第2話 炸裂! 五年越しの愛!
わたしが用意したのはなんの変哲もない無糖のアイスティー。
適当に業務用の濃縮タイプの紅茶を水で割って冷蔵庫で冷やしたもの。それをグラスに移して氷を入れただけ。美味くもないが不味くもない普通のアイスティーだ。
「葉月ちゃん、彩里ちゃん、まずはひと口飲んでみてね」
きららに言われて、わたしもストローでひと口飲むが、まさにいつもの味ってヤツで今さら確かめるまでもない。
「これからウチのお店では、いまからやる本物の呪文使うから、ふたりともちゃんと覚えてね♪」
すでにきららはシャワーを浴び、ぼろぼろのメイド服から新しいメイド服へと着替えている。
身を清めないと呪文の効果が弱くなるそうだ。
「じゃ、はじめるね……」
きららは一度大きく深呼吸すると、両手を合わせ天に祈りを捧げ、呪文の詠唱を開始した。
「我、赤き炎の精に願う。おいしくなーれ」
なんかいきなり知ってるのと違う!!
「我、蒼き風の精に誓う。おいしくなーれ」
よくわかんないけど、めっちゃイタい感じの呪文が展開されてる……。
しかし、きららは真剣そのもの、声のトーンは普段よりも低くして、詠うように言葉を紡ぐ。
「健やかなる水の精に誓う、おいしくなーれ。母なる大地の精に誓う、おいしくなーれ」
ゆっくりとはじまった詠唱は徐々にそのボルテージを上げ、大きな身振り手振りを伴うようになる。
「神々よ、万物の理を統べる者よ、我が飲料を美味しくさせたまえ! 立ち去れ、地獄の亡者どもよ! おいしさを妨げるもの達よ!」
きららはそう言うと、部屋の邪気を祓うかのように大きく手を振る。
その大きな瞳は虚空をじっと見つめている。見えないなにかを睨みつけているかのように。
「神よ、美味しくさせたまえ! メイドをつかさどる神、メイド神よ! 我が願いを聞きとげたまえ。メイド神よ。その八本の腕と七つの顔、二十七の耳で我が願いを……」
「メイド神、気持ち悪い……」
葉月が思わず感想を口走るが、ほぼトランス状態っぽいきららにその声は届いていない。
「
きららは右手の人差し指と中指で手刀を作り上下左右に印を斬りながらテーブルの周りを周回する。
――臨兵闘者皆陣列在前
臨兵闘者皆陣列在前
臨兵闘者皆陣列在前
臨兵闘者皆陣列在前
臨兵闘者皆陣列在前
「あの、店長代理、これ大丈夫な呪文ですか?」
「わたしに言われてもわかんないし」
わたと葉月の戸惑いなど一切気にすることなくきららは詠唱を続ける。
「ぎゃーてい、ぎゃーてい、はらぎゃーてい……
羯帝羯帝波羅羯帝
羯帝羯帝波羅羯帝
羯帝羯帝波羅羯帝
羯帝羯帝波羅羯帝
頭の中でこだまするきららの声。
「なんだか頭がぼーっとしてきました……」
「わ……たしも……」
鳴り響き続ける呪文。
これがいま聞こえているのか、それとも頭の中でこれまで聞いていた呪文がリフレインしているのか、それすら判断がつかなくなってきた。
――王者の火
咎人の火
金細工師の火
きららの笑顔が脳内にフラッシュのようにぱっと現れては消える。
消えたかと思ったら、また別の表情のきららが現れる。
わからない……これも、いま見ている姿なのか、わたしの思い出なのか……。
花火のように鮮やかに浮かんでは消える。
腕 皆 兵
八 羯 工 風
者 咎人
風 王
健やか 羯帝
水 火
羯帝
――灰は灰に塵は塵に! 我が祈りよ、天へと昇り、奇跡を起こせ! 萌え萌えキュン♡
その時、バリンと乾いた音を立てて空間が弾けた。
……ような気がした。
きららがパチンと手を叩いたかのもしれないけど、もしかしたら、音なんかしていなかったのかもしれない。
とにかくその音で我に返ったわたしの視界に広がったのはきららの笑顔だった。
メイド喫茶をやろうと誘われたときに、コイツと一緒なら大繁盛するかもしれないとわたしに信じさせた、あざとくてキラッキラの笑顔だ。
「はーい、きらりんが美味しくなる魔法かけちゃいました♡」
「怖ええし‼ 長げえよ‼」
「でも、本当に美味しくなったもんっ! とりあえず味見してみてよ」
「本当かよ……」
「ささ、どうぞ、どうぞ、じゃあ新人の葉月ちゃんから」
葉月はグラスを手に取ると、おそるおそるストローを咥える。半透明のストローの中を琥珀色の液体がするすると登って。葉月の小ぶりな唇の中へと消えていく。
と同時に完全にドン引きで怯え気味だった、葉月の顔がみるみる明るくなる。
「……美味しくなってますっ!」
「え、マジで!?」
「はい。いつもよりほんのり甘くて、少しいい薫りがします!」
きらりが五年かけて修行した呪文だ。美味しくなっていたらいいなとは思っていたけど、本当に美味しくなったと言われると、やっぱり驚く。
「店長代理もどうぞ」
葉月がわたしにグラスを手渡してくれる。
……本当か?
いっても葉月はバイト一週間目、このパックの紅茶を長年飲んできたわたしの舌で試してやる。
「……すげえ、……美味しくなってる」
五年間毎日のようにこの紅茶を飲んできたわたしにはわかる。
たしかにいつもよりも薫りがいい……。
それに……甘い! 紅茶にほんのり蜂蜜を入れたかのような上品な甘みを感じる。
「えへへ、どう彩里ちゃん、すごいでしょー!」
なんとも誇らしげなきらり。
得意満面フェイスになるのもわかる。たしか紅茶の味が変わった。これは普通に魔法だ。
「これって催眠術の一種だと思うんだよね。あの呪文を、あのトーンでずーっと、続けることで、頭をぼーっとさせて、それで催眠術にかけちゃうの♡」
「催眠術にかけちゃうの♡ じゃねーよ」
「いやー大変だったよー♪ イランあたりの山脈で暗殺者教団に潜入したり、フランスのレンヌの教会でシオン修道会のメンバーと接触したり」
「大変だったよー♪ の、レベルがおかしいだろ」
それにしてもコイツ、変わってないな。
きららのコロコロ変わる表情を見ながら、改めてしみじみと思う。
五年前もこんな感じでめちゃくちゃなこと言いまくって、突然出ていって……。
やっと帰ってきたと思ったら、出ていった日のまんま。相変わらずずっとヘンテコだ。
とにかく、あの日のままのきららが帰ってきてくれてよかった。
「彩里、ずっとお店任せっきりでゴメンね。たいへんだったよね」
「別に……。それより無事に帰ってきてくれて、ホッとしたよ」
「あれ? きららのこと心配してくれたの? ありがと!」
私の胸にきらりが飛び込んでくる。
こういうことをてらいなくできるのもあの頃から変わっていない。
「ったく、当たり前だろ、五年だぞ。いつも無事かなって考えてたよ」
「うん。あたしも彩里のこと考えてたよ」
「じゃあ、もうちょっと連絡よこせよな」
スマホを持っていったはずなのに、この五年まったく繋がらなかった。連絡と言えば、本当にたまに手紙が届くくらい。こっちは心配しているのに、もう少しなんとかなるだろとずっと思っていたけど、……暗殺教団に潜入していたなら仕方がない。
「ほんと、ごめんね。でも、これでお店繁盛間違いなしだからね♪ きららの魔法で美味しい紅茶が飲めるからね♡」
長い抱擁の後、わたしの胸から離れると。きらりはにっこりと微笑む。
「あの、それなんですけど……」
わたしたちの抱擁をじっと見守っていた葉月がなんとも申し訳なさそうに話を切り出す。
「どうしたの? 葉月ちゃん」
「美味しい紅茶を出したいのなら、パックの紅茶をやめればいいかと」
「え?」
「実は、私、紅茶を淹れるの得意なんです。ちゃんとした茶葉で、ちゃんと淹れればもっと美味しくなりますよ……おまじないよりは」
たしかに味が変わったといっても〝微妙に〟だった。
普通に紅茶を淹れるのが得意な人が淹れれば、こんなレベルではなく、はるかに美味しくなるだろう。
葉月のこの打倒な提案を聞いて、みるみるうちにきららの頬が膨らむ。小学生低学年ばりの見事な膨れっ面だ。
「……禁止!」
「え?」
「あたしのもえもえキュンより美味しくするの禁止!」
こうして五年ぶりに戻ってきた店長三好きららは本格的な紅茶を拒否したのだった。
【完】
最後までお読みいただきありがとうございました!
楽しんでいただければ幸いです。
感想、レビューなどお待ちしております。
偽メイド喫茶どぶ百合 猫内一郎 @nekouchi
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