偽メイド喫茶どぶ百合

猫内一郎

もえもえキュン♡

第1話 店長の帰還

「ねえ、店長代理はなんで店長〝代理〟なのでしょうか?」

 

 新人バイトである白戸葉月しらとはづきはすべてのカップを布巾で吹き終えたのちにそうわたしに尋ねた。

 黒髪のボブ。白い抜けるような肌。いかにも清純そうな和風の美女の顔がいかにもメイド喫茶風のメイドコスの上に乗っかっている。


「店長の代理だから」


 わたしとしてはそうとしか答えようがない。


「私、まだ店長に会ったことがないんですよね……ほんとうにいらっしゃるんですか? 店長って」


 葉月はバイトに入って今日で一週間。一度も店長に会ったことがなければ疑問が芽生えても無理のない時期だ。


「店長がいなくなって、もう五年になるか……」

「いっ! 五年!?」


 わたしは目を丸くしている葉月をよそに、店長、三好みよしきららの姿を脳裏に描く。


 わたしもきららも当時二十三だった。

きららの父がやっていた昭和の喫茶店を譲ってもらい、強引にメイド喫茶としてリニューアルしたきらら、わたしも幼馴染として手伝ってほしいと言われて、断るわけにはいかなかった。


 きららはわたしから見てもとても可愛い女の子だった。リアルにレトロな喫茶店にめちゃ可愛いメイド。バチクソ儲かるぞ、とその当時は心躍ったものだった。


「甘かったんだよなー」


 五年前、すでにメイド喫茶のブームはとっくに終わっていたらしいが、ノリで適当にはじめたせいで、そういうことに疎かったし、そもそもここ田無はメイド喫茶に向いているスポットではなかった。

 西武新宿線沿線はカフェじゃなくスナック。完全にそういう路線なのだ。


「あの、それで店長さんは?」


 思い出に浸っていたわたしの顔を心配そうに覗き込む和風の美少女。

 あまりにも思い出に浸り過ぎたせいで、なにか体調を崩したのかと心配してくれたっぽい。


「ああ、きららはね……いま修行の旅に出てんだよね」

「修行……ですか?」


 葉月は不思議そうに小首を傾げている。

 こんな可愛らしく小首を傾げられるのも、なんかあざとくね? と思ってしまうが、まあ、一度も見たこともない店長が「修行の旅に出ている」と言われれば、自然に首も傾げようってもの。


「この、ドブ百合はね、親父さんから引き継いで、メイド喫茶としてリニューアルしたんだけど、全然客が来なかったんだよね。売り上げ的にもじり貧でさ、で、それをどうにかしなきゃってなったんだけど……。スナックに改装すっか、とかね。でも、きららはそれは違うってなってさ。じゃあ、どうすんのよって聞いたら、きららは一から鍛えなおすために修行の旅に出るつって。修行終わるまで店、頼むってつって、旅出ちゃってさ。だから店を預かってるわたしは店長代理ってわけ」

「……修行? 集客のですか?」

「うーん、集客っていうか……メイド喫茶の基本っていうか」


 わたしがどう説明したものかと、少し考え込んだタイミングだった。


「彩里!」


 昭和の喫茶店風のドアベルがけたたましく鳴り、その直後、わたしの名前を呼ぶ聞き馴染みのある声が聞こえた。


「きらら……!」


 五年ぶりとはいえ、あの甘ったるい声を聞き間違えるはずはなく、やはりドアの前に立っていたのは三好きららだった。


 ズタボロのメイド服。


 昔からのトレードマークであるツインテールは乱れまくって四方八方に跳ねまくり。完全にノーメーク、それどころか、謎の木の枝や葉っぱが服や髪にまとわりついている。

 ひと言で言うならば野生のメイドだ。


「ごめんね……長い間、店、留守にして」


 その野生のメイドはわたしを見るなり謝罪の言葉を口にした。


「五年はやべーって、逆にあると思って帰ってきたのが、奇跡なんだけど」

「そっか、五年か、もう、そんなかー。ほんとごめんっ!」


 顔の前でぱちんと手を合わせ、わたしを拝むぼろぼろのメイド。


「えっと、この方が……店長のきららさんですか?」


 はじめて見るきららに葉月は明らかに戸惑っていった。

 無理もない。なんだかシルクロードを徒歩で旅して来た風のメイドが自分のバイト先の店長だと判明したのだから。


「大丈夫、旅立った時にはこんなに小汚くなかったから」

「よかった……。修行でこの姿になったんですね。なにせはじめてお会いするので、ずっとこんな感じの人の可能性も捨てきれず……」

「きらら、それで修行の成果は?」

「ばっちり!」


 きららはそう言うとわたしに向かってサムズアップして見せる。


「マジで?」

「うん、すっごく大変だったけど、できちゃった♪」

「旅に出るときはそんなもん無理に決まってるだろって思ったけど、まさかマジでやるとはね」

「あ、あの……、いったいなんの話でしょうか?」


 葉月が少し申し訳なさそうに口を挟む。


「メイド喫茶にさ、おいしくなる魔法ってか、おまじないあるでしょ。『おいしくなーれ、おいしくなーれ、萌え萌えキュン♡』ってやつ」

「あ、はい」

「あれってさ、本当に美味しくはならないじゃん。お客さんが気ぃつかって、美味しくなりましたつってくれてるだけで」

「あ、はい……」


 葉月は素直に返事をしながらも、かすかに「なにを言ってんだ」感を醸し出してい

る。

 わかるよ、無理もない。


「こいつはな、それが納得いかなくて。本当に美味しくなる魔法を身につけるって言いだして、修行の旅に出たんだよ」

「うんっ! そうなのっ! とっても、たいへんだったっ♡」


 きららはいかにもメイドらしく、顔の前で握った両手を合わせぶりっこポーズをとる。

 五年の月日が流れてもこの天然モノのぶりぶりムーブは変わっていないみたいだ。


「本当に……美味しくなる?」

「そうだよ。『おいしくなーれ、おいしくなーれ、萌え萌えキュン♡』は正式な呪文じゃなくて、本来はもっと長い呪文の一部だったの。だから、呪文の効果が出なかったんだよねー」

「え……」


 葉月はもはや「こいつなにを言ってんだ」感を隠そうとしていない。

 当然のことだ。五年間姿を現さなかった店長が急にこんなことを言い出したら、どんな人間でもこの顔になる。


 わたしもきららがこの説を唱えだした頃は、こんなレベルじゃないくらい露骨に呆れ顔を見せたし、はっきりと「おまえ、バカじゃねーの」と言ったものだ。


 しかし、きららは真剣そのもの。十九世紀の秘密結社、黒魔術、さらには古代エジプトの神話に関する書籍などを山積みにして、自説の正しさを熱烈に語りまくった。そのあまりのテンションにわたしも少し信じてしまったのだけど……。


「あのね、いわゆる『おいしくなーれ』の呪文はね、古代エジプトとメソポタミアの神事をベースにルネサンス期の錬金術師が生み出したものを、秘密結社黄金の夜明け団がアレンジして今のバージョンになったって言われているのね。一説には……、あ、ごめーん♡ こういうのは論より証拠だよね、いまからやって見せるね♪」

「やってみせる?」

「そう、ふたりのために、あたしが美味しくなる魔法をかけてあげる。特別だよっ♡」


 そう言うと、きらりは顔の横でピースサインを作り、きらりーんと可愛くウインクして見せる。いかにもメイドといった感じのキュートなポーズ。


 ポーズと顔はとっても可愛いのだが、これから五年間修業して身に着けた本物の呪文とやらを食らわせられると思うと、不安しか感じないのだった……。



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6000字と微妙なボリュームだったのですが前後編に分けてみました。

後編もよろしくお願いします!


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