留まる事など決してない

@hinorisa

第1話

 子供の頃、『彼』は夏休みにはいると、一週間ほど母方の祖父母宅へと帰省していた。目的は先祖の墓参りと、祖父母との交流と、山や小川など自然に囲まれた土地での避暑。

 『彼』の家以外にも、同じような理由で戻ってきている家族がそれなりに居た。外で遊んでいると、同年代の子供達と何度か顔を合わせる事があり、自然と一緒に遊ぶようになった。

 その土地は自然が豊かで、のどかな田園風景が広がり、農業と近くの山での林業、もしくは車で隣町まで働きに出てていた。最低限のインフラ設備は整っており、持ち寄りの隣町のスーパーまでは車で二十分ほど。

 小学校はあるが、中学校は無いので自転車を漕いで隣町まで三十分。バスは一時間に一本。不便ではあるが、車があれば生活できる。


 『彼』はこの田舎が好きで、毎年夏休みを迎えると、カレンダーを毎朝確認して、お盆の時期を待っていた。

 豊かな自然は子供には格好の遊び場で、同年代の子供達との山を駆け巡り、小川で水遊びをして、沢蟹や魚を捕まえ、頑張って早朝に起床してカブトムシを捕まえ、少し遅めの時期になったが夜の小川でホタルを眺めたりした。

 畑で採れる新鮮な野菜は瑞々しく、甘く、野菜の入った籠ごと小川の清流で冷やして、休憩がてらおやつとして齧った。特にスイカは絶品だった。小川の土手で去年のスイカの種が芽吹き、小ぶりのスイカが実っているのを発見した時は驚いた。

 古き良き田舎の光景が、そこにはあった。


 そんな『彼』も成長し、大学受験の対策のために、夏休みにも塾の特別講習を入れていたのだが、偶には息抜きも必要だろうと避暑と休息のために田舎を訪れる事になった。

 生憎と両親は急な仕事が立て続けに入り、数日だけ滞在して先に戻る事になった。最終日には『彼』を迎えに来る予定なので、それまでは夏休みの宿題の残りを片付ける事にした。

 この歳になれば、野山を駆け回る事はしなくなり、無謀な冒険に憧れを抱く事もしなくなってはいたが、それでも『彼』はこの土地のゆっくりとした雰囲気を好んでいた。

 朝の涼しい時間には一人で散歩をして、のんびりとした田舎の空気を楽しむ。

 湿り気を含んではいるが涼しくて心地よく、早寝早起きを心がけている住民の生活音が聞こえてくる。働き者の彼らは、涼しく働きやすい時間帯を狙い、もう少しすれば田畑に向かうはずだ。

 稲は青々と葉を伸ばして田んぼを満たし、時より吹く風になびいて波の様に揺れる光景を『彼』は見つめていた。

 この土地の住居は集落の中心部に密集して建てられており、その外側にそれ以外の施設や田畑が作られている。そしてその中心には、家一軒が立てられるほどの広さの敷地に雑木林があった。その雑木林は集落の人間によって手入れされており、様々な木が植えられている。その林の奥、土地の中心部には社が立てられており、敷地外からでも木立の隙間からその様子を窺う事が出来る。

 『彼』も小学生の頃、『彼』と同じように帰省してきていた子供達と共に、その雑木林の中を走り回っていた。綺麗に雑草が除去され、無駄な枝が払われた林は、子供達にとっては格好の遊び場だった。

 何となく気が向いた『彼』はそんな事を思い出しながら、雑木林の周りをぐるっと一周する事にした。

 雑木林には様々な木が植えられている。柿や柚子や桑やザクロ、苔桃やグミといった果樹から、クヌギや柏やナラや樫と言った団栗が実る物、桜に梅に桃など花が美しい物など、多種多様な木が植えられ、集落の人達全員で管理されていた。

 他にも野苺やアケビなども自生していて、『彼』も採った事がある。

 元より農業や林業に携わっている人達が多く、この程度の広さであればそれほど管理が難しいわけではない。実際に雑木林はいつ来ても綺麗に手入れされており、『彼』は素直に関心をしていた。

 不意に『彼』が疑問に思ったのは、どうしてこれほどに様々の木が植えられているのかという事だ。

 田舎という事もあり土地は充分に広く、集落の人間は実際に庭や畑に思い思いの木や花を植えている。わざわざこの土地を使って、共同で木を育てて管理する意味が分からなかった。


 『彼』の中で、その疑問がむくむくと大きく育っていく。

 子供の頃、雑木林に遊びに行くと言っても、祖父母は「人の目があるから大丈夫だが、気を付けるように」と言って、快く送り出してくれた。もちろん社に悪戯をしない様に言い含められていたが、それは至極まともな事だったので、今まであまり気にした事は無かった。

 雑木林の周りをぐるっと一周する際に、『彼』はある事に気が付いた。

 ……周りの家の窓が全て見える。

 周りに建てられた家のには植垣や塀もあるのだが、窓や縁側が雑木林の方から見えるように作られている。さらに言えば、雑木林の周りの家の更に外側に建てられた住居も、位置や角度によっては窓や縁側が見える位置にある。

 道の場所や角度や広さ、そういった事も含めて雑木林から住居が見える位置にあるのだ。

 集落の人達は社を大切にしているのは『彼』も知っていたので、その辺りが関係しているのだろうかと首を傾げた。

 不意に視線を感じて『彼』が振り返ると、そこには顔見知りの祖父母の友人が、丁度中庭に出て水を撒いている所だった。何となく視線が合ったので『彼』は軽く頭を下げて挨拶をすると、相手も朗らかに笑って頭を下げてくれた。

 そのまま散歩を続けようと数歩進んだ所で、『彼』の背後から物音がしたので、ちらりと視線を向けると、傍の家の窓が開いて住民が顔を覗かせて、社の方に二拝二拍手一拝をしている所だった。

 相手が『彼』に気が付いた様子が無いので、そのままその場から離れた。


 祖父母の家に戻ると、彼らもすでに起床していて朝食の準備をしていた。昨夜にセットされていた予約によってお米が炊かれている香りと、焼き魚の香ばしい香りに、鍋からする味噌と出汁の香りが『彼』を迎えてくれる。

 意味もなく懐かしさを感じながら、『彼』は祖父母に朝の挨拶をする。祖父は台所の食卓に座り新聞に目を通している。その傍では祖母が朝食の準備を丁度終えて片づけをしている所だった。

「おはよう」

 返された柔らかな声に、形のない不安を抱いていた『彼』はほっと胸を撫で下ろした。

 『彼』が手を洗ってから台所の食卓についた頃には、焼かれた塩鮭、ホカホカの白米、豆腐とわかめの味噌汁が三人分並べられ、胡瓜と茄子と大根の漬物が盛られた皿とそれをとるための箸が真ん中に置かれている。

「いただきます」

 揃って手を合わせて礼を口にして、三人は食事へと箸を伸ばす。

 祖母の作る料理はやはり母の作るものと味が似ていて、『彼』も慣れ親しんだ物で食べやすい。

 他愛のない話をしながらの和やかの朝食をしながら、『彼』は不意に今朝に気になった事を尋ねてみた。

「ねえ、集落の真ん中の社って、何の神様を祭っているの?」

 一瞬だけ祖父母の動きが止まり、二人は無言で視線を合わせてから、徐に祖母が口を開いた。

「正式な名は無いけど、沢山の木の中にあるから『森様』と呼んでいるの。私達が生まれるよりも、ずっと前からあそこにあるって聞いている」

「今朝に散歩していたら、皆が窓とか縁側から社の方を拝んでいるのが見えたから、気になった。二人も庭で社の方を拝んでいたから、やっぱり皆している事のなの?」

 『彼』が止まりに来た日の早朝に、何回も祖父母が社の方を向いて拝んでいる所を見かけた事があった。母親が社に朝の挨拶をしてるのだと説明を受けたが、母親が拝んでいる所は一度も見た事がない。

「まあ、あれはこの集落に住んでいる人間が拝めばそれで良いの。私達は平穏無事に過ごせれば、それ以上のご利益は求めていないから」

「受験に効果はある?」

「さあ、どうかな。さすがに畑違いだと思うから、拝まれても困ってしまうかも」

 祖母が朗らかに笑い、『彼』は「そっか」と相槌を打つ。『彼』自身、そこまで信心深いわけではないし、見知らぬ神様よりも有名な太宰府天満宮にお参りをして、お守りを貰った方が効果はありそうだとは思っている。

 ただ、『彼』はこの土地が好きだったので、この土地に関する事は何となく尋ねたくなる。『彼』がこの土地を好いてくれている事は祖父母も知っている。

「そういえば、あの社の雑木林、色んな木が植えてあるよね。もっと統一感持たせた方が管理しやすいし、花見とかも出来て良いんじゃない?なんであんなにバラバラなの?」

 祖母は言葉に詰まって「えっとねえ」と逡巡していると、祖父が代わりに口を開いた。

「ああやって色んな木を植えれば、自然と子供が集まるだろう?」

 その言葉で、『彼』は子供達の防犯のためかと思った。確かにもっと幼い頃に、雑木林で遊ぶことを止められた事は無かった。むしろ人の目があるから安心だとも言っていた。

「…………もし、俺らが天寿を全うしたら、墓は交通の良い利便性の良い場所に作って欲しい」

 唐突に言い放たれた縁起でもない台詞に、『彼』は眉を顰めて持っていた箸を置いた。丁度食べ終わった所であったし、祖父の表情を見れば、それが質の悪い冗談だとは思えなかった。

「この土地を好いてくれている事をはしっている。だが——決して、この土地に憧れて、住もうなどと考えるな。俺らが居なくなった後は、すぐに家を処分して欲しいと、皆にも伝えてある」

 ……両親はその事を知っていたのか。だから、ご近所さんとも一定の距離を保つようにしていたのか。

「近いうちに、この土地は住めなくなる。一応は、ここの住民はその辺りの事は準備してある。社が管理できないくらいに人口が減って、体力が無くなったら、みんなで合わせてこの土地を去る話をしている。……だが、まあ、不測の事態が起きるあるからな」

 この集落でも過疎化が進み、限界集落と呼ばれる日が近い事を『彼』も頭では理解している。だが、多少は不便だが暮らせない事はない。まだ集落の住人達は健康そのもので、皆元気に農作業に精を出している。

「……あの社はこの集落が出来た時からあるそうだ。俺の曽爺さんから聞いた。別に、無理に管理しなければいけないもではないし、必ず信仰しなければいけない訳でもない」

 てっきり土着信仰としてこの集落では皆信心深いのかと思っていたが、そうではない事に『彼』は少し驚いていた。

「この集落が、このままずっと続く分には何の問題は無かった。昔のご先祖たちはその事にまで頭が回らなかった。俺らの代になって、少しずつ若者たちが都会へと出ていくのを見て、無理に彼らを留める事は無理だと悟った。山を崩して道路が出来て、交通の便が良くなっても、やはり人は少しずつ減っていく。……まあ、時の流れという奴だ」

 昔に比べて小さくなった祖父を見て、『彼』は自分が成長して大きくなったという事を、この時ほど感じた事は無かった。

 いくらゆっくりとした長閑な土地であっても、周りと同じように時は流れている。それが停滞する事は決してない。

「あの社のある土地は、誰かが見ていないといけない」

「……まあ、管理する人がいなくなったら、雑草とか伸び放題だろうし、社の手入れもしないとすぐに劣化してしまうだろけど」

 先祖伝来の土地と風習を守りたいのだろうと『彼』は思っていたが、祖父は静かに首を横に振った。

「そうじゃない。管理して手入れしているのは、あくまで住民の良心によるものだ。手入れはしなくてもいい。けど、綺麗な方が人が来やすいだろう?——ただ、あの場所に、あの社があるのだと、誰かが毎日確認する事が大切なんだ」

 不意に今朝の散歩の際に、窓や庭や縁側から社の方を向いて拝む住人の姿が『彼』の脳裏に浮かんだ。

「……お参りをするのは、社を見るための理由付けみたいなものだ。その序に信仰の様なものが生まれたと俺は考えている。……あくまで俺の考えだがな」

 物静かで必要な時にしか語らない寡黙な祖父が、こうして話しているのは『彼』や両親とって大切な事だからだろう。

 幼い頃に山や川へと『彼』を誘い、虫の取り方や釣りの仕方を教えてくれた祖父との思い出が、走馬灯のように『彼』の中で次々に浮かんでいく。

「いろいろな木を植えたのも、子供達があそこで遊ぶように、それとなく誘導するためだ。昔ほどではないが、それでも子供はああいった木は好きだろう?」

 『彼』が夏ではなく別の季節に訪れた時があり、その時は同じように居合わせた同年代の子供達と、団栗を拾ったり、果実をとって食べた事を思い出した。家に市販のお菓子があったとしても、ああして遊んでいる先で見つけた果実などを食べるのは特別な行為で、酷く楽しかった事を覚えている。

 『彼』は別に信心深いわけではないし、超常現象を手放しで信じているわけではない。それでも目に見えない、理解できない現象があるかもしれないと、心のどこかでは思っている

 そして何より、祖父母がつまらない嘘や冗談を言うような人間でなことも知っている。母親が住んでいた頃よりも、半分ほどまで減ってしまった人口を考えると、確実に終わりへの時は刻まれている。

「——もし、誰もあの社を見る事をしなくなったら、どうなるの?何か災害でも起きるの?所謂、祟りとか?」

 「分からない。俺も俺の父親も祖父も知らない。……けど、此処に住んだことのある住人は、不思議とその言い伝えを信じている。——俺らや、お前の母親を含めてな」


 ゆらゆらと目の前を漂う淡い光を目で追いながら、『彼』は朝に聞いた言い伝えの事を思い返していた。

 小川の土手は静かで、どこか遠くで虫が鳴いているのが聞こえている。秋が本番ではあるだろうが、夏の夜長に鳴く虫だっている。けれど、それよりも周りを飛び交う蛍の光が、『彼』にはいっとう美しいものに思えた。

 昼の熱さはほとんど残っておらず、小川の傍はとても過ごしやすい。虫よけスプレーをかける事が必須ではあるが、それでも今目の前にある光景は、その手間以上の価値がある。

 遠くない先に、この光景を見に来る事が出来なくなるのだろうかと思うと、『彼』の胸が締め付けられな錯覚を覚え、寂寥感に苛まれた。

 おそらく友人に今の話をしても、誰も迷信だと言って笑うだけだろう。けれど、『彼』は、この土地を愛おしいと思う『彼』には、何故だかその話を素直に信じるが出来た。

 例え住民が残っていたとしても、社を「見る」人がいなくなれば、この集落は無くなってしまう。そして、自分にはそれを見守るほどの力も覚悟も無い。

 ——ならばせめて、この集落ある間は、この光景を記憶に刻みたい。

 きっと母親もそう思っていたからこそ、毎年『彼』を自分の愛した故郷へと誘ったのだろう。

 ——せめて自分の記憶と、写真や映像として残そう。

 ——きっと、『彼』がこの土地の終わりをその目で見る事は無いのだろうから。

 

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