第62話

 裕樹は空を見上げ目を細めた。高いところで光と闇が入り交じり、境界が溶けてなくなりそうになっている。

 つなぎ屋の開け放たれた窓には、つり下げられた風鈴が一つ。風鈴が揺れるたびに、映し出された空もまた一緒にゆらゆらと動いた。


「なんか……拍子抜けなくらい、クラスの雰囲気は戻ったよね……」


 ポツリと呟く。

 裕樹の横で秀が瞬いた。彼は椅子に座っているので、裕樹からは目線が低い。

 秀に嫌がらせしていたのがみんなウソみたいだった。みんな気さくに秀に話しかけに来る。彼はすっかりいつものように輪の中心だった。

 正直なところ、裕樹は少しだけ複雑だ。原因が莉央だったとはいえ、彼らがやったことはなくなりはしないのに。

 だというのに、秀はあっさりしている。


「しゃーないっすよ。元々ぬらりひょんの力で流されてた奴らばかりだし。ぬらりひょんはその性質上、そういう空気を作り出すのが上手いんだよな。裕樹君やナルたちが流されなかったのは、妖怪への耐性がいくらかついてたからでもあるんじゃねーかな」

「……それだけじゃないと思うけど」

「ふはは。ん。ありがとな」

「……うん」


 改まって礼を言われると、それはそれで気恥ずかしい。

 だから裕樹は視線をさまよわせる。話題を変えよう。


「ワイフォン、やっと直って良かったね」

「なー。長かったわ」

「ツブヤイッター、一から始めるんだ?」


 秀がにらめっこしているワイフォンを覗き見る。ツブヤイッターのアカウント新規制作画面だ。今は情報を打ち込んでいるところらしい。


「乗っ取られてたアカウントは消しちゃったしな」

「あんなにフォロワーがいたのに。もったいなかったね」

「うーん。また色んな人と話せりゃそれでいいし。同じ人と繋がれたらそれはそれで運命かなーって」

「相変わらずポジティブだなぁ……」


 とはいえ、彼がただのポジティブだけの人間ではないことを裕樹は知った。

 だからといって、彼がどういう人間なのか、まだ図れないことが多いと思う。つかもうとすればスルリと逃げてしまう。そんな感覚はいまだに残っている。

 だけど。いや、だからか。


「じゃあ、そのアカウントができたらさ」

「うん?」


 もう少し知ってみたいと、裕樹は思うのだ。

 この、有馬秀という奇っ怪な人間のことを。


「……僕が、一番にフォローしてもいいかな」


 だからまずは、初めの一歩として。


「秀。…………くん


 いっときの沈黙。

 顔を上げた秀は目を丸くして――すぐに吹き出した。


「ぶはっ……そこで、そこで結局君づけ……っ」

「し、仕方ないだろ! いきなり呼び捨てはハードル高かったんだよ! 大体名前で呼ぶような友達、今までほとんどいなかったんだから……ちょっと! 笑いすぎだから! ねえ! やっぱ有馬君って呼ぶからな!」

「ごめ、ぶはは、ごめん、変にツボって、うははほんとごめん待って」


 涙をぬぐった秀は――どこまでツボが浅いんだ――立ち上がった。彼は笑う。爆笑から、少し、形を変えて。


「もちろんだよ。裕樹、、

「……っ」

「もー! 照れるなよー!」

「うるさいなっ。秀君だって地味に耳赤いくせに!」

「うっそマジで!? ちょ、ええ、やばいそう言われたら恥ずくなってきたんすケド!」

「ウソだけど」

「ちょ、くそ、うはは騙された! ひでぇ! 裕樹の手練れ魔!」

「何だそれ!?」


「何を騒いでるのさ二人とも。パァティの準備ができたよ。みんなも待ってるから早くおし」


 珠美が部屋のドアにもたれて声を掛けてきた。相変わらずのスタイルの良さだ。もたれる姿も艶やかである。

 奥の部屋では、確かに賑やかな声が聞こえてくる。

 妖怪も、人間も。入り交じってワイワイと楽しげだ。

 きっと今までなら、目の前にしても信じられなかった光景だろう。

 バシリと秀が肩を叩く。いつもの勢いの良さで。


「よっし! 競争! よーいドン!」

「子供か!?」

「心はいつまでも少年ですぅー!」


 バカみたいなやり取りをしながら、二人は駆け出した。珠美もクスリと笑って後を追う。

 ちりん、と。

 風鈴が静かに鳴いた。

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