全一話 生と死の境界
今日はテレビのニュースで、僕の青春のひとコマが消えてしまう悲しい知らせを目にしました。実際には数日前に訃報が届いていたようですが、カクヨムの作品に夢中になっていたため、見逃していたのかもしれません。
小説とともに映画好きな僕は学生時代に観た『太陽がいっぱい』の記憶を瞬時に呼び覚まされます。主演を務めた稀有なイケメン俳優、アラン・ドロンはこの一作で瞬く間にスターダムを駆け上がりました。
ニーノ・ロータが奏でる甘美な調べの音楽も、この映画にふさわしく素晴らしかったです。だが、特に印象的だったのは、イタリアのアマルフィの海に夏の残照を感じさせる、燦々と輝く太陽の煌めきでした。
改めてこの映画作品を追想すると、ルネ・クレマン監督は舞台の全編にマフィアが牛耳るイタリアの景色を描きました。マフィアはイタリアのシチリア島を発祥の地とする、生と死の狭間で麻薬に手を染め、夢と希望を追いかける犯罪集団です。
ルネ・クレマン監督は撮影する画面をあえて明るく煌びやかにし、熱く輝かせたそうです。一方で、アラン・ドロンが演じる殺人犯の心の奥底に潜む暗さを対比させ、「白昼の光の中に隠れる暗黒の恐怖」というモチーフを『太陽がいっぱい』の光景に重ね合わせたという。
彼はサスペンス、コメディ、反戦、恋愛映画と、ジャンルを飛び越えてバラエティに富んだ名作を残しました。けれど、『禁じられた遊び』とともに『太陽がいっぱい』が記憶に深く刻まれています。そこには主演俳優も重要な要素ですが、それを引き立てる監督の巧みなテクニックが要となっていることが窺われます。
映画の再現シーンや一瞬で切なくなる音楽を見聞きしていると、アラン・ドロンの彫りが深く、どこかギラギラした美貌が思い出されます。女性ファンが夢中になるのも無理はありません。彼の冥福を祈る手を合わせながら、僕の記憶とともに、つくづく歴史に残る名画だったと思います。このエッセイを読む皆さんも、映画や音楽について何か思い出話があったら教えてください。
さて、次は少し違った話題にしましょう。こんなことが叶えられるのもエッセイならではの特徴です。気まぐれな風に吹かれたように、話は数年前に遡ります。僕の人生には嘘偽りなく、不思議なことに何度も命拾いしたことがあります。今回は九死に一生を得た出来事をひとつだけお話しさせてください。
数年前、僕は首の頸椎を痛めて手が震え、パソコンも打てなくなり、あの夏には初めて死を覚悟しました。大げさではなく死線をさまよいながら五時間にわたる手術は成功したものの、長期入院を余儀なくされた記憶があります。ホラー作品によく描かれる『幽体離脱』こそ遭遇しませんでしたが、あの時のことは一生涯忘れられないでしょう。
ベッドで毎日朝から横たわりながら、家族に持ってきてもらった小説の山から一冊ずつ紐解いていました。携帯電話も操作できるようになると、ネット小説サイトの存在を知りました。夜の九時に消灯時間を迎えると、白いカーテンの中で人知れず僕の小説に浸る旅が始まります。
そんな時に出会ったのが、現在も創作活動を続ける『カクヨム』でした。夜更けまで夢中となり、読み耽っていた気がします。病院という閉鎖的で退屈極まるところでも、人は楽しみを見つけ出し、治る見込みがあればこそ、勇気が生まれて退院も早まるものです。
ところが、ある時、奥の病床で咳き込みながら伏せるお年寄りの声が届いてきました。その男性の声は言葉では言い尽くせないほど痛々しいものでした。
毎日のように新聞を届けながらお見舞いに来られる娘さんの話によれば、彼は肺がんで余命がいくばくもない容態だったそうです。かつて大手の新聞記者として活躍していたと教えてくれました。きっと、後輩たちの記事が気になっていたのかもしれません。
病室には感染症のリスクを避けるために生花は持ち込めません。ベッド脇には、看護師さんから許されたのか、彼を見守るようにオレンジの柑橘とサルビアの花で創られたドライフラワーが置いてありました。サルビアの花言葉は「家族愛」や「良い家庭」です。その花から、彼らの温かい家庭が窺われるようでした。
朝から夜更けまで、「痛い痛い! なんとかしてくれ!」と泣き叫ぶ患者さんの声はいつからか静寂に包まれました。それは『太陽がいっぱい』の映画と同じく、命の儚い灯火と夏の残照が忍び寄る世界に思われたのも事実です。
僕はリハビリのために別の病室へ移ったので、その後彼がどうなったのかはわかりません。でも、ドライフラワーには生きとし生ける者の儚い運命が宿るようで、物悲しさを感じていました。片や命が助かり、一方では死が近づく者がいる。そんな複雑な想いに苛まれ、涙を堪えるのが精一杯でした。
今回のエッセイは、お盆の夜に近所で執り行われた灯籠流しを思い出しながら綴っております。迎え火と送り火の象徴となる灯籠流しは、京都の「嵐山灯籠流し」や広島の「ピースメッセージとうろう流し」などが有名です。京都や広島ほどは、知られてはいないけれど、東京でも開催されています。
その経緯を調べてみると、東京大空襲の犠牲者の慰霊を目的に平成11年から行われ、今年で26回目の歴史ある行事となります。毎年8月15日の夜、旧中川のふれあい橋付近で行われ、白い舟灯籠に文字や絵を描き、鎮魂の思いを込めて流します。
それとはなしに、吟遊詩人と慕われるさだまさしさんの「精霊流し」のメロディーと歌詞が思い浮かびます。著作権の関係で歌詞を直接引用することはできませんが、最後に同じ思いを少しだけ語らせてください。
晩夏の風に乗って流れる迎え火の灯籠は、過ぎ去った思い出を刻み、遥か彼方へとひとり旅立ちます。水面に映る月の煌めきは、まるで精霊たちの道しるべのよう。静寂の中に響く水音は、心の奥底に染み渡ります。灯籠の光が消えるその瞬間、送り火の始まりを告げます。精霊たちの旅路は続き、現人(あらびと)の心に永遠に刻まれるのです。
ここまでは長編小説を書く合間に、煙草を燻らせながら、生と死の境界線について思いのままに綴った文章です。とりとめのない内容かもしれませんが、少しでも僕の思いが伝われば幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
なお、読者の皆さまに忘れられない映画や音楽、そして死線をさまようようなご経験がありましたら、遠慮なくコメントでお寄せいただければ幸いです。闇夜の深層でお待ちしております。エッセイはコンテストなど気にせず、自由気ままに描けるのが良いですね。ではでは、また会える日まで、さようなら。
『命の灯火と夏の残照』を、今あなたに。 神崎 小太郎 @yoshi1449
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