第61話

「え……煙々羅さん!?」

「こいつが男であることを分からせるには、こうするのが手っ取り早いと鳴瀬という者が」

「言うこと聞いちゃダメな相手だ!?」


 確かに昌明は、莉央が男だと見抜いていたようだった。だからこそ明確に秀の味方にもなった。だからって。手っとり早さだけを求めるこの方法は、下手すればセクハラで訴えられかねない。相手が本当に男だったとしても。


 莉央がたまらず部屋を飛び出す。

 裕樹も慌てて後を追った。

 だが――行き場などなかったのだろう。

 部屋を出てすぐ、莉央はその場に立ち尽くしていた。

 たくさんの目が莉央を見つめている。


「見た? 今の動画……」

「あの人が? 有馬君にひどいことしたっていう……?」

「男なんでしょ? 何で女子の制服着てんの、キモ……」

「変態じゃん」

「あいつが色目使ってたとかマジやばくね」

「うわ~俺も狙われちゃったらどうしよ」

「いやあれだけ可愛ければ男でも……でも性格なしだわ」

「それな」

「はあ? お前ホモかよキッモ」

「冗談に決まってんだろ」

「奈良! お前、騙してたのか!」

「ふざけないでよ! こんなことして許されると思ってんの!?」

「シュウ君に謝りなさいよ!」

「最低だな! 見損なったぞ!」

「……っ」


 誹謗、嘲笑、怒号、野次、それらが大きな塊となって莉央に注がれる。叩きつけられる。それはもはや暴力と呼べるほどの――。


「お熱いですなぁ」


 場の熱にそぐわない、飄々とした声が割り込んだ。

 それは周りのどの声よりも凪いでいたのに、妙に存在感があって。


「あ、どもども」

「有馬君……」

「どこぞのヒーローよろしく遅れて来ちゃってゴメンネ」


 いつものようにどこまでも軽い調子で彼は言う。裕樹はその気楽さにホッとした。

 だが、もちろん周りはそうはいかない。何せ渦中の人物だ。


「秀!」

「有馬君、大丈夫だった?」

「奈良にひどいことされたんだろ! 許せねえよ!」

「俺、俺、お前のこと誤解してた……!」

「シュウ君……私、シュウ君がそんなことする人じゃないって分かってたのに、ごめんね……!」


 わっとみんなが彼を取り囲む。「あー、うん」「サーセン」とその人混みをかき分け、彼は莉央の目の前にやって来た。

 莉央は睨む。しかしその目に力はない。


「シュウ君が仕組んだのね……」

「あっは。オレ以外にも被害が及ぶとなっちゃ、さすがに黙ってらんねっしょ」


 軽薄な色をたたえて笑った彼は、その色を困ったように変え。


「ただまあ……不意打ちみたいなやり方しかできなくて、それはゴメンネ」


 突然の謝罪に、莉央はポカンと口を開けた。


「……は? 何? バカにしてんの……?」

「や、悪いことは悪い、いいことはいいっつーのを一応はっきりさせとこうと思って?」


 ヘラリと秀は笑う。相変わらずのマイペースだ。みんなも何を言い出すのかと目を丸くしている。


「や、だからさ。例えば女装とか、そういう趣味っつーの? ナルと煙々羅さんのノリでうっかりさらされちゃったケド、それはほんとは不本意だったんすよ。だからゴメンネ。趣味自体は害がなきゃオレは文句つける気ねーし……」

「え……」

「おいシュウ! いいのかよ! だってそいつ、ホモだろ!」

「やー、カッコだけじゃ恋愛観はわかんねーっしょ。ホモっつーケドそれだって別に犯罪じゃねーし。その辺はどうぞお好きにとは思うケド」


 あっさりと一蹴された男子が言葉を失う。それは莉央も同じだ。


「それに奈良さんが委員長で、今までクラスのことでみんな色々助けられてきたのは事実なワケで。それをまるっと忘れて周りが文句つけんのも変な話かなって」


 それは、彼自身が周りからされたことだからこそかもしれない。

 周りがざわめく。何人かが目を逸らす。


「それは……でも、そいつが今まで騙して……そいつのせいでお前は……」

「そんなら文句言えんのはオレくらいじゃん。……まあ、オレのことを思って怒ってくれてんなら、その気持ちは嬉しいんすケドね」


 にへ、と気の抜けた笑みを浮かべた秀にみんなが黙り込んだ。

 彼は改めて莉央に向き直る。莉央はビクリと一歩下がった。顔面が青白い。

 そんな莉央に小首を傾げ。


「奈良さんがオレのこと気にくわないってんなら、それはしゃーないっすよ。ね」

「え……?」

「でもそれで周りに迷惑かけて……さらに他の人まで陥れようとするなんて、それは許されないことだよな?」

「……っ」

「オレが気にくわないなら、オレだけで終わらせるべきだったのに」

「……それ、は」

「――悪いことをしたらどーすんの?」


 それはまるで、母親が小さな子供を諭すかのような声音で。

 思いがけなかったのだろう。莉央は大きく目を見開いた。じわじわと涙の粒が浮かぶ。頭を垂れる。


「……ごめん、なさい……」


 震える声は、紛れもなく本心のようだった。

 ちらり、と秀が視線を送る。裕樹に向けて。それは裕樹の意見を求めているようで。


「え、あ、え? ぼ、僕? 僕は……まだ、別にそこまでひどいことされたわけじゃないから……大丈夫だけど……」

「そ? じゃあ解決っていうことで」


 パン、と手を合わせた秀は爽やかな笑みを浮かべ。


「お疲れ様っした~!」

「じゃねぇわボケ」

「あいたぁ!? ナル! 尻を蹴んな尻を! 爆発したらどーすんすか!」

「爆散しちまえ。つーか何だそりゃ、お前のことは丸投げかよボケ」

「うはは揺れる揺れる、脳みそシェイクできちゃう。心配してくれんの? つーかマジここまで色々付き合ってくれてサンキューな。あ、後で協力してくれたみんなとお疲れ様パーティするってドドちゃんが言ってたんすよ。ナルたちも来てくれな」

「だから呑気なこと言ってんじゃねえ。そうじゃなくてお前自身のことは奈良と決着つけなくていいのかよ」


 きょとんと秀は瞬いた。解放された彼は、ゆるりと視線を向ける。見られた莉央が硬直する。

 いっときの沈黙。

 ふは、と秀が笑う。


「じゃあそんなワケで、次からはできれば正々堂々、オレだけを狙うように!」

「――……はい……」

「そうじゃねえだろお前はあああ」

「痛い痛いナル、鳴瀬君、ちょっと加減を……やめて頭が潰れる! オレのいたいけな頭が!」


 賑やかすぎる二人のやり取りに、次第に周囲も緊張が解けていく。気が抜け、笑いが伝わっていく。意外すぎるくらいにいつもの空気だった。

 そして裕樹は――もしかしたら冷静に観察していた紗希もだろうか――見てしまった。莉央がぽーっとした様子で秀を見ているのを。

 あれは。

 気にくわない相手に向ける熱ではない。

 と、思う。


「……オチたな……」


 彼の業の深さに、なぜだか溜息が止まらない裕樹だった。

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