死者からの願い

穂積蓮

第1話 死者からの願い

アキトを振切り、飛び乗ったタクシーで、後部座席の窓に頬づえをつきながら

遠い目で通り過ぎる街並みを見つめ考えている。


『いつかまた逢おう、たとえ世界が変わっても・・・。』俺は誰と約束したんだ。


不思議だ。思い出そうとすればするほど、過去が曖昧になって行く。

目まぐるしく変化する街並みが遅くなり、やがて静止する。

はっとして後部座席から前をのぞき込む。なんだ。ただの信号待ちか・・・。

とてつも無く危険な気がしたのだが・・・気のせいか。


バタン。信号待ちのさなか突然タクシーのドアが開く?

ドアにもたれ掛かりガラス越しに横断歩道を渡る群衆を見ていた俺は

危うくタクシーから落ちそうになった。


運転手「あら?何だ?空いた?ああ!すいません!あっ。

    申し訳ありません。開けたつもりは無かったんですが??

    ケガとかありませんでしたか?」


彰彦「いや。大丈夫だ。」

体半分タクシーから落ちかけたが軽く、ほほ笑みながら答えた。


運転手「本当に申し訳ありませんでした。」

開いてしまった後部ドアを閉めながら運転手は誤っている。


彰彦「いいよ。大丈夫だ。青になったよ。」


運転手「あっ。ハイ。今すぐ出します。」


操作ミスだったんだな。

信号待ちで気が緩み、間違えて客が出入りするドアを開けてしまったようだ。

一人ブツブツと小声で何か言っている運転手が少しだけ気の毒だと思いながらも

運転手が、どんな反応をするのか期待を込めて眺めていたのが災いしたんだろう。完全に不意を突かれてしまった。


「彰彦さん。お久しぶりですね。」

誰も乗っていないはずの後部座席右側から声が聞こえた・・・つまり俺の右側。

はっきり断言する。ビビったよ。ぞッとした。

何が起きたか知る為にビビりまくる体を押さえつけ、平静を装いながらゆっくりと

右を向くが、顔がヒクヒクしているのが解る。何とか声を出さずに我慢できたのもここまでだった。

聴こえた声が、いつの間にか隣に座った何かが、言ったのだと思った俺は

驚きの余り悲鳴を上げてしまった。悲鳴に驚いた運転手が声を掛ける。


運転手「ど・どうしました!」


彰彦「い・い・イヤ。な・・なんでもない。」


-どうしたのだ。-

(バビロン。お前には見えないのか?)

-何をさっきから、おかしなことばかり言っている。何が見えるのだ?-


この幽霊はバビロンには見えてない。・・・気のせいか?・・・そうだよな。

恐怖心で一杯の俺は平常心を取り戻そうと、精一杯に楽観的な考えをすることにした。体が小刻みに震えているのが運転手にバレないように祈りながらだけど・・・。


幽霊タクシーは都市伝説でもよくあるが、大体はTVのドッキリ企画が元になって出来た話だしね。幽霊たくしー。あ・あ・ああるわけない。気のせいだよ。

リアルに幻聴まで聞こえたけ・ど・・ん?

んん?・・・でも・・今・・俺の名前呼んだよな。・・・鳥肌が・・・


そうか!解った!


幻聴は俺が創り出す事だから当然、俺の名前くらい知って・・・しって?うっ。

右に見えた何かは、以前どこかで合ったような気が・・・。

怖くて右が向けない。俺はさっき見た幽霊の顔を思い返す・・・うっ。

記憶に有る顔と、いつの間にかタクシーに乗り込んだヤツの顔が一致した。

クラクラするくらいビビって・・。違う。違うよ。俺の所に来るはずがない。


俺は〇〇〇〇が嫌いなんだから〇〇〇〇も嫌いなはず。


だから、例え幽霊になっても俺の所には来ない!

絶対に来るはずが無い。それに、思い返せば今日はおかしな事ばかりだ。

記憶の混乱に奇妙な喪失感。頭から離れない『必ずまた逢おう。』何かが、おかしい。


「彰彦さん。」うっ。また、同じ声だ。


お前はオレがき、き・き、嫌い何だろ。き・嫌いな人の所にくる幽霊は・・・

恨み・で・きた。違う!俺は被害者だ!俺が!お前を恨んでるんだよ・・・あっ。

聴いたことある。TVで言っていた。『酔っ払いと幽霊に何故?は、無い。』と。ヤバイ。呪い殺される。


深呼吸一回。自分に言い聞かせる。全て幻覚なんだ。

だから、隣には誰も居ない!怨恨者を乗せた幽霊タクシー?

ある訳ないだろ!ましてや、信号待ちまで待って~ドアを開けてぇ、はんぁ~

幽霊がやってくる訳ないだろう!

そんなん有りだったらサンタクロースだってタクシーでくるっての!

あり得ない!確かめてやる。何が起きても悲鳴を出すもんか!

と心に硬く誓い、恐るおそる声の方を向き掛ける前に、喋りやがった。


「私です。覚えていますか?」うっき~ぃ。本物だ。

鳥肌を立てながら無駄と知りつつ平静を装い引き攣った笑いを浮かべ、口をパクパク。2、3秒で声がやっとでた。


彰彦「だ・だ・・違う・ど・どうも。お久しぶりで・・・」


運転手「ハイ?なにか?」


彰彦「お!お。お・・わ・わ~悪いな。独り言だ。」


本当は、関係ない運転手相手に怒鳴り散らしたかった。『お前には関係ね~よ!黙ってろ!』と。こんな時は八つ当たりと空元気で虚勢を張りたい。

誰でもそうしたいはずだが、奇跡的に叫ぶ事を抑え込む事が出来た。


運転手「顔が真っ青ですが・・ご気分が悪いのであれば、停めますか?」

天の声!助かった!と・停めてくれ~今すぐ止めてくれ~!


彰彦「そ・そうね。す・す・す・すぐに停めて。」


「あの、彰彦さん。」


彰彦「少しだけ黙ってくれるか。」

おお!幽霊にビシッと言えた!我ながら感心する。心臓はバクバクしてるけど


「おお怖いですわね~。解りました。黙ってます。」


-どうしたんだ彰彦。-

(香奈母がタクシーに乗ってきやがった。)

-彰彦。何を言っている。-


運転手「ここでよろしいですか?」

訳が解らず運転手は困惑している。気の毒だと思うが・・・許してくれ。


彰彦「いいよ!いくら!おつりは、いらないから!」

運転手に幽霊を置き去りにしようとしている事など、決してを悟られない為に

必要以上に元気に、愛想よく答えるが、体は全開で逃げようとしている。

まだだ。もう少し我慢するんだ。金を投げるように払い、おつりをもらうのも、もどかしく小走りに逃げながら小声で呟く。


『着いてくるなよ。着いてくるなよ~。』

タクシーから降りて一つ目の角を曲がるまでは小声でひたすら我慢する。

角を曲がりタクシーが見えなくなった途端に、我慢していた何かが一気に爆発。


「おつり分タクシーに乗って好きな所にイケ~!」 


最後はデカい声になっていた。周りの人々が注目するが、構うもんか!

大声を切っ掛けに脱兎のように走り出した。はあはあ喘ぎながら着いてくるな!と、ひたすら念じ続ける。逃走計画は・・・


1.香奈母幽霊をタクシーに置き去りにする。・・・香奈母地縛霊計画。

2.おつり分、香奈母幽霊にタクシーを堪能してもいらう。・・・接待ごますり計画。

3.全速で走り香奈母幽霊を撒く。・・・いつもの計画。

4!気合と念で香奈母幽霊を退散させる。・・・お願い!もう来ないで計画。


これだけやれば、どれか上手く行くはず。イヤ。必ず上手く行く!

念の為に十字路は必ず右か左に交互に曲がる!走る!長~い直線。

ヤバイ見つかる~!十字路発見!彰彦!右! 曲が~る!ハイ!そして~走~る!

まずい!行き止まり~。目の前に壁が~!止まったら香奈母幽霊に捕まる!振り返ったら食われる!何があっても走るう~!壁!飛び越え~る!どりゃ~あ!。


アクシデント発生! 飛び越えたら~民家の庭!

・・・知らん。そんなん知らん。ここは民家じゃない! そんな風に見える道路だ!

着地!廻りを見廻す!ピ~ンチ!優雅にガーデニングしてる主婦~見つかった!


不法侵入・・バレたぁ・・・けど、ハア、ハア。知らん! ここは道路だ!

-彰彦。何をしている。-


バビロン?か・・・知ら~ん!強行突破~!出来るだけ早く駆け抜ける!

全開で行けば、ババアの記憶に残らない!これ、世界の決りごとあるね!

一気に庭を駆け抜け次の塀・飛び越え~る!飛び越えたら~また民家ぁ!~知らん!

ハア。ハア。見つかる前に次!飛び越える!・・・また民家ぁ~!

クソ!またハズレだ!ハア。ハア。廻り・見廻す・あっ。ああ!

道路に面した出入り口発見!目標に向かって~走る!道路に・出たあ!


どっち?どっちに行く?ん~取りあえず左!


走るう~ここは~何処だあ?自分に聴く!・・・知らん!

息切れが激しくなり目の前がかすみ出した頃、角を曲がり電信柱に持たれ掛かる。

はあ、ハア。こ・こ。これだけ・に・ハア・逃げ・れば・・・。


「彰彦さん。」


うぎゃ~あ!!!ハアハア喘いでいるのに声が出た驚きも加わり背筋がピン!となり

つま先から頭の先に向けて一気に電流が走った途端にガン。頭に衝撃が・・・。

多分だけど、空から一斗缶が落ちて来た。???・・・そう思っただけだった。

声に驚き、思い切り飛び上がったから電柱を支える支線に頭をブツケタだけだった。

その衝撃で俺は正気にもどり、幽霊を撒くことは出来ないと悟った。


香奈の母は、もう死んでいる。

マンションのバルコニーから、笑いながら香奈が突き落としたからだ。

幽霊の癖にタクシーにドアを開けて乗り込んだりするだけあって

アスファルトに叩き付けられ、ぐちゃぐちゃになった姿ではなく

生前の姿そのままに現れて、くれた事にだけは感謝しよう。生きてる時もガチガチの常識人だったからな。息を整えながら2~3分歩き、香奈母幽霊が着いて来ていない事を祈りながら歩くと、公園が見つかった。午後の柔らかな日差しが差し込み、追いかけっこに夢中になっている子供達。公園デビューを果たした新参者を囲んで雑談に花を咲かせる主婦達。季節がら、枯葉が遊歩道にちらほらと見受けられる。


少し前だったら、考えられないくらいに穏やかな時間が流れ

俺の気持ちも落ち着いた頃に木製ベンチが目についた。

小奇麗なベンチに枯葉が舞い落ち、何故かそこだけ廻りよりも優しく明るい空間がある。誘われるように近づきベンチの中心に座ると香奈母幽霊が『私の座るところが無い。』と不平を漏らしている。


それでいい。中心に座ったのは嫌がらせだ。


これで俺に嫌気が指しどこかに行って欲しかった。周りの主婦にでも気を取られて俺の前から消えてくれてもよかった。今までの経験上、幽霊は何かに気を囚われやすいから何か気を引くものがあれば、すぐにそちらに着いていく。

人込みで幽霊を撒く・・・それに期待した。


母「もうお話しても、いいでしょうか。」

ダメだったか・・・。半分だけ諦め答えた。


彰彦「いいですよ。出来れば言葉に出すことなく

   俺の意志が伝わるといいんですがね。」

厭味ったらしく言ってやった。


母「それは貴方がする事じゃないですか。」

ムカつく!相変わらず勝手なヤツだ。そんな性格だから・・・。ああ、香奈もこんな所あったと思ったら余計に腹が立って来た。けど・・・仕方ないな。香奈もそうだったから。ため息を漏らしながらバ、ビロンに話しかけるように問いかけてみる。

今日は何の用で、わざわざ出て来たんですか?と。同時に返事が返って来た。


-何を言ってる。-

「今日は香奈の事で、お願いがありまして。」


心を閉ざしバビロンにだけ伝えるつもりで念じる。(香奈母幽霊が来ている。お前は見えないようだがな。香奈母幽霊も、お前は見えてい無いようだから、暫く黙っていてくれ。お前に気付かれたくない。万が一の切り札として、お前を残して置きたい。)


-理解した。-

香奈母幽霊に変化は無い。バビロンとの対幽霊用シークレット回線は有効だったようだ。必要最小限の事情は伝わっただろう。あとはオープン回線で香奈母幽霊に話しかければ元々俺と同じ存在だったバビロンには理解できるはずだ。切り札に気付かれ無いように香奈母幽霊に話しかける。


(俺に、願い事だって?そんな事を頼める立場なのか良く考えろよ。)

生きていた時も身勝手だった香奈母は『まあ、なんて事を言うのかしら。』

と、言いたげな顔と態度を取っている。死んでも、その性格は治らないんだな。

生意気なヤツ・・・そう、コイツは・・・99%の絶望で死を選択しようとしていた俺に残った、たった1%の希望。


『香奈ともう一度話が出来れば、何か変わるかもしれない。』


そんな淡い希望を打ち砕き100%の絶望に変えたのはコイツだ。あの時もこんな顔をしていた。もちろん当時の俺はコイツの本性を知っていた訳ではない。だから、コイツに頼んだんだ。もう一度合わせてくれと。返って来た返事は『もう、関わらないでほしい。』その言葉に、ぐうの音も出なかった。

香奈が俺を裏切ったから、こんな事になったんだと伝えれば少しは変わったのかも知れない。そんな事も考えたが、香奈母に伝える事は出来なかった。

コイツの本性が解ったのは俺が致死量の3倍以上の毒物を飲んだ後だった。

バビロン世界で見た真実は香奈の裏切りを知りながらコイツは香奈を諭す事もせず。

俺から遠ざけた。その時の恨みが今になって止められない程の怒りになり幽霊に対する恐怖心を押しつぶしている。


「香奈が人様に迷惑を掛けてしまいそうで

 私は、いてもたってもいられなくて・・・。遠縁にあたる親戚まで相談に行ったの          

 に誰も私の話を聴いてくれないのよ。

 困り果てている所に貴方がタクシーに乗っているのが見えたので

 失礼かとは思いましたけど、思い切って相談してみる事にしたのよ。」


(知らないのか?アンタはもう死んでいるんだよ。 他に行ってくれ。

 アンタの願いを聞き入れる程に俺は、人間が出来ていないもんでね。消えろよ。)


「まあ。なんて事言うのかしらこの人は。以前はあんなに優しかったのに・・」


(優しかった俺が変わるほどの事をアンタはしたんだよ。消えろよ。

 もう一度、言う。幽霊でも聞こえるように、ゆっくりと言ってやる。 消えろ。)


「酷い人ね、おいしいお米だってあげたじゃないの。」


(どっちが酷い人だよ。・・・まあいいや。米だよね、旨かったよ。ありがとう。

 お礼にアンタの墓に米をお供えしてやるよ。それでいいだろう。消えろ。)


「なんて人なの!人の好意を踏みにじるなんて!解りました。もう頼みません。」


香奈母幽霊は消えた。本当に勝手なヤツだ!自分の要求ばかり押し付けやがって!

何が美味しい米だ。そのくらいで化けて出るんじゃねえよ。育ちがいいくせによ。


-彰彦。米、それで化けて出た訳じゃ無いと思うのだがな。-

(なんでもいいだろう。俺はそう思ったんだよ。)


「あの~。せめてお話だけでも聴いていただけませんか・・」

ビックリしたよ。何だよ。突然きやがって!しかも後ろからか!早いよ。消えたの数秒じゃんかよ。立ち直り、切り替えどれも早すぎじゃんかよ。飽きれたヤツだ!


(なんだよ。消えたんじゃ無いのかよ。)

「貴方以外に私の声が聞こえる人が居なくて、仕方がないのよ。」

ムカつく。そんな理由で俺の所に来たのかよ。そう思いながらも香奈母幽霊は本物なのか?疑問が沸く。普通そういうのは特別な思い入れがある人とかに行くんじゃ・・・違うのか?幽霊だから仕方ないのか・・・存在自体が非常識なんだもんな。

こんな体質に生まれた俺を恨むしかないのかね。でも・・・


(何人と話した? それは知り合いか?)

「近くの人、数人と九州へ嫁に行った同級生に」

本物だな。数秒で九州往復しやがった。時間無視は幽霊の特徴だから。俺は諦めた。


(解ったよ。わ・かった・よ! 聴いてやるよ。その代わり交換条件がある。

 一つ。話は聴くがアンタの望みを叶えるかどうかは別だ。

 一つ。話が終わったら二度と俺の前に現れるな。

 一つ。俺は、お前の墓参りには行かないし、米も供えないからな。

 これが条件だ!解ったか。)


結構な勢いで言ったつもりだったが

『何の事か解りませんがいいでしょう。お米はあげたものだし。』と

香奈母幽霊は俺に譲歩したつもりらしいのがムカつく。お前のは譲歩じゃねえよ!

俺が譲歩しているんだよ。と、言っても解らないか・・・。コイツは死んだ事はおろか、娘に殺された事も覚えていないらしい・・・。悲惨な死を迎えた死者に現実を告知するのは残酷過ぎる。どんなに嫌いでも、死者を追い込む事もないだろう。

死者に鞭打つ事が何となく、理不尽に思えてきた。


「あら?どうしたのかしら、以前のような優しいお顔に戻ったわね。」

この言葉には落胆したね。こちらの気持ちに一切気付くことない鈍感さと、勘違いがいくつも重なった天然思考・・・それらを凌駕する感の良さ。やっぱり親子だ、香奈にそっくりだ。ほんの少し前まで、毎日のように味わっていた矛盾に久しぶりに遇えたような気がした。このイラつくけど、心が暖まるような矛盾に出遭うといつも俺は溜め息をついた。愛おしさと諦めがこもった溜め息を。

だけど、そんなとき俺の顔が怖かったのか?それともあきれ返った顔をしていたのか?どちらにしても香奈に愛おしさは伝わらなかった。もし、香奈に愛おしさを伝える事が出来たなら・・・すべてが、変わっていただろう。


過去に戻る事が出来れば伝える事が・・・。あぁ。馬鹿か俺は。過去に戻っても、できなかったんだろうがよ!無理だったんだよ!結論が出たんだろう!思い出せ!

残った方法は、前に進む。それしか無いんだよ。


「聴いてますの?」


彰彦「ああ。聴いていなかった・・・ゴメン。

   もう一度だけ、始めから話してくれないか。」

香奈母幽霊は勝手に話を進めていたようだ。やっぱり似ている。


「呆れました。怖がりもしないなんて・・・。

 あの人が出来るなら連れて来てくれ、なんて言い出すし・・・。

 不思議な人ですねえ。」

なにが? そう言い掛けた俺を制して香奈母幽霊は願い事を話し出す。


幽霊の願いは香奈をもう一度、以前のように笑顔にして欲しい。たったそれだけだった・・・。それだけの為に・・・嫌いな俺の所に来たのか。そう思うと心を動かさずにはいられなかった。この人は、自分が死んだことを知らない。誰も自分に気付いてくれない。香奈さえ気付かない。そんな状況で、この人が思い付いたのはあの時・・・俺に遇おうとした香奈を止めたから香奈が恨んで自分を無視している。そう思ったらしい。自分の娘に殺されたのに、死んでからも娘を想い続けるばかりか

助けてくれと頼みにくる。娘にだけは優しいんだな。

せめて、その千分の1でも愛情を母さんが俺に向けて・・・。いいんだ。無理だったんだ。もう・・・・・・諦めた。


この人・・香奈母には、香奈は今でも以前と変わらない姿に見えているんだ。

面影さえ残さず、次々に人を殺すモンスター。そんなふうには、この人には映っていない。この人には哀しい顔をした・香奈・としか見えないんだ。


幽霊は、どのくらい記憶を持つことが出来るのだろうか?自分に都合のよい事だけ記憶するのだろうか。恨みだけ記憶している幽霊。欲望だけの幽霊。哀しみだけの幽霊。この人には今のままでいて欲しい。娘だけに愛情を向け続ける幽霊でいて欲しい。馬鹿な事を考えるな俺って。

幽霊がそのままなんて・・・迷惑でしかないだろうに。


彰彦「願い事は解ったよ。

   なあ。香奈母。交換条件を増やしてもいいか?」

いつもの呆れ顔をされるかと思ったが、違った。微笑んでやがる。全く・・この人は何処まで理解しているんだ?


「私に出来る事ならいいでしょう。でも我儘は許しませんよ。」

この言い回し、いつから俺の母親になったんだよ。呆れるぜ。


彰彦「香奈が今どこにいるか知っているなら教えて欲しい。

   それと、香奈母がもう一度、香奈と話す事が出来るようになったら

   優しくして欲しい。

   世界中の人が香奈を嫌っても貴方は、味方でいて欲しい。」

香奈に殺された事を思い出してもって事だよ。出来るのかお前に。


「まあ。何を言い出すのかと思えば、そんな当たり前の事を言うなんて。

 そんな事は母として当たり前のことですよ。

 それより、香奈に笑顔を戻してくれるのですか。」


彰彦「もちろんだよ。」

俺に、それが出来るのなら、だけど・・・。


「良かったわ。これで安心できる。

 さっきの貴方が言いだした味方の事ですけどね

 彰彦さん。貴方も香奈の味方で、いてくれるのでしょうね。」


彰彦「例え、世界中を敵にしても俺は香奈の味方だよ。」

当たり前の事を聴くなよ・・・。


「約束できますの?」


彰彦「もちろん。約束出来るよ。香奈母。アンタも約束出来るんだろうな。」


「まあ。自分の母親に対してアンタだなんて、なんて子かしら。」

コイツ肝心なところで記憶が曖昧になりやがった。幽霊だから、仕方ないにしても重要なところだから絶対に忘れて貰っては困るんだよ。


彰彦「俺と約束しろ!世界中が香奈を嫌っても、お前は優しくすると!」


「もう~この子はそんなに、お母さんを信用できないんですか?

 それじゃあ、お互いに約束しましょうね。こっちに来なさい彰彦。約束するわよ。

 早く。早く。来なさい。」

言われるがままに香奈母に近づいた俺を香奈母は優しく抱きしめ、こう言った。


「約束よ。私は、何があっても香奈に優しくします。

 今度は彰彦の番よ。さあ、約束して。」

いきなりなんだよ。ボケ幽霊の癖に・・・照れ臭かった。

俺の顔は多分、赤くなっていただろう。多分だけど。


彰彦「約束する。世界中が香奈の敵になっても俺は香奈の味方でいる。

   死ぬまでずっとだ。」

香奈母は、俺の両腕を強く持ったまま突然離れ、俺の顔を覗き込み優しくこう言った。


「100点よ。それじゃあ私も付け加えるわね。幽霊でも約束は約束よ。

 ちゃんと守りますから、安心しなさい。 私が香奈に殺されたからって変わるもん 

 じゃないわ。これで、安心して成仏できるわ。ありがとう。」


なんだよ。覚えていたのかよ。それじゃあ俺を子供扱いしたのも、混乱したから・・・じゃあ無いのか?ちょっと待ってくれ。


俺は幽霊にまで騙されるのかよ・・・イラつきを隠さないままに見つめ返すと香奈母は景色に溶け込み始めている。消えかかっているのか?成仏するのかよ?もう少し居てくれ。まだ聴きたいことがあるんだ。


「貴方達の結婚を許可します。貴方は私の息子よ。意地っ張りだけどね。」

なに言ってんだよ・・・。俺が聴きたいのはそれじゃ・・・


彰彦「お前に許してもらわなくても・・・」

何を言っているんだ俺は!そうじゃない。伝える事があるだろう!


「意地っ張りはダメよ。意地を張った分だけ必ず損をするから。」

沢山あるんだ。伝えなければ、いけない事が! 早く伝えなければ、何から言えばいいんだ?焦った俺から出た言葉は・・・


彰彦「ありがとう。お母さん。」


「今度は伝える事が出来たのね。香奈にも伝えられると、いいわね。」

それも、知っていたのか・・・よ。香奈母は満面の笑みで消えていった。

まだ、近くにいないか目を凝らし捜すが見つける事が出来ない。さっきのようにいきなり後ろから声を掛ける事も、知らない間に隣に座っている事もない。どうして、いつも望む事だけが叶わない。いつも。いつも・・・だ・・


-出来ることならば・・・私にもっと力があれば-

(バビロン・・・)

-無理に話さなくてもいい。私には心が伝わる。-


香奈母の居場所を奪うように、一人で真ん中に座ったベンチに落ちた枯葉を払う。


ここに座ってもらうんだ。


優しい光が消え失せた小奇麗なベンチは、夕日に照らされ長い影を創り始めた。

舞い落ちる枯葉がベンチに落ちる度に、何度も枯葉を払い、あの人が座れる場所を創った。オレンジ色の世界が沈みかけ、寒さを感じ出した頃。諦めの悪い俺は、香奈母をぽつりと呼んだ。


彰彦「ババア。」

彰彦「・・・・・・ば。」

彰彦「・・・ババア。聞こえないのかよババア。クソババア~!いないのかよ。

   どんなに耳が遠くても!悪口は・・・聴こえるんだろ!」


長く伸びた影が夜色に変わり、街明りがベンチを照らしても来てくれなかった。最後にもう一度だけ・・枯葉を払い歩き出す。なあ。もし、俺の声が天国に届いていたなら次に逢った時に誤るよ・・・母さん。


=====ティアーズオブモンスター  第16話より======

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