Good night 生き霊

川詩夕

Good night 生き霊

 春先に専門学校を卒業し、初めて親元を離れて念願の一人暮らしを始める事となった。

 物心がついた頃から一度だけでも住んでみたいと思っていた理想の部屋を心の奥底に描いていた。

 ママとパパと何度も一緒に不動産屋へおもむき良質な物件を探し続ける日々。

 私が一人娘という事もあり、ママとパパは防犯の観点からオートロックだの女性専用マンションだのと口煩くちうるさかったけれど、私の中での最優先事項はお洒落しゃれな部屋であり、防犯云々は二の次で意見が対立する事が多く中々部屋が決まらない日々が続いていた。

 ※

 そんなある日の事だった。

 不動産屋からお洒落に関しては申し分のない物件が見つかったと連絡が入り、急遽きゅうきょママと一緒に内見しに行く事が決まった。

 建物は元々明治時代開港後、外国人居住区に建てられた巨大な一軒家だった。

 その巨大な一軒家を各部屋で区切り、一人暮らし専用のアパートに改装したものだった。

 オートロックは無いものの、女性専用の建物で尚且なおかつ外観と内装は申し分のない程のお洒落な作りだった。

 更に、賃貸料金が管理費込みで一ヶ月三万二千円と破格の設定だった。

 私は一目でこの部屋に惚れ込み、心の内で住むと即断した。

「どうしてこんなに家賃が安いんですか? 窓を開けると街が一望できるほど景色が良いのに」

 不動産屋は言葉を詰まらせて、返す言葉を慎重に選んでいる様に見えた。

「大変言い辛い事なんですが……」

「なんですか?」

「入居された方は……必ず数ヶ月で退去されます……」

「もしかして……出るとか……?」

「はい……その……おっしゃるとおりです……」

「どんなのが出るんですか?」

「私です……」

「はい?」

「ですから……私が出るんです……その……私の生き霊が……」

「生き霊……ですか……」

「はい……生き霊です……」

「この部屋に出てきて一体何をするんですか?」

「入居された方が就寝中、二週間に一度の頻度ひんどで深夜二時頃になると私の生き霊が現れて金縛りに合うそうです」

「それで?」

「笑みを浮かべる私にじっと見つめられるそうです……」

「それだけ?」

「皆さんあまり多くは語ってくれませんので……」

「そうなんですか」

「はい……」

「決めました、私ここに住みます」

「えっ……? あの……本当によろしいんですか……?」

「はい、大丈夫です」

 ママは唖然あぜんとした表情で私の顔を見つめていた。

 こんなにも洒落な部屋で尚且つ低価格な家賃、これ以上の好物件は恐らくもう出てこないだろうと思う。

 私はママとパパにどれだけ反対されようとも、この部屋に住みたいと思った。

 ※

 ママとパパの説得に成功した数週間後、私は念願だったお洒落な部屋で一人暮らしを始めた。

 初めて異変に気付いたのは、引っ越しを済ませてからちょうど一週間が経過した頃だった。

 春という比較的過しやすい季節にもかかわらず、その日は就寝中に寝苦しさ感じて目が覚めた。

 ベッドのかたわらたたずむぼんやりとした人影が見える。

 暗闇に目が慣れたと同時に、人影の正体が何者なのか理解する事ができた。

 人影の正体はこの部屋を仲介してくれた不動産屋の生き霊だった。

 すぐに生き霊と理解できたのは、全身が青白くけていたからだ。

 不動産屋の生き霊はベッドの上で仰向けに寝る私を恍惚こうこつな笑みを浮かべて見下ろしていた。ただただ、それだけだった。

 気が付いたら朝を迎えていた。どうやら私は知らない間に眠ってしまったらしい。

 翌日、翌々日とこれといって特に変わった出来事はなかった。

 しかし、それからちょうど二週間後に私は身の毛もよだつ程の恐怖体験をする。

 就寝中、その日も寝苦しさのあまりに目が覚めてしまった。

 私は仰向けのまま下着姿の状態で両脚を少し外側へと広げた格好で金縛りにあっていた。

 すぐ目の前にぼんやりとした人影が見える。

 目玉は自分の意思でキョロキョロと動かす事はできるけれど、身体はピクリとも動かず声を発する事もできなかった。

 少しずつ暗闇に目が慣れるてくると、人影の正体が何者なのか分かった。

 あの不動産屋の生き霊だった。

 しかし、前回金縛りにあった時と少し様子が違っている。

 不動産屋の生き霊は、私が開いた両脚の隙間の間に入り込む形で正座していた。

 相変わらず自分の身体を動かす事ができず、些細ささいな声すらも出せない。

 不動産屋はじっと私の目を見つめた後、不敵ふてきな笑みを浮かべて自らの身をかがめた。

 私の股座またぐらに顔をうずめて荒い息遣いで首を何度も左右に振っている。

 いている下着の上から鼻先がつぶれるほど密着させ、秘密の内部へと入り込もうとしている。

 身体の自由が効かない私は、不動産屋の生き霊にされるがままの状態だった。

 どうにかしてこの不動産屋の生き霊をを払い除けたい。

 不動産屋の生き霊は吐息といきで湿った私の股座で、自らの顔面をねくりまわしている。

 消えて、消えて、早く消えてよと心の中で何度も切に祈った。


 ——ブッ……ブブッーーーー! ブゥプス……ブゥーーーー!——


 突然、股座の方からこの世の崩壊を知らせる鐘の音が鳴り響いた。

 数秒後、それは大きな勘違いであると気が付く。

 この世の崩壊を知らせる鐘の音ではなく、単なる私の放屁ほうひだ。

 直後、不動産屋の生き霊の動きがピタリと止まった。

 股座の内でわなわなと首を震わせながらゆっくりと顔を上げ、私の目を見つめている。

 私は金縛りに合ったままの状態で顔を引きらせながら苦笑いをするしかなかった。

 不動産屋の生き霊はもの凄く悲しそうな表情を浮かべた後、瞬く間に姿を消し、私は金縛りから解放された。

「今日はもう眠たいから寝る……おやすみなさい……不動産屋の生き霊……」

 ※

 翌日、昨夜の出来事について居ても立っても居られなくなった私はお世話になった不動産屋へ連絡を入れた。

 契約当初の担当者に取り次いでもらおうと思ったけれど、私が借りている部屋を仲介してくれた担当者は数日前に退職したとの事だった。

 ここからは単なる私の想像にすぎないけれど、件の生き霊はこの部屋を借りる女性に対し次々と片想いをし、一種異常な程の執着をこじらせ続け、その結果不動産屋の生き霊としてこの部屋に現れるようになったんじゃないかと思う。


 あの日以来、私が結婚を機にこの部屋から退去するまでの五年間、不動産屋の生き霊がこの部屋に現れる事は一度もなかった。

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Good night 生き霊 川詩夕 @kawashiyu

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