第14話 お払い箱にもできること

 ピアニストを近衛に引き渡したアーネスト殿下は、私とリヒトを連れて自室へ向かう。

「助かったぞ、ルーデンベルク姉弟きょうだい。イライザ殿が予知夢を見てくれなかったら、俺は父上と同じ運命をたどっていただろう。リヒトもすぐに駆け付けてくれて感謝する。ずいぶんと慌てさせたようだな」

 含みのある笑みで振り返った殿下に、リヒトはふいっと横を向いて答えた。

「俺は別に慌ててなどいません」

「そうか? お前の髪はそう言ってないけどな」

 髪と言われてリヒトを見上げると、後頭部の髪の毛が寝ぐせではねていた。

 私は、思わずクスッと息をもらして、はねた髪を撫でてあげる。

「リヒト、寝ぐせがついているわ」

「イライザ殿もだぞ」

「えっ!?」


 廊下にかかっていた大鏡の前に立つ。私の腰まである髪は、リヒト以上にクルクルと丸まって四方八方にはねていた。

「梳かしてくるのを忘れていたわ!」

 今朝は宮殿に急いで向かうため、ネグリジェから手近なワンピースに一人で着替えて部屋を飛び出した。当然、頭は手つかずで、寝ぐせはつきっぱなし。

 この頭で、アーネスト殿下を殺そうとした犯人を諭していたと思うと、恥ずかしくて顔から火を吹きそうだ。

 羞恥心から両手で顔を覆うと、殿下はカラカラと笑ってくれた。

「そう恥ずかしがるな。二人が身づくろいもせずに来てくれたから俺は今生きてるんだ。毒の危険があるから朝食はごちそうできないが、俺の秘蔵でよければ食べていってくれ」


 執務室に入った殿下は、定位置である椅子に腰かけて本型の箱から取り出した丸いクッキーを一枚ずつくれた。

 さくっとした食感で、練り込まれたキャラメルの粒がとてつもなく甘い。ただのクッキーに見えるのに、今まで食べたどんな料理よりも美味しく感じる。

(私、自分が思っている以上に緊張していたみたいだわ)

 殿下が殺される予知夢を見てからカッカと熱くなっていた頭に糖分が染みる。危機を乗り越えた安心感に、思わず涙が出そうになった。

 しかし、リヒトはクッキーを見つめるだけだった。甘い物が嫌いなのだ。

 私が作ったお菓子はよく食べてくれるんだけど……殿下からもらった物には手をつけずに姿勢を正した。

「宮殿のなかでも安心できませんね。いっそ別邸にお移りになってはいかがです?」


「ここを離れたら即位を諦めたと思われる。俺でなくケルビンを皇帝に推す連中に宮殿を押さえられたら終わりだ。あいつらはどんなことにでも文句をつけてくるからな」

 クッキーを三枚も口入れて両手をあげた殿下の表情には余裕がある。まだ遁走する段階ではないということだ。

 殿下には、側近や騎士団、ルーデンベルク公爵をはじめ、彼の無実を信じる味方がたくさんいる。彼らに見捨てられない限りは、宮殿でねばるつもりだろう。

「殿下にお聞きしたいと思っていたんです。今になってケルビン様を推しているのは、どういった方々なのですか?」

「グランシュ国教会の重鎮を筆頭に、俺とは折り合いが悪い貴族たちだ。そいつらはベルという少女を真の聖女として崇拝すると表明しているから、わざわざ調べるまでもない」


 ケルビン様と寄り添うベルの勝ち誇った顔が脳裏によみがえった。

 私ができなかった皇帝の死を予知夢で見たというベル。〝真の聖女〟として国教会に迎えられたはずの彼女だが、あれ以来、新しい預言をしたという話は聞かない。

「ベルは、アーネスト殿下が殺される夢は見なかったのでしょうか。私より予知夢の才能が強いなら、見ていてもおかしくないと思うのですが……」

 預言の聖女が予知夢を見ると、まず国教会で内容を記録し、次に宮殿に報告があがり、その後で国民に広く公示される。

 皇太子が暗殺される重大な事件だ。皇帝の死を予見できたならこちらの夢も見ていそうなものだが、犯人を退けてクッキーをつまんでいる最中にも国教会から使者は現れない。

「あの真の聖女とやら、少し妙だと思っていた。皇帝の死を預言して以降、一度も予知夢を見たとは聞かない。国教会で情報を止めているか、もしくは――」


「姉さんとは違って、預言の力がないかですね」

 リヒトの言葉に頷いた殿下は、彼の手からクッキーを奪って口に入れた。

「俺が殺されかけたことを出汁にして、ケルビンと真の聖女を呼び出してみるか」

 ニイッと口を引いて笑う殿下を、リヒトは「悪い人だ」と評した。

 私は髪についたクセを指で直しながら不安になる。

(あの二人と対面して、冷静でいられるかしら)

 落ち込む私の背に手が触れた。顔を上げると、リヒトが瞳を細めて微笑んでいた。

「大丈夫ですよ、姉さん。あなたのことは俺が守ります」

「……そうね」


 何が起きてもリヒトがそばにいてくれる。

 今の私は、猜疑心に満ちあふれた人々に取り囲まれ、ケルビン様がもたらす沙汰を聞くしかなかった、あの日の聖女ではない。

 たとえ国教会にお払い箱にされても必要としてくれる人々に恵まれた、ただのイライザ・ルーデンベルクだ。

「アーネスト殿下、ベルとケルビン様を呼び出すなら私も同席させてください。殿下の暗殺の予知夢を見た私がカマをかければ、しっぽを出すかもしれません」

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お払い箱聖女なのに義弟(こじらせ)に溺愛されるみたいです 来栖千依 @cheek

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