衆人に見守られながらパトカーで警察署に連行され、五時間に及ぶ取り調べを受けた挙句、翌日刑事が二人の鑑識員を引き連れて、私の部屋にやってきました。

丸子稔

第1話 青天の霹靂

 今から30年以上前、私は当時住んでいたマンションの隣人が殺害されるというショッキングな体験をしました。

 もちろん、そのこと自体にもかなりの衝撃を受けたのですが、それ以上にショックだったのは、その後しばらく容疑者扱いされたことです。

 今からその時の状況を説明しようと思います。


 当時私は会社員だったのですが、上司とケンカをして会社を一週間ほどずる休みしていて、その間、昼くらいまで寝て、その後パチンコ店や競艇場に出掛けるという体たらくな生活をしていました。


 その事件があった日は朝から隣室がやけに騒がしく、何かあったことは分かっていたのですが、あまり気にせず、そのまま寝ていました。

 そして、それまでと同じように昼くらいに起き、コンビニへ昼飯を買いに行こうとしたところ、隣の部屋からドア越しに『殺人』とか『鑑識』とかのワードが聞こえてきたのです。


(なに? まさか隣の部屋で殺人事件があったんじゃ……いや、そんなドラマみたいなことが起こるわけない)


 そんなことを思いながら外に出ると、数台のパトカーと大勢の人たちがマンションの周りを取り囲んでいました。


(おいおい、なんだよこれは。どうやら本当に殺人事件が起こったようだな)


 その光景にしばし呆然としていると、眼光の鋭い三十代半ばくらいの男性が声を掛けてきました。

 

「私、こういう者ですが、あなた、このマンションの住人ですか?」


 男性は警察手帳を見せながら、訊いてきました。


「はい」


「何号室ですか?」


「302です」


「そうですか。実は隣の303号室で昨日の夜中に殺人事件が起こったのですが、ご存じですか?」


「はい。周りの状況から、なんとなくそんな感じはしていました」


「なるほど。ちなみに、これからどこか出掛けるのですか?」


「ええ。昼飯を買いに、ちょっとコンビニまで」


「事件のことで、今から少しお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」


「……分かりました」


 ここで下手に断ると、余計な詮索をされるのではと思って、私は渋々了承しました。


「では、これに乗ってください」


 私は半ば強制的にパトカーに乗せられ、多くの野次馬に見守られる中、そのまま警察署に連行されました。




 やがて警察署に着くと、私は薄暗い取り調べ室に連れていかれ、さっそく事情聴取が行われました。


「まずは、名前をお聞かせください」


「丸子稔です」


「年齢は?」


「21です」


「学生ですか?」


「いえ、一応会社員です」


「今日は会社はお休みですか?」


「いえ、そういうわけではないのですが……」


 言い淀む私に、刑事は「では、なぜ会社に行ってないんですか?」と追及してきました。

 ここで下手に言い訳をして、あらぬ疑いを掛けられるのが嫌だったので、私は「ある事情があって、会社をズル休みしてるんです」と、正直に答えました。

 すると……





「なんでズル休みなんかしてるんだ」


 刑事は態度を豹変させ、まるで犯人を見るかのような目で私を睨みつけてきました。

 私はその目にすっかり委縮し、そこに至った経緯をすべて話しました。


「なるほどな。まあ、お前の気持ちも分からんではないが、いつまでも今の状態でいても仕方ないだろ? 会社を辞めるにせよ続けるにせよ、はっきりと決断した方がいいんじゃないか?」


 大した事情も知らず、上からものを言う刑事に腹が立ちましたが、私は「そうですね」と、無難な回答をしました。


「ところで、お前まだ昼飯食べてないんだろ? 何か食べたいものはあるか?」


 刑事の言葉に、私はドラマのワンシーンを思い出し、「じゃあカツ丼で」と言ってみました。

 そしたら……



「何がカツ丼だ。お前はドラマの見過ぎなんだよ。パンか弁当を買ってきてやるから、早く金をよこせ」


 私はカツ丼を頼めなかった事より、昼食代を請求された事の方に驚き、「えっ! 僕が払うんですか?」と、思わず素っ頓狂な声を出してしまいました。


「当たり前だ。こんなのでいちいち金を出してたら、こっちの身が持たねえよ」


 私は(こっちは任意で来てやってるのに、それはないだろ)と思いましたが、無論それは口に出さず、財布から千円札を出し、幕の内弁当を買ってきてもらいました。


 やがて刑事が買ってきた弁当を食べ終えると、さっそく事情聴取の続きが行われました。


「ところでお前、隣人とは面識があるのか?」


「二、三回会ったことはありますが、話などは特にしていません」


「そうか。まあ、これはいずれ分かることだから言うが、被害者は乱暴された挙句、首を絞められて殺されている。犯人の動機が体目的だったのか金目的だったのかは分からないが、いずれにせよ残忍な奴だよ」


 私は刑事が発した生々しいワードにおののきながらも、「僕にそんな恐ろしいことはできませんよ」と、必死に声を絞り出しました。


「別に俺は、お前がやったなんて言ってるわけじゃない。ただ犯罪者というものは、精神的に追い詰められている時に、罪を犯してしまうことが多々あるんだ」


「僕は追い詰められてなんていませんよ! ただ、会社をズル休みしてただけじゃないですか!」


「一日、二日ならそう言えるかもしれんが、お前の場合一週間もズル休みしてるからな。精神が不安定だったと思われても、仕方ないだろ」


「…………」


 刑事のもっともな言葉に、私は言い返すことができず、ただじっと俯いていました。

 すると、そんな私の様子を見て、彼はなおも攻撃してきました。


「写真で見たが、被害者は結構美人だよな。お前、彼女に欲情して部屋に侵入したんじゃないのか?」


「僕がそんなことするわけないじゃないですか! さっきも言いましたが、僕はそんな恐ろしいことはできないし、精神もちゃんと正常ですよ!」


「どうだかな。まあ、それはこれからの捜査で、おいおい分かることだからな」


 刑事はその後、私の家族や友人、また学生時代のことや会社での人間関係を根掘り葉掘り訊いてきました。

 そして終わり際に、「もし犯人がお前の部屋に侵入していたとして、犯人と格闘になっていた場合、勝つ自信はあったか?」と訊いてきましたが、この質問は三十年以上経った今でも、その意図がよく分かりません。


「じゃあ、今日はこのくらいにしといてやるが、まだお前の疑いが晴れたわけじゃない。明日の朝、鑑識員を連れてお前の部屋に行くから、どこにも出掛けるなよ」


 刑事は最後にそう言うと、ようやく私を解放してくれました。

 刑事に見送られながら警察署を出ると、外は今にも雨が降り出しそうなほど厚い雲に覆われていました。


(この先、俺はどうなってしまうんだろうな)


 別の刑事に覆面パトカーで家に送られている車中、私の心は外の景色と同じように、どんよりと曇っていました。



 

 翌朝、刑事は予告した通り、鑑識員二人を引き連れて、私の部屋を訪れました。


「じゃあ、指紋と足紋をとらせてもらうから、まずは右手を出せ」


 私は刑事に言われるがまま右手を出し、どの指か憶えていませんが、鑑識員に指紋を採取されました。

 その後足紋を採取すると、刑事は「あと、髪の毛を一本抜いてくれ」と言ってきました。

 私は(これじゃ、完全に犯人扱いだな)と思いながら、渋々自分で髪の毛を抜きました。


「もうニュースで知ってると思うが、犯人はベランダから部屋に侵入している。今からベランダを調べさせてもらうぞ」


 刑事はそう言うと、鑑識員とともにベランダへ移動しました。

 私がもしベランダ伝いに隣の部屋に侵入したのなら、その境目付近に私の指紋や足紋が残っていると思ったのでしょう。

 彼等はそこを重点的に調べ、それが終わると刑事はタバコを二、三本吸って、鑑識員とともに帰っていきました。




 その後、刑事は毎日のように私の部屋を訪ねてきました。

 何度も同じ質問をされ、いい加減頭にきていた私は、ある日「いつまで同じ事を訊くんですか? いい加減うんざりなんですけど」と、胸の内を吐露しました。


「無論、お前が正直に告白するまでだよ」


「鑑識の結果、被害者の部屋に残っていた指紋と僕の指紋は違ってたんですよね? なのに、なんで僕はいつまでも疑われなければいけないんですか?」


「お前が会社をズル休みするような人間だからだよ。前も言ったが、そういう人間はおおよそ犯罪に走る傾向にあるんだ」


 頑なな刑事の態度に、私はそれ以上何を言っても無駄だと思い、その後ずっと感情を殺したまま刑事の質問に答えていました。

 引っ越しすることも考えましたが、それだと余計疑われるうえ、逃げたと思われるのがしゃくなので、意地を張ってその部屋に居続けました。


 後日、私は辞表を持って会社を訪れました。

 警察の捜査が会社にも及んでいたためか、上司は引き留めることなく割とあっさりそれを受け取りました。

 かくして私は、身も心もボロボロとなったのです。

 その後もしばらく刑事や新聞記者が部屋を訪ねてきましたが、やがてそれも無くなりました。


 そして、事件から半年くらい経ったある日、私はニュースで犯人が捕まったことを知りました。

 犯人は二十代の男で、あるマンションに盗み目的で侵入して捕まった後に、半年前の殺人事件を自供したようです。

 犯人が捕まった翌日、刑事が久し振りに私の部屋を訪ねてきました。


「もう知ってると思うが、ようやく犯人が捕まった。これでお前もようやく安心して眠れるな」


「言うことはそれだけですか?」


「お前、何が言いたいんだ?」


「今まで散々疑ってきたこと、謝ってくださいよ」 


「ふん。そんなんでいちいち謝ってたら、仕事にならねえんだよ」


「なんですか、その言い草は! あなたは間違ってたんだから、謝るのが当然でしょ!」


 刑事の誠意のない態度に、私は溜っていた鬱憤を吐き出しました。

 すると、彼は不敵な笑みを浮かべながら、こう言ってきたのです。


「言っておくが、俺はお前のことをまだ疑ってるんだ。犯人は自供しているが、後で取り消すなんてことはざらにある。今回もそうならないといいけどな」


   了


 


 

 








 








    




   






 




   







 







 


 

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衆人に見守られながらパトカーで警察署に連行され、五時間に及ぶ取り調べを受けた挙句、翌日刑事が二人の鑑識員を引き連れて、私の部屋にやってきました。 丸子稔 @kyuukomu

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