全一話 思い出の夏

 今朝、寝床で横たわりながらネットのニュースを読んでいると、小学生の夏休みの宿題に関する思いがけない記事が目に飛び込んできた。なんと令和の小学生たちは、休み明けに提出する宿題で読書感想文が絶滅の危機に瀕しているというのだ。


 それは、ネット小説をこよなく愛し、会ったこともない作家さんに時おりレビューを書いている僕には驚くべき現実だった。



 我が家の前には、小学校のグラウンドが広がっている。晩夏の蝉の音が届き、夕暮れには赤とんぼが舞い、涼しい風が吹き始める。大人たちのお盆休みも終わり、ようやく夏休みの宿題に取り掛かり始める小学生も少なくないだろう。


 彼らが宿題に追われる日々を想像すると少し気の毒にも感じるが、実は現代の小学生の夏休みの宿題は、昔とは内容がだいぶ異なるようだ。読書感想文は、僕らが六年生を迎える夏休みの際には必須だったというのに。


 数十年前を思い返せば、小学六年生の時に書いた読書感想文に苦労していたことを思い出す。母親からおこづかいを貰って、本屋を何度も訪ねていた気がする。初めて手に取った小説は、森村桂さんの旅行記『天国にいちばん近い島』だった。お盆明けに夜を徹して寝床で一気読みした。



 ニューカレドニアの空と海はどこまでも澄んで青く、美しい景色と主人公の夢溢れる話が脳裏に浮かんでいた。それは、小学生の僕にとってまだ見ぬ異世界に広がるアナザースカイ(憧れの場所)だった。朝起きると、忘れないように寝ぼけ眼のままで原稿用紙に向かい、真剣な眼差しで文字を刻んでいた。



 夏休みが明けると、教室の後方の壁にはクラスメートが描いたひまわり畑の絵画とともに、僕の読書感想文が掲げられていた。二重丸が描かれたその文章には、人知れず謎に包まれた初めての文章が載っていた。


 子どもの頃、亡き父が語った夢の島の話を思い出す。南国らしい花が咲き乱れ、海亀の聖地と囁かれ、果実がたわわに実る桃源郷。そこは、大自然が手つかずのまま残り、神様にいつでも逢える美しい島だ。働かなくてもいいし、煩わしい猛獣や虫もいない。そんな自由を謳歌できる天国にいちばん近い島が地球の遥か南にあるという。


 その憧れの地が、きっとオーストラリアからほど近い珊瑚海にたたずむニューカレドニアだと信じて、遥か遠くの夢の島へ行くことを心に誓った。黄泉の国に逝ってしまった父親に、また会えるかもしれない……そう信じて。


 日本にひとり残した母が寂しがっていると言えば、心地よいその島暮らしを捨ててでも戻ろうと思ってくれるに違いない。そして、天国に棲む神様の目を盗んで、今は亡き父親を連れて帰ればいい。そう信じて出発した旅日記の顛末。


 そこには、円の為替レートが今の半分以下の価値もない三百六十円だった時代、まだ海外旅行が自由にできなかった頃の苦労、夢と現実のギャップ、現地の人々との交流などの体験がつぶさに書かれている。



 あれから何年経っているのだろうか……。きっと、数えきれないほどの歳月が過ぎているのかもしれない。このエッセイを書いている今、振り返ってみると、それは本の巻末に記されていたあらすじをそのまま丸写しにしたものだったかもしれない。


 けれど、先生や仲間たちは文句ひとつ言わなかった。あれから何十年も経った今でも、それは僕にとって恥ずかしい黒歴史でありながら、こよなく懐かしい夏の思い出になっている。


 ✽.。.:*・゚ ✽.・(終幕)・✽.。.:*・゚ ✽

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思いでの夏、忘れられない贈り物。 神崎 小太郎 @yoshi1449

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