルを嗅がせられている。明日には高熱が出るやもしれん」

「倅って……コニー⁉︎ お前、何でここに」


 目を剥く父に、ヨーデルは宥めるようにかぶりを振る。


「コニーは勇敢にも、私を助けようとしてくれた。頭ごなしに怒るのではなく褒めてやってくれ」


 ヨーデルの言葉に、父は言葉を呑み込む。そして深く息を吐きコニーの前までやって来ると、その頭を節立った大きな手でくしゃっと撫でてくれた。


「よく頑張ったな、コニー」


 途端、目の奥が熱くなった。唇の内側が震えたが、コニーは泣くまいと真一文字に口を引き結び必死に堪えた。そして腕で目元を拭うと軽く深呼吸をし、喉元まで迫り上がってきていた熱の塊を飲み込み笑ってみせた。


「父さんの子だからね」


 コニーが胸を張ると、父はふっと表情を緩め、そうか、と頭を軽く叩いてくれた。

 父がヨーデルに向き直る。 


「さあ、城で王妃様がお待ちですよ。ニルギスが外で殿下の愛馬と待機をしていますから」

「ルーカス、お前はこのまま休暇だったな。いつ戻る」

「来週には」

「そうか。それじゃあ、その間そこの倅を鍛えてお前より強くしてやってくれ」


 ヨーデルの言葉に、父が瞠目する。そして、背を逸らし大きな口を開けて豪快に笑うと、胸に手を当て折り目正しく首を垂れた。


「ご命令とあらば、必ず」


 ヨーデルが笑みを浮かべ、コニーの拳を指差す。

 コニーはネックレスを握りしめると深く顎を引き、ヨーデルを見て真っ直ぐに笑った。



 その夜、久方ぶりに家族揃って食卓を囲んだ。母のこれ以上ない笑顔に、父の勇猛果敢な冒険譚。笑い声の絶えない時間を過ごし、コニーはベッドに潜り込んだ。

 しかし、目を閉じても高揚した気持ちでなかなか寝付けず、何度も寝返りを打つ羽目になった。

 眼裏で、青い光が何度も瞬く。

 ヨーデルから貰ったネックレスは、ベットサイドテーブルの最上段に大切にしまった。

 コニーが大人になり父より強くなったその時、コニーはやっと引き出しを開けることができる。

 コニーは瞼を持ち上げ、右手を天井に伸ばす。そして、瞳の中に瞬く星を抱く王子様を思い浮かべ、その手を強く握りしめた。


「……待っててね、ヨーデル」


 固い誓いを胸に、コニーはやがて眠りにつく。

 いつの日か隣に並ぶその日を、夢見て。

 

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瞬く星を抱く少年 槙野 光 @makino_hikari

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