エピローグ: 「霧の向こうの新たな物語」
2024年の夏、ロンドンのとある古い屋敷の屋根裏部屋で、一人の若い女性が埃まみれの古い日記を手に取っていた。エミリー・フォスター、マリア・フォスター博士の孫娘である。彼女は、祖母の遺品を整理する中で、この日記を見つけたのだ。
「まさか、これが……」
エミリーは息を呑んだ。日記の表紙には、「遠野研究日記」と記されていた。彼女は幼い頃から、祖母マリアの遠野での冒険譚を聞いて育った。しかし、それはあくまで昔話のように感じていた。ところが今、その証拠が目の前にあるのだ。
エミリーは夢中で日記を読み進めた。そこに記された内容は、彼女の想像をはるかに超えるものだった。科学では説明できない現象、妖怪たちとの交流、そして人間と自然の深い繋がり。全てが生々しく、まるで昨日の出来事のように描かれていた。
「これは、単なる民俗学の研究じゃない。祖母は、まるで別の世界を体験していたんだわ」
エミリーの心に、強い衝動が湧き上がった。彼女もまた、遠野を訪れたいと思ったのだ。科学の最先端を行く時代に育った世代として、祖母の体験した世界を自分の目で確かめたい。そう、彼女は遠野行きを決意した。
◆
数週間後、エミリーは遠野の地を踏んでいた。彼女の目に映る風景は、祖母の日記に描かれたものとさほど変わらない。しかし、町には現代的な要素も入り混じっていた。伝統的な家屋の隣にはモダンな建物が立ち、街角にはWi-Fiスポットの案内が見られる。
「まるで、過去と現在が混ざり合っているみたい」
エミリーは、祖母の日記に記されていた月光亭を探した。しかし、その場所には「遠野民俗研究所」という建物が建っていた。困惑するエミリーに、近くの老婆が声をかけた。
「お嬢さん、何か探し物かね?」
「あの、月光亭という旅館を探しているんですが……」
老婆は懐かしそうに微笑んだ。
「ああ、月光亭か。もう50年ほど前に研究所に変わったんだよ。でも、その建物の中に、昔の面影は残っているさ」
エミリーは礼を言って研究所に向かった。入り口で、彼女は驚きの声を上げた。そこには、若々しい姿の蒼が立っていたのだ。
「まさか……蒼さん?」
蒼は穏やかな笑みを浮かべた。
「よく来たね、エミリー。君が来ることは、もうわかっていたよ」
エミリーは困惑した。
「どうして私のことを? そして、祖母の日記に書かれていた通り、あなたはまったく歳を取っていない……」
蒼は静かに頷いた。
「長い話になるけど、マリアさんと私たちの間に起こったことが、全ての始まりなんだ。さあ、中に入ろう。遠野の新しい物語を聞かせてあげよう」
研究所の中は、最新の設備と古い民具が不思議な調和を保っていた。エミリーは、蒼の案内で館内を巡りながら、遠野の歴史と現在について話を聞いた。
「マリアさんの研究をきっかけに、私たちは伝統と科学の融合を目指してきたんだ。今では、世界中から研究者が訪れる場所になったよ」
蒼は、エミリーに研究所の活動を説明した。伝統的な祭りの復活と観光への活用、古い伝承を現代医療に応用する試み、そして環境保護活動など、多岐にわたる取り組みが行われていた。
「でも、一番大切なのは、目に見えない世界との調和を保つこと。それが、私たちの使命なんだ」
蒼の言葉に、エミリーは深く頷いた。彼女は、祖母が感じたであろう感動を、今まさに追体験していた。
その夜、エミリーは研究所の庭で、不思議な光景を目にした。淡い光を放つ球体が、空中をゆっくりと舞っている。
「あれが……狐火……」
エミリーは、祖母の日記で読んだ現象を目の当たりにして、息を呑んだ。そして、その瞬間、彼女の中で何かが変わった。科学では説明できない現象を、自分の目で見たのだ。
翌日、エミリーは蒼に自分の決意を告げた。
「私も、祖母のように遠野の研究を続けたいです。科学と伝統の融合、そして目に見えない世界との共存。これらのテーマを、現代の視点から探求したいんです」
蒼は嬉しそうに微笑んだ。
「うん。マリアさんも、きっと喜んでいると思うよ。さあ、新しい冒険の始まりだ」
エミリーは、祖母の日記を胸に抱きしめた。これから始まる研究は、単なる学術的なものではない。それは、人間と自然、科学と伝統、そして現実と非現実の境界を探る、壮大な旅になるだろう。
遠野の霧の中で、エミリーの、そして新たな時代の物語が、静かに、しかし確実に始まろうとしていた。
(了)
遠野幻想譚 ―霧の向こうの約束― 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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