何故に光の勇者は闇に染まったか

志波 煌汰

光を憎むもの

 漆黒の刃が舞う。

 その一太刀は黒々として、重く、空間そのものを切り裂くようだった。

 咄嗟に防御の構えを取った戦士は、それが悪手であったことを数瞬後に知ることとなる。10数メートル後ろの壁に叩きつけられた激痛と共に。


「があっ……!!」


 薄暗い赤色が戦士の口から飛び出した。何たる威力。神官による防御強化術がなければ、体が二つに分かれていたことだろう。現に盾代わりに構えていた大剣はそうなっている。


「戦士っ!!!」


 仲間の悲痛な叫びに大丈夫だ、と手を振り、戦士は口元を拭った。


「はっ、流石の力だな……まさかこの身で味わうことになるとは思ってもなかったけどよ。なぁ?」

「……」


 敵は、漆黒の衣装に身を包んだ男はその言葉に応えない。

 戦士はその沈黙にギリリと奥歯を嚙みしめた。


「どうしてだ……」


 困惑と、それを上から塗りつぶすほどの怒りの炎が戦士の瞳に宿っている。その熱量に比例した声量で戦士は問いを投げかけた。




「どうして闇に堕ちた……勇者ああああああああ!!!!!」



 かつて『光の勇者』と呼ばれた男は、邪悪な魔力を纏って静かに佇んでいた。


「そうだ、何故なんだ勇者!! 答えてくれ!!」

「あんなに正義に燃えていた勇者様が、何故……」

「そうよ! 『光の勇者』なんて称号も気にせずに頑張ってたじゃない!!」


 戦士の問いに触発されて、次々と仲間が叫び出す。思い出してくれ、と。あの気高い心はどこに行ってしまったのか、と。

 だが、その言葉は『光の勇者』だった男には届かない。

 彼は、以前とは打って変わった輝きのない瞳でかつての仲間を見つめ返し、呟く。


「以前の俺は、愚かだった」


 轟! と闇のオーラが火山の噴火のごとく荒れ狂う。


「この世に光など、要らない。俺は光を……そして女神を、憎む」


 禍々しい魔力は形を成し、その顔を覆い隠す仮面となった。

 暗黒の仮面を纏う男は、絶望を孕んだ声音で叫ぶ。


「光など!!! この俺が、全て消してやる!!」


 その言葉に込められた意志は、仲間たちを気圧させるには十分すぎるほどだった。

 ピリピリと言葉そのものがプレッシャーを放ち、戦士たちの肌を総毛立たせる。


 戦慄を覚えるほどの、悲壮であった。

 これは勇者の心からの言葉であるのだと、その場の誰もが確信し、言葉を失った。


 だが、たった一人。ただの一人だけがその言葉に怯えず一歩踏み出す。

 それはこの場の誰よりも非力なはずの、神官の少女であった。


「どうか、帰ってきてください、勇者様! 『光の勇者』という称号に恥じ入ることなく勇者であろうとしていたあの頃の貴方に……私は、救われたんです!!!」


 その言葉。

 その叫びに、仮面の元勇者は反応した。


「……それだ」

「え?」

「それこそが、俺が闇を選んだ理由だよ、神官」


 静かな声であった。まるで、嵐の前に風がぴたりと止むような。


「ど……どういう意味ですか? それは、『光の勇者』なんて呼ばれたら恥ずかしいでしょうが、貴方は全然気にもして……」

「俺が異世界からの転生者だって話は、前にしたよな?」

「え? ええ、はい……」


 急に変わった話題に、困惑しながらも肯定を返す神官。後ろの仲間たちも首をひねっている。


「そう、俺は異世界から来た……だから、分からなかったんだ。『光の勇者』って名乗るたびに、なんか周りの人たちが微妙な顔をしたり、顔を赤らめたりする理由がな……!!!」

「え……? 分からない、って、なんで……? そんなの、みんな知ってることじゃ……」

「ああ、『この世界』では、な。俺の絶望は……その理由を知ってしまったからだ!!!」


 かつて『光の勇者』だった男は、そして語る。

 己が闇に堕ちた、その理由を。



「あれは、ヨシャーラでそれぞれ単独行動をしていた時のことだ……」



――

――――

――――――


 一人になった俺は、とある場所に訪れてそわそわしていた。

 前々から……そう、それこそ転生する前からずっと興味があるところだった。異世界に転生した時も、気になっていたよ。

 今まではずっと誰かと一緒に行動していたし……それに、ちょっとイメージ的にもどうかなーと思って、躊躇っていたんだ。


 でも、もう我慢の限界だった。

 だから俺は変装し、顔を隠してそこに行ったんだ。


 ベッドの上でしきりに貧乏ゆすりとかしながら一日千秋の思いで待っていたら、ついに扉が開いた。つい立ち上がったもんだ。

 入ってきたのは、踊り子の恰好をしたお姉さんだった。

 服の生地は薄く、体に張り付くようになっていてボディラインがはっきりと分かる。グラマラスな体系の美人さんだ。俺の喉が知らず、ごくりと音を立てた。そんな俺の様子を見て、お姉さんは妖艶に微笑んだよ。


「待ちきれない、って顔、してますねぇ……。それじゃあ早速ですが、始めちゃいます……?♡」

「お、お願いします」

「ふふふ……♡ それじゃあ……まずはどうして欲しいですか……?♡」

「み、見たいです! 見せてください」


 俺は真っ赤になりながら叫んだよ。そんな俺を見て初々しいと思ったのかな、お姉さんはからかうみたいに「せっかちなこと……♡」って言いながら、その服に手をかけたよ。

 俺は興奮のあまり気絶しそうだった。ついに。ついに見れるんだと。前世の頃から憧れ続けたあの麗しの果実をその目で!!

 お姉さんは焦らすように体をくねらせながら、ゆっくりと服を引っ張る。

 早く、早く!!! 思わず前のめりになる俺。

 そして、ついにその服がはだけ、俺の求めていたものがまろび出ようとした、その瞬間。



 俺の目を、真っ白な光が焼いた。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。だが次の瞬間には理解した。

 ずっと見たかった乳首が、で綺麗に隠されている。

 そう。それはつまり。



「この異世界、かよ――――――!!!!!!!」



 俺の叫びが、こだました。


――

――――

――――――


「……これが、俺が闇に堕ちた理由だ」


 男は語り終えた。


「………………」


 沈黙が、場を支配していた。

 ただし、曇天のように重たい沈黙ではない。困惑を多分に含んだ沈黙だ。


「えっと……?」


 格闘家の男が、ゆっくりと手を上げる。


「今のは、ヨシャーラで娼館に行った話だよな……?」

「そうだ」

「それで何で闇堕ちを……?」




「おっぱいが見れなかったからだよっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!」



 男は叫んだ。

 渾身の叫びであった。



「俺は!!!!! 俺はずっと!!!!! 一度でいいからおっぱいを生で見たくて!!!!!! 死ぬときに考えてたのも『このまま童貞で死ぬのかなぁ、一度でいいからおっぱい見たかったなぁ』だったのに!!!! 転生して!!!!!! 勇者になって!!!!! 女の子にモテておっぱい見れると思ってたのに!!!! なんの仕打ちだこれは!!!!!!」



 まくしたてるように、勇者だった男は叫んだ。

 仮面の下から、悔しさのあまり血涙が零れていた。


「いや……おっぱい見れてんじゃないか? それは」

「見れてねえよ!!!!! 謎の光で遮られてんだよ!!!! あんなのは見た内に入んねえよ!!!! ショック過ぎて膝ついてたからお姉さんも困惑して帰っちゃって、童貞も卒業し損ねたよ!!!!」


 戦士のツッコミにも怒涛の勢いで叫ぶ元勇者。

 本気の悔しさだった。あまりにも必死だった。


「いや……何言ってるのかよく分かんないんだけど。乳首や股間が白い光で隠されるのは、当たり前のことでしょ? 健全神ビィ・ピィ・オウ様のご加護で……」

「俺の世界には謎の光なんてねえ!!!!」

「「「「「「ないの!!!!?????」」」」」」


 その場にいた勇者以外の全員が、酷いショックを受けた。



「そうだよ!!! 通りで『光の勇者』って名乗ったら微妙な顔されるわけだよ、つまり『モザイクの勇者』とか『黒海苔の勇者』『性器修正の勇者』ってことじゃねえか!!! そりゃあんな顔もするわ!!!!!」

「分かってなかったのか……」

「俺はずっと深夜アニメの謎の光とか謎の湯気に憎しみを抱いていて、いつか本物のおっぱいを見てやると思っていたのに、それなのに、それなのにいいいいいいいい…………!!!」


 男の体から闇の魔力が溢れ出る。それを剣に纏い、元『光の勇者』は宣言した。


「だから、俺は闇に堕ちた! 健全神を倒し……謎の光も消して!!! おっぱいを見るために!!!!!」

「…………」


 白けた沈黙が広がった。

 あまりにしょーもない理由であった。


「あの……」


 それを破ったのは神官だった。


「つまり、勇者様は、おっぱいが……乳首が、見たいんですね?」

「そうだ!!!!!」

「……これは、本当は、秘密なんですけど……」


 神官は顔を真っ赤にして、恥じらうようにして、告げた。


「私、神官ですので……そのう……光の調整とか、出来る、術をですね。こっそり……知っていて。勇者様がおっぱいを見たいのであれば……その、私ので、良ければ……」

「どうした皆早く魔王を倒しに行こうじゃないか!!!」



 闇の仮面を叩き割り、黒い衣装を脱ぎ捨てた『光の勇者』が爽やかに言った。

 そして仲間にボコられた。

 足蹴にされ、女魔法使いのローブの裾からちらちらと漏れる謎の光を浴びながらも……『光の勇者』はめちゃくちゃいい笑顔を浮かべていた。

 ちょっとスケベな笑顔だった。


(了)

 


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