「天使な悪魔」後編
ゆあの前までやって来た二人組が、掴みかからん勢いで背後を示す。
「ふざけんなし!早く戻って治せアホ女!」
「そっちで勝手に治したらいいじゃん」
シラケた調子であしらう彼女を、再び遠くから別の声が呼んだ。
「おい、ゆあ」
全員が振り向くと、脇腹を押さえた血まみれの大男がこちらに歩いてくるのが見える。ギョッとするティトンの真横を、赤嘴の女性二人が横切り男に駆け寄った。
「ちょっ…盟主!大丈夫?」
「無理しちゃ駄目じゃん!」
あっというまに両側から支えられた赤嘴の盟主は、赤い短髪に黒い鎧。厳つい体格だが整った顔をしている。背中に背負った大斧は鑑定するまでもなく一級品に見えた。後頭部で後光のように輝く大きなハロも、見事な赤だ。
そんな人間があれだけの怪我を、ダンジョンの外で負っている。話からしてその犯人は…
白羽の面々がゆあを振り向くと、彼女は忌々しげに顔を歪めて冷めた台詞を吐いた。
「なにしに来たの?折角綺麗な床が血で汚れるじゃん…あ、この前両足ブチ切れてたよね?そっちにしといたらよかったかー」
内容は元より穏やかな笑顔が怖い。意味も分からず身震いしたクエルクスがコトワリに耳打ちする。
「どういうことだ?」
状況と言葉に対する質問に、コトワリは困ったように答えた。
「彼女は…なんといいますか。その個体が一度経験した怪我も復元……つまり、「回復」できるんですよ…」
成る程、と隣で聞いていたティトンが納得し、恐怖する。ダンジョンでは生かすも殺すもヒーラーの機嫌次第……とは上級者ならよく聞く言葉だ。ゆあのスキルは顕著にその最上位に君臨しているのかもしれない。
ひっそりと身を縮めるギャラリーを無視して、赤嘴の揉め事は続く。
「盟主のお気にだからって調子に乗りやがって…」
「調子にのったのはそっちでしょう?私の大事な人を傷つけて…絶対に許さない」
「それを言うならあんただって!私らの大事な盟主をこんなにしたじゃん」
「あのさ、報復って言葉知らないの?馬鹿なの?死ぬの?」
「まあまあ、落ち着きなさい」
2対1の罵り合いに割って入ったのは梟だった。子供の姿ながらに圧のある彼を前に女性陣が黙ると、梟は赤嘴の盟主を見上げて不敵に笑う。
「うちの子がなにやら世話になったみたいだね」
「梟…テメエ」
温度差のある睨み合いは数秒続いたが、渦中にいる筈のコトワリは綺麗に無視されていた。眼中にないのだろう。察した梟が早々に話を切り上げる。
「喧嘩を買うつもりはないよ。君が彼女に謝れば済む話だ」
梟は言いながら、赤嘴の盟主とゆあの間から一歩引いた。相手が変わっただけで、険悪さは継続する。
赤嘴の盟主から謝るつもりはなさそうだ。そして引くつもりも。ゆあははなから理解しているのか、呆れたように条件を出す。
「梟さんにも、白羽のみなさんにも、今後一切出だしはしないって誓うなら戻ってもいいよ?」
「はぁ?」
すかさず左側の女性が食って掛かるのを、赤嘴盟主が遮って答えた。
「分かった」
「盟主!なんでこんなやつ…」
右側の女性が悔しげに食い下がる。鼻で笑うゆあを手のひらで示し、梟が口添えした。
「彼女がいなければ君たちの探索は厳しいものになる。それは間違いないだろう?もう少し大事に扱ってあげてほしいものだね」
その言葉を聞いて、ゆあが密かに恐縮するのに白羽の5人が気付く。しかし赤嘴の3人は構う様子もない。梟にあからさまに嫌な顔を向けた。
「大事にしているさ。貴様等には到底できないようなもてなしをしている」
血まみれの手を布で拭い、なにかを取り出した赤嘴の盟主は、ゆあの目の前に拳を突き出す。促されて手を出したゆあの手に降り注いだのは、大量の金貨だ。
「報酬が不服なら上乗せしてやる。早く治せ。時間が惜しい」
高圧的な態度と、上からの物言いと。
手から溢れそうな金貨を見据えたまま、肩を震わせていたゆあの顔が上がる。
「死ね!」
汚い言葉と共に景気よく投げつけられた金貨が、赤嘴盟主の顔に直撃し、いくつか張り付いた。それでも動じず顔を歪めただけの彼に、ゆあは人差し指を突きつける。
「そんなものいらないから約束しろ!誓え!」
低い声で命令され、不機嫌ながらも赤嘴の盟主はため息を吐いた。
「チッ…気難しい女だ。分かった、手を出さなきゃいいんだろ?」
「手だけじゃない。どんな危害でも、加えたら赤嘴は抜けるから」
「……は?」
一瞬にして空気が変わった。重苦しく、上からのしかかるような。確かな圧力を感じて、殆どの人間が身を縮めざるを得ない中、ゆあは堂々と相手を睨みつけている。そして一番小柄な梟も、いつもと変わらぬ表情で息をついた。
「全く、メンツが大事なのは分かるけどね。少しは大人になりなさい」
「ガキに言われたくない」
「そうかい?ならなおさら、ゆあちゃんとの約束は守らないとねえ?それさえできれば彼女という最上級のブランドは、君達に手を貸してくれるんだから」
「貴様等が出し抜かなければな」
「そんな心配をしていたのかい?呆れたねえ」
圧を軽くいなした梟は、続けて穏やかに説明する。
「私達はたった6人の小規模クランだよ。彼女のような高級品を受け入れるには勿体ない。それに例え彼女がいようとも、君達赤嘴が挑むようなダンジョンを攻略できるほどの力はないさ。残念ながらね」
確かに。悔しいが、実力も手数も足りない。特に最難関ダンジョンにいるレイドのような強敵とは縁が無いくらいだ。
白羽メンバーが揃って頷くのを横目に、それでも赤嘴盟主は忌々しげに梟を見下ろす。
「疑わしいな。貴様が動けば容易いだろう」
「いやー、君達みたいなのが暴れるから。盟主会が忙しくてね」
成る程、いつもおどけて躱しているのか。梟の様子から、白羽の全員が2人の盟主の関係性を察した。
赤嘴盟主は舌を打ち、ゆあに疑問を投げる。
「こんな富も力も無い奴らに構ってなにが楽しいんだ」
「はーー」
ため息が深すぎて言葉になるほどに。吐ききったゆあは、心底呆れた声で返答した。
「説明したところであんたらには一生わからないよ」
その後何度か念を押し、赤嘴の盟主を回復したゆあは、3人を先に返して頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました」
謝罪を受けた白羽メンバーは、盟主を筆頭に「いやいや、とんでもない」と両手を振る。その様子を朗らかに眺め、ゆあは最後にコトワリに向き直った。
「本当にごめんね?帰ったらもう一回治癒するから、いい子で待っててね?」
頬を優しく撫でられたコトワリが「もう治ってますよ…」と小さく呟くのに構わず、ゆあは大きく手を振って去っていった。
残された6人は見送るコトワリを待って部屋に戻る。
「しかし…あんだけ仲悪そうなのによく居着いてるな…」
「彼女も目的があってあのクランにいますから」
クエルクスのぼやきに、なんとも言えない表情のコトワリが答えた。その下から梟が不穏を注ぐ。
「それにね、赤嘴に彼女が居てくれるうちは大人しくしているだろうけど」
背中に怖気が走ったのか、ティトンは腕を擦りながら空を見上げた。
「抜ける…って言った時、空気変わったもんね…」
「コトワリ…もしかしなくとも責任重大だな?」
「えっと…ぼく、なにもできませんけど…」
茶化すでもなくイロハに背中を叩かれ、ぽかんとするコトワリを置いて4人は会議に戻る。
コトワリは謝礼ついでに盟主の手伝いをするようだ。今日のノルマは2階の廊下の雑巾がけだとかなんとか。
「しかし…あのスキルは凄い上に…………恐ろしいな…」
飲みかけだったマスカットソーダを飲み干して、クエルクスが目を細めた。その淡い緑から情景を思い出してティトンも頷く。
「コトワリのこと、あんまり死なせないように気をつけようね…」
「痛いのやだもんねー」
アロは朗らかに笑うが、内容を考えるととても笑えたものではない。
「そう怖がらずとも。コトワリが
イロハが軽く肩を竦めれば、複数の同意が返ってくる。今日の抗争がどこまでバーサク状態だったのかは、後ほどコトワリに聞いておいたほうがいいかもしれないね…とだけ結論づけて。
翌日ダンジョンから戻った4人が、コトワリの「赤嘴とゆあさんはあれが通常営業ですよ」という言葉に絶句したのは、また別の話。
エデンの箱庭 あさぎそーご @xasagi
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