祝福の拍手

祝福の拍手

ぱちぱちぱちぱち

夏の盛りのことである。最近、家いにいると拍手(はくしゅ)が聞こえることがある。とてもとても気味が悪い。拍手というと、何か良いことでもあったのか、と怖々考える。

拍手というのは案外、響くもので家のどこにいても何となく聞こえてきてもう最悪だ。気を紛らわそうとしても効果が薄い。嫌々、学校の宿題をしようとしても聞こえてくる。あまりにも怖い。大音量でテレビをつけて、イヤホンでロックを聞き、無理矢理にでも外出することが多いため、友達からは結構アウトドア派だと思われているようだ。本当は家で髪を適当に縛ってのんびりしたいのに。もう嫌だ。発狂の一歩手前。こうなったら、死ぬ前にでも犯人を見つけてやる。拍手がどこから聞こえるか辿ろうとずんずん突き進む。少し急かされている気がした。振り払うようにするすると、徐々に仏壇のある和室に近づいていった。本当はインドア派で満喫にて漫画を読みまくる私は畳の藁の匂いが香ってきただけで、これは畳の下になんかあるなと妄想してしまう。こんな時にでも恐怖心はあるもので、奥底の不安感が足を止めようとする。震えながらも和室に入っていくと、そのままやはり下から聞こえてくる。どこだ、どの畳だと犯人を探す探偵のように意気込んだ。すると部屋の端の下から聞こえてくる。コンセントだ。そこから伸びるコードをゆっくり辿っていくと。そこには幽霊がいるわけではなく黒電話が繋がっていた。おかしい。家の電話は普通のボタンを押す固定電話タイプだし、もう閉じてしまってただの置物と化しているはずだ。ぱちぱちぱちぱち。相変わらず鳴っている拍手。

意を決してガチャリと電話を取ると、どうやら拍手はそこから聞こえているようだ。

「過去の...へ......さまを...たすけなくては...いけません。しゅ...くして...ぱちぱちぱちぱち。なん...ね。未来のあなたへたくします...どうかここまで...電話をとって...ますように...かみ...かみ...です...ささげたらいいのよ。きづいてもらえたらいいな。みらいに。ぱちぱちぱちぱち。」

ノイズが走って聞き取りずらいが、過去の誰かからの拍手らしい。何か封印されている。

そこからだった。拍手はぴたりと鳴り止んだ。その代わり、毎日ず...す...す...と今度は引きずるような、滑るような音がする。最初は何かの聞き間違い。それかクーラーの調子が悪いのか。拍手よりかはまだマシだが、なんか気味が悪い。丈が合わないスカートをひきずっているような...人が...てことはひとっぽいなにかが家中を...と思っただけで恐怖心で足の感覚が消えていく。手首は冷たく、胸は鐘を叩くようにがちゃがちゃ早く鳴る。悩まされて悩まされて、胃酸が上がってくる。はあはあとゴミ箱に嘔吐してから、今度はもうなんだといらいらさえしてくる。感情はもう、正常な機能を失っていた。また和室になんだと苦情を言いに来た私が見たのは、固定電話をぶち壊そうと殴りかかっていた人形っぽいなにかだった。二メートルはあるだろうか。最初は落ち武者かと思った。髪は荒れ、長さはばらばら。少しを残して抜け落ちていた。それには似合わず上等な着物を着ている。小袿は淡い萌葱色。その上から桃色の細長を羽織っている。しかしそれも埃が被っていた。後ろ姿しか見えないが、正面から見たらさぞ美しい姫であろう。固定電話に殴りかかっていたそれはぐるりと頭だけでこちらを向いた。目はギラギラと輝き、鼻はふんすと怒りを滾らせる。口は左右に避けて歪めていて、歯を食いしばり、そう、まるで鬼の形相だった。とんでもない殺気がごおっと部屋を包む。髪のない人形が人間みたいに滑らかに動いているだけでも怖いのに、私に向かって身に覚えのない怒りをぶつけてくる。はっはっと息が切れてもつれる足を必死に動かして振り向き障子を開ける。開かない。また振り向くともう目の前にいた。襖の前でへたりこむ。やつは殴りかかろうと片手を握りしめ震わせて、泣きそうにそれはもう凄まじく怒っていた。ふと思い出す。電話の「かみ」この人形に髪はない。ままよという気持ちで自分の長い髪を手一杯に握りしめ、ブチブチと引きちぎった。そして、目の前に投げて、「私の...命ともいえる!!!髪を捧げますのでどうか...はあ...どうかお怒りを...沈めなさるよう...」恐る恐る見上げると、ぐぐぐと怒りをこらえるように両手で顔を覆ったあと。俯いて私を見つめ、その大きい人形は涙を流していた。静かに、音も立てずに。装いにぴたりと合った美しい涙。つつぅと頬を伝う。

「あなたはまた...そうやって.......自ら...」

響き渡る震えた高い声がしんとした和室に響く。しばらく、永遠とも思われる時間が経ったあと、彼女は顔を上げ私を見つめ、

「あなた様のお覚悟とお優しさに感謝を込めて。そしてまた、あなた様の美しい髪を散らしてしまった悲しみと、また恵まれますよう願いを込めまして、拍手(かしわで)を打たせていただきます。」

と急に饒舌になり、ぱちん、ぱちんと美しい音を部屋中に響かせ、去っていった。美しい姿勢で押し入れに向かって。そして消えていった。

ダメ元で、長年この家で暮らしてきた祖母にこれまでの経緯を話してみた。信じてもらえないかもしれないが、まあ作り話だからと言えばおかしくないだろうという気持ちで。ただしあんなに美しい涙を静かに静かに流し、鈴が転がるような声をなみなみ発し、美しく音を鳴らせる手。殴りかかろうとしていたその手を下ろして指先までぴんとして手を合わせたことを思うと、おかしな作り話としてしまうには辛かった。

祖母はしっかり聞いてくれて、過去を思い出すように話した。

お前がな小学校一年生の時のことなのだけどな。お祝いにお雛様を注文したの。だけど不良品を掴まされたのか、すぐ壊れてしまってな。髪がぼさぼさになってプラスチックが見えてな。首は落ちかけておったのよ。それにお前のお父さんとお母さんは激怒して、電話で作った会社にクレームを入れたあと、その人形を悪いけれども...と渋々捨てようとしたのよ。その時じゃった。なら私の髪を分けたげたらいいの!とか言ってな。お前はハサミで時分の髪をざくざくに切ってしまっての。お母さんはど叱った。何をしてるのってな。お父さんは殴りかかろうとするくらいだったわ。その人形をな。ただひとり、お前だけがにこにこしていたのよ。それに免じて人形は押し入れに入れられ、お前は髪を床屋で整えてもらっての。あの時は虐待を疑われて大騒動よ。お前の七五三の写真で髪が短いのはそういうことよな。

いつの間にか七五三のはなしになったところでもういいよわかったよ、と話を切り上げた。祖母は今からがかわいい話なのに、と言ってから、

「お前はほんとに綺麗な髪での、産婆さんに褒められて...」

と関係ない話をしだしたのでもういいよ!と二回目の話を止める言葉をかけた。

自分の部屋で反芻する。彼女は押し入れの人形なの?じゃあなんで、あんなに怒ってたの。私に向かって。でも祝福もしてくれたし...悪い子ではないと思うんだけどなぁ

と思って不思議な経験をしたことを思い出に、高校は卒業した。中途半端のままに。ただし恐ろしく怖かっただけは未だに悪夢を見る。大学二年の頃、ふと思い出し母に聞いてみた。あのさ、人形、お雛様ってどうしたの。返答は、

「ああ、あれね。あんたがとても大事にしてたから押し入れにしまっといたんだけど、いつまでもそうする訳にもいかないからさ。無事高校を卒業しましたよって報告して人形供養してもらったんだっけ。」

そっかもう会えないのか。もう家にないのかな。あの桃色の細長きれいだったな。鈴みたいな響く声だったな。と思うと少し寂しい。

そして月日は流れ、結婚、子供が生まれた。その頃、お雛様をお祝いに、という話になった。

子供には、

「人形は大切になさい!彼女たちにも思うところはあるのよ!」

を教訓に、ことある事に言い続けた。思春期で、幼い頃買ってやった人形を捨てようとしたときも、それだけは絶対、思春期だからとほとんどは許してしたけれどもそれだけは、許さなかった。

後、体を壊して入院して、余命宣告された時、三十の娘は言った。

「あのお雛様、ちゃんとまた子供のためにとってあるから。虫干しもしてるからね。安心してね。」

その言葉を聞いてほっとした。そして私は眠っていった。最後に娘の涙が落ちる音を聞き、心臓の音の遠くなるのを聞いて眠ったのだ。静かで、でも優しい空気だった。

次に目が覚めたのは、三途の川の畔。生前よく、娘の入学式とか、結婚式に着ていった付け下げを着けていた。桃色で、左肩から右下に、おはしょりの下から裾まで、斜めに流れるように白い縁どりの桜の花が散らされている。上品で、でも主役を引き立てる。とても重宝した。帯は白よりの山吹色。四つ菱の文様が入っている。きっと娘が、棺桶にこの着物と帯を入れてくれたのだろう。少し褪せているが、それまで取っておいてくれた娘には感謝感激である。歳は三十くらいの姿になっていた。橋を渡れる足腰を持っていた。娘が産まれたぐらいの頃だ。実はその頃からお雛様を贈ろうと思っていた。

閻魔殿に通され、大王の前で正座し、こんな格好でいいのかと閻魔様の御前で謝ったとき、

「お前を待っていた者がおるのだ。その格好もその者が望んだこと。入ってきなさい。」

との言葉で姿を現したのは、あの時の人形だった。たまに悪夢を見る、それでも美しく涙を流したあのお雛様に再開したのだ。

目を見開く私に彼女は言葉を紡ぐ。相も変わらず二メートルの大柄な彼女であるが、鈴のような美しい声と桃色の細長を着て、優しい顔つきをしていた。あの頃と同じだ。

「あなた様に心をつくしていただいて、あなた様の母君に供養していただき、こちらでお待ちしておりました。」

「あなた様を傷つけようとしていたこと、説明の責任がございます。どうか、お聞きいただきたく。」

「積もる話もあるだろう。部屋を用意した。そちらで心ゆくまで話せ。仕事の邪魔になるのだ。」

何だかこの閻魔様、優しげである。

お雛様の後に続く。細長を床に扇のように滑らせ静かにすっすっと歩く彼女に着いていく。右に曲がって真っ直ぐ。襖を開けて、部屋に入る。そこは畳の部屋で 床の間には掛け軸、その下の花瓶にはみずみずしい菊が差されていた。

「まず、わたくしは、あなた様が高校生の時分に取り憑いていた怪異の一種みたいなものでした。怖がられたと思います。雛として失格でございます。」

恐る恐る頷く。

「では、説明させていただきます。ことはあなた様を悩ませていた拍手から始まります。」

以下はお雛様の言葉である。


あれは幼いあなた様が私にその美しい黒髪を捧げてくださったときのことでございます。その過去のあなた様が未来のあなた様に向けてかけた電話でございます。

もし、お雛様がお怒りの時は髪、髪を捧げてくださいまし、と幼いながらに難しい言葉を使っておいででしたね。

その時の手を叩いた祝福の拍手が、あなた様が高校生の頃の電話から響いたのでございます。人の手によって作られた電話なる機械は、人々に寄り添いその恩を返すように未来の高校生となったあなた様につなげたのでございます。ちょうど私が怪異に成り果てかけた頃でございました。あの電話も、あなた様を気遣ってのことでしょう。

私は、捨てられかけていたことを知っていたのです。出来損ないに作られ、髪を崩され人に贈られた瞬間に捨てられかけた。それ以降は閉じ込められ忘れられ。捧げてくださった髪は片付けられて惨めでございました。とても。あの御髪は生まれながらにしてあなた様に贈られたものでした。苦労をかけず持って生まれた羨ましい髪をくださった。なんと惨めな、と。そしてあの固定電話の拍手。あなた様に危険を知らせる警報機として電話がこのタイミングで鳴らしたものでしょう。私には贈られなかった祈りの音。祈りの拍手。ああ羨まし羨まし。そして怒りに支配された私は、怪異としてその身を大きく大きくさせたのです。とんでもない怒りを閉じ込めるにはあの体は小さすぎた。もうその時点で怪異に成り果てかけていたのでしょうね。殺される前に、私の存在を知らせようとした憎っくきものとしてあの電話を壊そうとしたのでございます。そこにいらっしゃったのが、あなた様。羨ましいは恨みの言葉。そして私の一部である髪の一本が、あなた様の幼き優しさを惨めという感情に塗り替えようとしていた自らをも呪わんと、私を蝕んでいったのでございます。そして。とんでもないことに、あなた様の祝いとしてこの家に来たのが悪いとの怒りに支配され、あなた様とあなた様のご家族を傷つけようとしたのでございます。

しかし。あなた様がまたもや髪を私に投げてらしたことで幼きあなた様のお声が蘇ったのでございます。私の髪をどうぞ。私のお雛様。と。

私が怪異として墜ちなかったのは、あなた様のそのお優しさが全てでございます。何度も何度も私を想って救ってくださった。あなた様の。


それを聞いた私は答える。


そんなの、あなたは、私のせいで。あなたは。わたしをやさしいと言ってくれるけど、わたしはあなたの事をあのときまで忘れてた。わすれてたし、髪を投げつけた。あなたが髪を辛く思ってるのに。自分が助かるためだけに投げたの捧げたの。


いいえ、それでもこの身を朽ち果てずに済んだのはあなたさまの行動こそですの。


違うわたしは。あなたを看取らずに母に任せっきりで。あなたの苦労を何も知らずに今まで生きてきた。あなたのいっているような人じゃないの。


彼女に縋りついては、涙と鼻水でその美しい細長を汚してしまった自分に大層嫌気が差す。


いいえ、あなた様のお優しさは、あなた様の娘様のお祝いに贈ってらした雛君、お雛様から聞いておりますし、わたし自身もみておりましたから、ご安心なさって。さあ、あなた様が無事一生を全うされたこと、そして私のことを知らせる意味をもって言葉を贈ってははいかがですか。


ふと顔を上げると、部屋の隅に電話がひっそり置かれていた。

「過去の私へ。あなたは無事に生きていきます。姫のおかげで。その祝福を込めて、そして鈍感なあなたに気づかせるため、そして叩き起すため、拍手を贈ります。そして、髪、髪を贈りなさい。姫は喜んでくださいました。ぱちぱちぱち。」


姫は優しく見守っていた。

結果論であるが、高校生の時の彼女には、幼い彼女から未来の彼女への拍手と、閻魔殿の未来の彼女から高校生の過去の彼女への拍手が送られた。結果として、拍手が重なり家に鳴り響いていたのであろう。


桃色の細長を来た彼女に連れられて戻ってきた私を迎えたのは、ちょうど罪人に地獄送りの判決を下した閻魔様であった。

「ちょうどいい、そなたにも判決を下そう。その人形のことはまあ、悪い部分もあるかもしれぬが。きちんと娘を育て真っ当に生きた者、地獄に送る訳にはいかぬな。してそち、人形には、天国が似合う訳でもなかろう。怪異に成り果てかけた。」

「閻魔様、恐れながら。彼女は私を救ってくださいました。その身堕とそうとも私の髪に涙し生を全うするよう祝福してくださった彼女を地獄には贈らせたくはありませぬ。」

「まあ、そうだろうな、そのために罰を与えよう。」

姫は静かに正座し聞いている。

「人形供養というものがあるな。そちも体験したであろう。そのものたちの扱いに困っておってな。人間のお前らには分かるまいと話を聞かぬのだ。そこで、そのもの達の管理を与える。同じ人形、それも苦労の果ての姿ならばまだ速やかだろうな。」

「はい。そのお役目、全身全霊で全うしたいと存じます。」

「閻魔様。私もそのお役目、お手伝いさせていただきたく。」

「良いのか、お前は殺されかけた身。人形たちの恨みを受け止めるにはさぞ苦しみを伴うであろう。」

「彼女が怪異になりかけたのは私のせいでもあります。どうか、私にも罰をいただきたい。」

「自らを罰せと申すそのその心、受け止めるべきであろう。では役目を申し渡す。人形供養の部署の建設と管理を命ず。」

「ありがとう存じます。」


閻魔様に割り当てられたのは、あの話をした畳の部屋である。よかったのですかと心配そうに声をかける彼女に私は、にこりと微笑む。あなたに、私を許してくれたあなたの力になりたいと。彼女はくすくすと笑った。相変わらず、鈴の鳴るような声が響いていた。新しい世界への幕開けを祝福して。拍手。

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祝福の拍手 @usiosioai

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