河童の皿

凪 志織

河童の皿

目の前に瀕死の河童が倒れていた。

蝉のけたたましい鳴き声が響く中、暑さに揺らぐ視線の先にいるのはまぎれもなく河童だった。


コンビニへアイスを買いに行くため近道である農道を自転車で走っていた俺は、道のど真ん中に横たわる異質な何かに気づいて自転車を止めたのだった。


それは子どもの頃、アニメかなにかでみたことのある河童の姿そのものだった。

暑さで幻覚でも見ているのだろうか。

それとも誰かのいたずらだろうか。

俺は自転車にまたがったまま数メートル手前からその姿を観察した。


皮膚は緑色でゴムのような質感、干からびているのかところどころしわが寄り萎れた葉っぱのような褪せた色をしていた。

背中には亀のような甲羅がのっており、頭部の皿は白く骨のような材質で皿のふちに体と同系色の緑の毛が生えている。

顔はここからはよくわからないが黄色いくちばしのようなものがちらりと見える。

呼吸は確認できない。


周囲に人はおらず蝉の声だけが響きわたっている。

俺は自転車を降りゆっくりと河童へ近付いた。


顔をのぞき込む。

河童は白目をむいていた。


「やっぱり河童だ」


思わずつぶやく。

わずかに開いたくちばしから息が漏れる音がした。


まだ生きている!


俺は周囲を見渡し道の脇に生えている一番長い草を見つけるとそれを引きぬいた。

河童のもとへ戻り草の先端を河童の鼻孔へそっと差し込む。


高さのない小さな鼻がひくひくと動く。


「フヘェックシュン」


河童がくしゃみをした。


河童がぎゅっと閉じた目を開いたとき、白目は黒目に戻っていた。

ばっちり目が合ってしまった俺はそのまま動けなくなってしまった。


河童は何か訴えるように「キイィ…キイィ…」とかぼそく鳴いている。


「わかった。待ってろ」


俺は立ち上がると自転車に乗りそこから五分程離れたコンビニへ向かった。


再びそこへ戻った時、河童は先程と全く変わらない姿勢で横たわっていた。

先ほどコンビニで買った2リットルのペットボトルの水を自転車の籠から取り出し、蓋を開け河童の皿へかけた。


じゃぶじゃぶと水を注いでいるのに水は不思議とこぼれることなく皿に吸収されていく。

干からびてしわしわだった皮膚がハリを取り戻していく。

肌の色もくすんだ緑から鮮やかな黄緑色へと変化した。

ペットボトルの水をすべて注ぎ終わる頃、河童はすっかり元気になった。


「キイ!」


河童は立ち上がり手を差しだした。

お礼を伝えているのだろうか。

身長は150センチ程度で意外と小柄なんだなと思った。


俺は差し出された手を握り返してみた。

水かきのついた手はなんだかヌメヌメしていて、そして、意外と力強かった。


握手をしながら俺は思い出した。

そういえば、河童って相撲が得意なんだっけ…


河童はまだ手を離さない。


「キイ」


河童は微笑むように目を細めた。


「いや、いいよ。俺べつにそんなたいしたことしてないし」


「キイ」


河童はまだ離してくれない。


「俺、もういかなくちゃいけないからさ」


俺は握られた手を引こうとした。

が、河童の握力は強く全く外すことができない。


「キイ」


河童は機嫌良さそうに鳴くとそのまま俺の手を引っ張ってどこかへ歩き出した。

俺は慌てて足を踏ん張ったが、河童の力はとてつもなく強く抗うことは不可能だった。


「待って!どこ行くの!?」


俺は怖くなって叫んだ。


「キイ」


河童はまた高く鳴くと俺の体をひょいと持ち上げ頭上に掲げた。


そして、走り出した。


「嫌だぁ!誰かぁ!助けて!」

農道に叫び声が響き渡るが周囲に俺たち以外の人の気配はない。


河童は軽やかに駆けていく。

仰向けに掲げられた俺は太陽の日差しがまぶしくて目を開けていることができず、どこを走っているのか把握することができなかった。


しばらく走った後、じめっとした暗いトンネルを通り、再び陽の光の射す広場のようなところに出た時ようやく俺は地面へ降ろされた。

地面へへたり込んだ俺は目の前の光景に驚愕した。

河童の群衆が俺を取り囲んでいたのだ。

彼らはこちらを興味深そうに眺めひそひそと話している。


助けた河童が彼らに何か説明を始めた。

群衆は静かに話を聞いている。

やがて話が終わる頃、河童の群衆が


キイィィィ!


と歓声をあげた。

助けた河童が俺の肩をポンッと叩いた。


「いや、俺、帰りたいんだけど」


そして、宴が始まった。


広場の中心にやぐらが組まれその周囲を河童たちが囲み踊りのようなものを踊っている。

目の前には魚や木の実やキノコなどの大量の食材が置かれていた。


気持ちはありがたいが俺は恐怖と緊張でとても食べる気にはならなかった。

人間が珍しいのか俺の周りを何人かの河童たちが取り囲み見下ろしていた。


隣では助けた河童が楽しそうに踊りを眺めている。

そして時々、彼は木の実に手を伸ばしそれを頭部の皿の上に乗せた。

皿に盛られた木の実を見ているとそれは次第に皿の上で溶け始めペースト状になり徐々に消えていった。

俺は昼間河童の皿に水をかけてやった時の光景を思い出した。

どうやら頭部の皿が口の機能を果たしているらしい。

俺が河童の皿を眺めていると、いきなりパラパラと頭に何か落ちてきた。


びっくりして振り返ると別の河童が不思議そうに頭を傾げて立っていた。

両手に何か持っており、周囲には赤い木の実が散らばって落ちている。

俺が何も口にしようとしないので心配して食べさせてくれようとしたのだろう。


「ありがとう。でも、俺は頭からは食べないんだ」


言葉が伝わらなかったのか河童は手のひらに残っていた木の実をさらに俺の頭の上へパラパラと落とした。


夜も更けようやく宴は終わった。

河童たちはそれぞれ自分たちの家へ帰っていったのか徐々に姿を消していった。


これで帰れる。

俺はほっとして、ずっと隣にいた助けた河童に話しかけた。


「いいものを見せてくれてありがとう。楽しかったよ。元気でな」


俺は手を振って去ろうとした。


河童は「キイ」とまた機嫌よく返事をして俺が行こうとしている方向とは逆方向へ手を引っ張った。


まだ、帰れないようだ。


河童についていくと案内されたのは洞窟だった。

中には藁が敷いてある。

河童はその藁を指さした。


「今日はここで寝ろと?」


「キイ」


「わかった。ありがとう。今日はここで休ませてもらうよ」


俺ははそういって藁の上に横たわった。

河童は満足そうに目を細めそこから去った。

家には帰りたいがここがどこなのかもわからないまま暗い夜道をさまようのも危険な気がした。


明るくなったら必ず帰ろう。

そう決めて目を閉じた。


どのくらい眠ったのだろう。

俺は頭部に冷たさを感じ目を覚ました。


驚いて飛び起きると葉っぱで作ったコップを持った河童がそばに立っていた。

コップからは水がしたたり落ちている。


水を飲ませてくれようとしたのだろう。


「昨日も言ったけど、俺には君たちみたいに頭の皿がないんだ。だから頭からは食べ物も飲み物も摂取できないんだよ」


そういって俺は濡れた髪の毛を掻き揚げようとして手を止めた。


髪の毛が…ない


両手で頭をさわる。

頭頂部だけがきれいに円形に剃られていた。

「キイ」

もう一体の別の河童の手にカミソリのような形状の小さな刃物が握られていた。

呆然としている俺にコップをもった河童が再び水をかけた。


「だから!剃っても皿はないんだって!」


頭頂部の髪の毛を失った俺は猛烈にへこんだ。

ここから逃げ出す気力もないくらいに落ち込んだ。


河童たちはそんな俺を見てなにやらひそひそと会話しているようだった。

無事に帰れたとしてこんな頭でどう生きていったらいい?


この夏、好きなあの子に告白しようとしていたのに。

終わった。

俺の人生の歯車は狂ってしまった。

うなだれているとポンッと肩をたたかれた。


「キイ」


河童は元気よく鳴くと俺を頭上に担ぎ上げた。


「ちょっとなに?俺今落ち込んでるんだけど。もう今なにもする気になれないんだけど」


河童は走り出した。

昨日通ってきたトンネルを通り、夏の日差しの下を走り続けた。

俺は昨日同様、太陽のまぶしさに目を開けられず運ばれるがままであった。

そして、意識はしだいに遠くなり、そこからは記憶がない。


どれくらい時間がたったのか「お兄さん、お兄さん」と声が聞こえ俺は目を覚ました。

夢を見ていたのだろうか。

俺は昨日河童が倒れていたのと同じ場所に倒れていた。


「お兄さん大丈夫?熱中症?」


農作業中と思われるおじさんが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。


「あ、大丈夫です」


俺はそういって立ち上がった。


「本当に大丈夫?送ってこうか?」


おじさんはそういいながらちらりと俺の頭頂部を見たような気がした。

目の前には乗ってきた自転車がある。

俺はそれにまたがると家へ急いだ。

あまりに落ち込んでいたので河童たちがみかねて帰してくれたのだろう。

河童たちは悪くない。

ちゃんと「帰りたい」と伝えればよかったんだ。


この暑さの中走ってここまで送り届けてくれたあの河童は無事帰れただろうか。

またどこかで干からびていないだろうか。


頭部にいつもより鋭い日差しを受け、そんなことを考えながら俺は家路を急いだ。

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河童の皿 凪 志織 @nagishiori

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