【26】そして少年は、大空へと翼を広げて

「ひひひっ、油断しやがって。見さらしたかクェーサー共め、まんまと出し抜いてやったぜい!」


 中年の筋肉痛みたく、今になって流れ出した冷や汗をヨインはぬぐう。

 湿った肌には、窮地を切り抜けたことへの安堵が如実に浮かんでいた。


「う、うぐ、兄貴ぃ。いでえ、いでえよぉ。右の腕がぁ、痛くてたまんねえよぉ」

「うおぉ、ひでえ事になってんなソンギ。待ってろい、今血ぃ止めてやっから」


 オウガの拳を迎え打った代償は酷い有様だった。

 へしゃげた五指と破れた皮膚からは、とめどなく血が溢れている。しばらく右手は使い物にならないだろう。

 激痛に呻く弟分をなだめながら、ヨインは懐から取り出した"赤いスカーフ"でソンギの右腕を包んだ。


「まさか俺様が退かされるたぁな。クソ。絶対許さねえぞいっ、ギルドの犬どもが!」


 あと一歩のところで、野望を阻まれた。

 もう少しでセプテントリオンの傘下に加われたというのに。

 それだけに沸き立つ憎悪は底知れない。ヨインの眼は、激情に血走っていた。


「特に俺様を舐め腐ったあのクソガキだ! 生きたまま皮を剥いで、魔物共の餌にしてやらいっ!

 ──"あの雑魚の様になぁ"!」


 辛酸を舐めさせられた報いは、必ず果たす。

 阻む者、歯向かう者には痛い目に合わせてこそである。その証たる『戦利品赤いスカーフ』を睨みつけ、ヨインは黒き決意を叫んでいた。


「あらあら物騒な企みだこと。でもぉ逃げ切れた気になるのは、流石に早過ぎるんじゃなぁい?」

「へっ?」

 

 覚えてやがれと声高に叫ぶなら、彼の方こそ忘れてはならない。

 憎む相手の中には、悠然と空を舞う竜の一人が居たことを。


「『インペリアル・ラース』!」

『!?』


 晴天から下る雷霆に、響き渡るは断末魔。

 不意打ちの稲妻を躱し切れるはずもない。グリフォンは重荷二人ごと墜落した。


「ぶへっ!」

「ぐおぉっ!? ぐうっ、ドラゴン野郎がっ、わざわざ追いかけて来やがってぇ!」

「そりゃあ逃がす筈ないわよ。半信半疑でも、セプテントリオンと繋がる重要人物だもの。当然クエストクリアの意味でもねん?」

「チィッ」


 考えてみれば当たり前である。目まぐるしく空を翔ける竜を相手に、手負いのグリフォンでは逃れ切れるはずもない。逃がす道理もない。

 不倶戴天の大敵として立ち塞がる竜に、いよいよ年貢の納め時かと青ざめる。


(っくしょう、俺様としたことが。だが⋯⋯落ちたのがあのしみったれた村の目の前だってのはぁ、不幸中の幸いってやつよい!)


 まだツキに見放された訳ではなかった。

 落とされはしたものの、場所はシャプレ村の目と鼻の先。ならばまだチャンスは残されている。


「ひひっ、甘えんだよい! なんで俺様があえて村の方角に逃げたのかを教えてやるっ! かかれっ、コボルト共!」

『『『グゥオンッ』』』


 残党達を"万が一の為"に村へ向かわせていた甲斐があったと、ヨインはほくそ笑んだ。

 小悪党とはしぶとく、狡猾な生き物である。

 正義の味方気取り達の弱点はしっかりと心得ているのだ。

 

「てめぇもだグリフォン! 最後くらいは役立ってみせろいっ!」

『グフォォォン!!』


 手負いとはいえナイト級と、ポーン級が五体。それなりの時間は稼げるだろう。

 空を飛べるのはシェモン一人。他の二人が合流するには時間が掛かる。

 ならば今の内に村に押し入って恐慌を起こし、混乱に乗じて逃げ切れば良い。


「っ、どこまでも悪足掻きしてくれるじゃないの!」

「簡単に諦めるほどお行儀良く生きてきちゃいねえよ! 今度こそ、あばよぉい!」


 即席のプランにしては上々だろうと、自惚れを舐めずるヨイン。余裕を取り戻したかのように捨て台詞を残して、意気揚々と踵を返そうとしたのが。


「逃がすとでも──」

「『プレアデスの鎖』」

「『フリーズ』」

「ぐおわぁ!?」

『グギャン!?』

「⋯⋯あら?」


 いずこから伸びた『鎖』が、ヨインの足首を捕らえ。

 伏せ札だったコボルト達は、足元より生えた『凍土の氷柱』に残らず貫かれてしまった。


「く、鎖ぃ!? どういうこったよい! な、なんで翼も持たねぇはずのてめえらが、此処に居やがんだよいっ!?」

「なんでも何も、ただ"飛んだ"だけだが?」

「あぁァッ?! 飛んだだぁ?! こ、このクソガキが、人をおちょくるのも大概にっ⋯⋯」


 鎖が誰によるものか。凍土が誰に齎されたものか。ここに至って分からぬヨインではない。

 だが、あり得ない。湖から村までの距離は、どう走ったって時間はかかるはずだ。

 なのにどうして此処に居るのか。到底理解に及ばないヨインが彷徨さまよわせた視線の先に、答えはあった。


「まさかよぉ、"あれを発射台にして飛んだ"ってのかぁ?!」


 目を凝らしたのは、湖の方面。

 鬱蒼と茂る木々よりも高く。さながら天へと伸びる巨大な凍土が、ここからでも良く見えたのだ。

 嫌な直感が囁いた。こいつらはきっと、あの馬鹿みたいな代物を使ったのだと。


「ええ。私のギフトならば、湖ほどの材料があれば発射台を作るくらい訳はありませんから。それに⋯⋯」

「残念だったなクソ髭が。この鎖は伸ばせるだけじゃなく、縮ませる事も出来んだよ。だったら要領は簡単だ。発射台の頂点近くの氷柱に鎖を伸ばしてくくり付け、後は縮ませりゃ⋯⋯翼が無くたって飛べンだろ?」

「が、ぐぐっ」


 あっさりと種を明かすオウガとアイリーンだったが、易く言えども行うのは簡単ではない。それでも彼らは成し遂げ、ヨインを追い詰めている。

 無能と罵った能力によってというのが、何よりの皮肉であった。


「ん。先輩としては、後輩達のガッツを讃えておくべき場面だろうけど。先に、見送ってあげなくちゃね」

『グ、フォ、ォ⋯⋯』

「アデュー、グリフォンちゃん。散々な役回りだったろうけど、アナタは強かったわん。ゆっくりお休みなさいな」

「お、俺様のグリフォンが⋯⋯」


 頼みの綱さえ、儚く地に崩れていく。

 鷲獅子の胸を貫いた竜爪が、魔物の散り際を惜しむように赤く濡れていた。


「ってアイリーンちゃん! その"凍った足"、どうしちゃったの?! まさか──ギフトの過剰反応オーバーフロウ?」

「⋯⋯えぇ。凍結のギフトですから。度を過ぎた使い方を続ければ、自分自身さえ凍らせてしまう。オウガさんのギフトのおかげか、普段以上の無茶が出来てはいたんですが。さすがにこれ以上は、限界みたいです」


 力には代償がつきものである。

 強力無比なアイリーンのギフトだが、過度な使用により片足は氷銀に包まれていた。

 もはや、まとも歩くことすら難しいのだろう。

 言葉の上では淀みなくとも、麗美な顔には苦悩が浮かぶ。


「ならそこで待ってりゃいい。後は俺がやる」

「⋯⋯はい。今度は、私が託す番ですかね」

「──フン」


 託す。音にすればこんなにも軽く、けれど含んだ意味は小さくない。

 信用も信頼もしないと誓っていたアイリーンからは、とても紡がれるはずのない言の葉。

 季節の移り変わりのように急な彼女の心変わりは、心底に届いた声援の温度によるものか。

 だが、わざわざ尋ねるほど無粋な男ではない。

 ニヒルに鼻を鳴らして、応えるようにオウガは一歩を踏み締めた。


「う、あ⋯⋯」


 その一歩は同時に、狼藉者へ「詰み」を知らしめる凶報を意味する。

 もう無理だ。今度こそ終わったのだ、と。

 廃れた人のように崩れて、物理的にも精神的にも、ヨインはもう立ち上がれない。


「⋯⋯あァ?」


 しかし。

 まだ物語の幕は降りない。

 否。ようやく、終局の舞台が上がるのだ。


「おいクソ髭ッ、オマエの舎弟はどこに⋯⋯、────」

『────やめてっ!! その子を離してぇっ!!』

「「「っ!?」」」


 響いたのは、女性の悲嘆であった。

 空気をも引き裂く叫喚は、すぐそばのシャプレ村から届いたもの。


「お、おまえらぜんいん動くなよぉ! はぁっ、はぁっ、少しでも動いたら、このちびの首、へし折るぞぉっ!」


 すぐさま駆け付けた村の広場を、青ざめる村人達の輪が囲う中心。


「う、ぁ⋯⋯母、さん⋯⋯」

「ユクシーっ!」


 荒く息巻くソンギと、豪腕に捕われている緑スカーフの少年。

 およそ最悪の光景が、そこにはあった。



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大魔王と人々から恐がられているレベルで顔面凶器な彼ですが、固有スキルは【おうえん】です。 歌うたい @Utautai_lila-lion

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