第9話 あまりもの令嬢は結婚後も手紙を送り続ける

 私の休暇は、結局、期限ぎりぎりまで使われました。

 必要な薬を作り終えた後に、軍医の方やメイソン殿下のお手伝い的なことをしつつ過ごせば、あっという間に感じました。

 懸案であった冬支度については、殿下が王都へ予算や物資の不足分を申請――殿下曰く「もぎ取る」だとか――されるそうですので、無事に超えられそうでした。


 王都に帰ってからは、薬師の仕事とお師匠様のお世話に追われる日常に戻りましたが、休暇以前と違うのは、毎日、殿下への手紙を書いていることでしょう。

 今後の生活の相談もありますが、直接お話ししたりお仕事中のお姿を拝見できない代わりに、周囲の方々から殿下の子供や学生時代のお話や、今まで造られた建築物についてお伺いできましたので、話題には困りませんでした。


 それから何より違うのは、殿下からも毎日のように手紙が届くようになったことです。

 式の打ち合わせなどの連絡事項が主なものですが、最後に必ず私の良いところとか、どんな服が似合いそうとか、声が聴きたいとか付け加えられていました。殿下に言わせれば私も鈍いそうなので、その分褒めなければいけないそうです。


 普段の殿下のしかめっ面からは想像できないようなものばかりで、世間の婚約者の間柄というものは、こんな正視できないような恥ずかしい手紙を送り合うものなのかと侍女のミアに尋ねてみれば、ミアは、まあまあとかあらあらとか、ものすごく喜んでいました。

 私だって嬉しいとは思いますが、あんな短い滞在で急に話が進んだので、まだ戸惑いはあります。


 もしかして殿下はミアが昔言っていた「チョロい男性」というものなのでしょうか。そうなれば自信が付いた殿下が王都に戻られた時、万が一他の方に目移りされたら――そんな不安をミアに話しますと。

 彼女が言うには、婚約解消の手紙一通で北の古城に押しかけ、婚約を受けて来て、手紙を抱えて毎夜うろうろしている私はもっと「チョロい」ので大丈夫なんだそうです。


 他に変わったことと言えば、お姉様も妹も久々に家に帰ってきて、お母様やお義姉様と一緒になって私に構い始めたことです。これから社交が増えるからとか、式の前に慣れなさいとか、ドレスのデザインを見せられたり仕立て屋を呼んだり、宝飾品がどうとか、あちこち連れ回されました。

 そのおかげで仕事に若干の支障が出てしまい、お師匠様の新作、いえ新味の魔法薬ポーションの試飲役をさせられる羽目になったりしました。




***



 そんな風に慌ただしく日々が過ぎた穏やかな晴れの日、私はメイソン様と王都で(王族としてはという但し書き付きですが)ささやかな挙式を行いました。

 そしてひと月の休暇後に北の地に戻られたメイソン様はその2年後、無事に王都へ再度の「栄転」を果たされました。


 一度は王宮で暮らしていたメイソン様と私ですが、これを機に王都に家を構えることにしました。

 メイソン様が私に意見を聞いてくださって、建築士と一緒に設計された屋敷はとても暮らしやすくて居心地が良く暖かく、調合室まで備えられていました。


 時が流れて子どもが生まれると、私は魔術師団には非常勤として籍を置くことになりましたので、調合依頼などを受けて家で少しでも仕事が続けられることはありがたく思いました。それに時折任務に赴かれるメイソン様に私ができるのは、無事を祈ることと個人的にも薬を渡すことくらいでしたから。


 そのうち、家の庭にはメイソン様が自ら積み上げた本格的な城壁ができ、秘密基地も作り、室内の壁には羽目板と漆喰で作ったお絵かきスペースができました。

 やがて庭で遊び回っていた長男は騎士見習いになり、秘密基地の増築をしていた次男は建築家を、メイソン様から私の“武勇伝”を聞いて壁にグリフォンばかり描いていた長女は画家を目指すようになり……。




「今日は久々のお出かけですからね。髪は普段より少しアップにして、うなじも出しましょうか」


 ある日のこと、実家からついてきました侍女のミアは、今日は夫婦だけの外出だからと、張り切って私をどこかの奥様のように整えてしまいました。

 見た目だけなら、多少他の方に追いついてきた気がしますが、まだ慣れません。


「……あら、旦那様がいらっしゃいましたね。楽しんでらしてください」


 ミアが私と、それから戸口に立っていらっしゃったメイソン様に軽い一礼を残して立ち去ってしまいますと、私は涼しくなった後頭部が気になって手をやりました。


「め、目立たないようにしたのですが……変じゃないですか」

「変じゃない。綺麗だ、と、思う。ただ、髪を上げ過ぎると他の男の目を惹く。かといって見えないのも寂しい」

「どっちですか」


 メイソン様は近づかれると褐色の瞳で私の顔をわざと見つめられました。年々貫禄が付いてきまして精悍さが増していますので、目に毒だと言っているのですが、一向にやめてくれません。


「だが一番見せたくないのは、君の恥じらう顔だな」

「メイソン様も黒いコートとジャケット姿が大変お似合いです。……あの、もう少し距離を取ってください。化粧が落ちて……出かける前ですから」


 抱きしめられそうな距離でしたのでそう苦情を言えば、メイソン様は不服そうに眉をひそめ、頰にひとつ口づけを落として離れられました。

 仕方ないので、その、嫌じゃないしそんなお姿も素敵ですと、と頭の中のメモに書き留めておきます。

 それから。


「……最後の点には同意です」


 昔のように私の手を取られたメイソン様の手を握り返し、私は呟きます。


 結婚して何年たっても、私は時折仕事で遠方へ行かれてしまうメイソン様に、いえ、家にいらしても、毎日手紙を書いています。もう長い間の習慣になっていましたから。

 でも、読まれるのはお一人の時にしてくださいとお願いしているのです。


 だって、メイソン様が私の書いた手紙を読んでいる時だけは、いつもと違う顔をなさることを――何とも言えない恥じらいをお顔に浮かべていらっしゃることを知っているのは、欲深い私だけの秘密なのです。

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あまりもの令嬢は、婚約解消を言い出した残念王子を褒めちぎりたい 有沢楓 @fluxio

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