二十六

 いつしか空は雲に覆われ、甲板には小粒の雨粒が時折落ちて来ていた。


 「今夜決行だ渋谷は船長室に居る、退路を無くせばそこでお縄に出来る」


 「へい、あっしは浦上を見張ってますんでお頭は喜八と一緒に渋谷のところへ行ってくだせい」


 「ああ、そっちは頼んだぜ元吉」


 隆吉が手筈を伝えると、嵐に備え操舵室に向かう浦上を追って元吉は廊下の先の階段を登っていった。いつの間にか風雨は強まり、船は大きく揺れ、嵐が来たことを知ら示していた。


その頃、船長室の前では「いいか、おめえはここで待ってろ、俺が先に入る俺が合図するまで絶対に入って来るんじゃねえぜ」隆吉が喜八へそう伝えると、喜八は「へい」と頷いた。隆吉はそれを見ると、勢いよくドアをバンっと蹴飛ばして船長室の中へ入って行った。


 「おお、これは倉本さん、なにか用事かな」浦上だった。ここに居るのは浦上だったのだ。隆吉は「しくじった」そう感じると血の気が引いた。


 「倉本さん、顔色が悪いみたいだね、少し横になった方がいいよ」そう言って突然と浦上は隆吉目掛けて殴りかかって行った。しかしその瞬間、パチンと浦上の拳に何かが当たった。


 「誰だ、てめえ」浦上が凄むとその気迫に驚きながらも、喜八はなんとか気張って「お頭!しっかりしてくだせい」と必死で叫んだ。


 「ああ、すまねえ、もう大丈夫だ、喜八は元吉のところへ行ってくれ」


 「で、でも…お頭」怖気付く喜八に向かって隆吉は「いいから、行くんだ」そう強く言って操舵室へ向かわせた。


 「さて、いつかの決着でもつけるとするか」浦上はどちらの事情も関係ないとばかり、楽しげにそう言った。


 「ああ、そうだな」


 隆吉はそれがこの状況を好転させる一番の近道だと肚を決めて返事をした。すると秒毎に強くなる風雨のせいで海は更に荒れ、船も合わせて大きく揺れていった。


 そんな中、渋谷は操舵室の真ん中の席で脚組をし、荒れ狂う海を眺め優雅に座っていた。元吉はその姿を見つけ「あいつ、浦上じゃねえ、ちっ!なんてこったい、知らせるべきか…しかし、ここは離れられねえ」そう呟き、元吉が考えあぐねていると、成熟した嵐が一瞬にして宙海丸を大きく持ち上げ船の底が抜けるほどに大きな力で船を海面に叩きつけた。

 すると元吉は運悪くその衝撃で操舵室の方へ転げて行ってしまった。

 少し揺れが収まり目を開けると、なんと元吉の前には銃をこちらに向け口角を上げた渋谷がいた。


 「確か、君は手嶋とか言ったね、君は人質としてここに居てもらおう」渋谷は元吉の命と引き換えに武器の密売を黙認させる気だった。


 元吉はそうはさせまいと、どうにか逃げ出す算段をするも答えは出なかった。仕方なく一か八か、勢いよくドアの方へ駆け出すと、またもや船は大きく揺れ、元吉は渋谷の方へ滑り落ちる様に投げ出され、渋谷の身体は操舵室の壁へ叩きつけられた、その反動で渋谷は持っていた銃の引き金を引いてしまうとパンッと乾いた音がした。銃声の後、元吉は船の揺れに抗う事なく揺れてそして動かなくなった。


 「ちっ、死んじまったか」渋谷は血潮の付いた上着を脱ぐとホルスターを丸出しのまま操舵室を後にした。


 幾分か嵐が弱まった気がする。船の揺れをなんとか乗り越えて、喜八が操舵室へ着いた頃、既に元吉は亡くなっていた。


 「元吉…」喜八は倒れて動かない元吉を揺すりながら何度も呼びかけたが無駄だった。元吉が撃たれた胸元の服の一部を破いて、ポケットにしまうと「仇は取るぜ」そう云って手を合わせると喜八は渋谷の後を追った。しかし、必死に夜通し探しても渋谷は見つからなかった。恐ろしいほどに痕跡は跡形も無く消えていた。


 船長室の窓からは決着の付かない決闘に終わりを告げる様に夜明け前の空が見え、いつしか嵐は去り、海は平静を取り戻していた。

 喜八も夜明けには敵わず隆吉の元へなくなく戻ると、その状況に唖然として言葉が出なかった。

 未だ勝敗がつかず船長室で浦上と一夜を明かすなんて笑えもしない。

 渋谷善友の大勝だった。まんまと嵌められしまったのだ。

 しかし隆吉はその恥を承知で「すまねえ、それで元吉の方はどうだった」我慢して気丈に振る舞いながら喜八に尋ねると、喜八は目を真っ赤にして「亡くなりました…」少しの間を空けて「亡くなったんですよ」そう叫ぶと、隆吉は黙ったままその場に跪いた。


 日が見える迄の僅かな時間、二人は再び渋谷を探したが渋谷も生物兵器も見つからなかった。完全に夜が明ける前、元吉の遺体を海に投げ込むと二人は元吉に手を合わせた。


 それから、船内は昨夜の出来事が何も無かったかのように進んでいった。浦上は昨日と変わらずに操舵室で舵を切っている。悔しいが、船長は浦上しかいない、中津川の一手がここでも地味に効いていた。しかし、この隠れた悪どい連中を懲らしめ悪事を暴きそして元吉の仇を取る。嵐の後の雲ひとつない青空を見上げ、隆吉はそう魂に誓ったのである。


 「なあ、喜八、あいつらお勤めで一番しちゃならねえ、掟を破りやがった…」


 「へい…」喜八が覇気なく返事をすると、隆吉は隠な雰囲気をかき消す様に力強く言葉を発した。


 「いいか、俺はまた盗賊になるぜ、まずは此処から抜け出して渋谷と中津川に一泡吹かせてやるぞ」


 「やったぜ!お頭とうとう戻ってくれるんですね、これで元吉も報われるぜ、でも、どうやって海の真ん中から逃げ出すんで」


 そう言われた隆吉は喜八の後方を見つめると、遥か水平線を指差して「見てみろ、女神様が俺たちを迎えに来てるぜ」と疼く心のまま言ってみせた。


 「咲姉!」喜八が思わず声を上げると義三郎の持つ巨大な船に乗ったお咲が「隆吉!これからは私が親分だよ!」と大声で叫びながら近付いて来るのが見えた。


隆吉はそれを見ると「ふん、大変なお頭を持っちまったぜ…」そう言って着ていた洋服を空へ投げ捨てると、ざぶんっと水飛沫を上げ海へ飛び込んで行った。

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元盗賊の因果 満梛 平太老 @churyuho

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