【25】光食む七星

(ふざけんじゃねぇ。ひ、ひひ。ふざけんじゃねぇよい。こんな馬鹿な事が、あっていいはずねえだろがよいっ)


 馬鹿な事。まさしくそうだ。鎖を伸び縮めさせる程度の雑魚が、なにをどうやったらあそこまで反則的な力を手にするというのか。

 絵に書いたような逆転劇をむざむざと見せつけられても、受け入れられるものではない。

 それでも足はすくんでしまい、ヨインは動く事すら出来なかった。


「お、おでの腕がっ、おでの腕がぁぁっ」

『グ、ル⋯⋯』


 死屍累々の呻き声が重なる。

 王が如く悠々と歩む暴虐の化身には、残ったコボルト達など足止めにもならなかった。

 頼みの綱のソンギは右腕を壊され、足止めどころか再起すら難しいだろう。


「ひ、ひひ。逆転してやった、なんて思ってんじゃあねえぞい!」

「あァ?」


 それでも一歩、一歩と迫る魔王に対し、ヨインはまだ抵抗の意志を示す。

 往生際の潔さなんて言葉は、悪党の辞書にあるはずもない。

 目の前の男は確かに桁違いの化け物だった。それは認めざるを得ないだろう。

 しかし、桁違いの化け物はヨインの側にもまだ残っているのだ。


「わ、忘れたのかい。俺様にはまだ、二体のナイト級がいんだぜい? 街一つは簡単に滅ぼす化け物が二匹もだっ!」

「⋯⋯」


 虎の子二匹がまとめて相手になれば、いかにオウガとて勝つのは難しいはず。

 ならば今度こそ徹底的に嬲り潰してやると、しぶとくも反骨心を燃やす。


「きひ、いひひ、見てろよクソガキっ、今に俺様の切り札が、テメェの仲間を八つ裂きにしてっ⋯⋯、──?」


 続く言葉は、真上の異変によって途切れた。

 黒々としたヨインの眼に映る真上の空がピカッと光り、遠き雷鳴が鳴り響く。

 文字通りの晴天の霹靂だった。

 だがそれは単なる異常気象などではなく。

 紛うことなき、鉄槌だった。


『⋯⋯、──』

「は?」


 思わず茫然とするヨインだったが、無理もない。

 極大の竜の逆鱗インペリアル・ラースに触れたストームグリフォンが、堕ちて来たのだ。

 悲鳴にもならない虫の息をあげながら。

 ご丁寧にも、ヨインの目の前にまで。


「あらあら。ちょっとやり過ぎちゃったかしら」  

「ひっ?! てっ、てめえは?! なんだってんだよい、その化け物はァ!」


 小気味よい軽調子を響かせた竜人に、ヨインの狼狽は更に加速する。 


「化け物って、随分なご挨拶過ぎるわねん。乙女の心はガラスよりも儚くて繊細なのに、傷付いちゃうわん」

「なにが繊細だてめぇ! こいつぁナイト級の魔物だぞっ! その気になりゃ街一つ滅ぼせちまう化け物だってのに、それを、それをぉっ!」

「うふふ、それはお生憎様。でも、さっきウチのルーキーちゃんが言っていたでしょう? アタシは竜だって。この遥々なる空の覇者。どんな生き物よりも高きに立つ、最強の存在。なら、街一つじゃあむしろ物足りないくらいよん」


 黒鱗翼尾に双角を生やした姿は、確かに異形の風貌であり、人とは言い難い。だがシェモンは憂う素振りなど微塵も見せることなく、誇らしげに胸を張っていた。

 

(か、勝ち誇りやがって変態野郎が。だが、まだだ。 俺様のとっておきは、まだもう一匹居やがんだよい!)


 悔しさのあまり顎髭をブチブチとちぎりながらも、ヨインはまだ折れてはいなかった。

 ここから勝ちの目を拾うのは難しくとも、ナイト級の力は無視できない。ならば、まだ仕切り直しのチャンスはあるはず。

 そう、僅かな希望にすがるように、湖へと目を向けるヨインだったな。


「嘘だろおい」


 しかしヨインの目には、僅かな希望すら摘み取る光景が広がっていた。

 全長十メートルにも及ぶ巨大水樹が、ボルコス湖の水面ごと凍り付いていたのだ。

 膨大な触手は一本残らず凍り尽き、ビームを放つ巨大な眼珠は、もはや僅かとて動くこともない。


「流石は危険度指定戦術ナイト級のモンスター。指定に恥じない難敵でありました」


 波一つ立たない凍土と化したボルコス湖よりいずるは、銀藍凍土のアイリーンである。

 強敵だった。紛うことなき難敵であった。けれどもう、ついさっきまでの過去のこと。

 氷点下の極点に至った水樹は、今や永遠という名の零に閉じ込められたのだから。


「ですが──これで終わりです」


 そして、最後の希望さえ摘むように。

 アイリーンのフィンガースナップが甘く響いて、ツリールーパーは粉々に砕け散ったのだった。



◆ ◆ ◆



「ぁ⋯⋯が⋯⋯」


 趨勢は決した。完膚なきまでに。

 絶たれた野望が掌から溢れ落ちていく。

 言葉にもならない呻きをあげるヨインだったが、同情を誘うには相手が悪かった。


「さァてと、残る五体満足はオマエだけになっちまったワケだが⋯⋯"雑魚もクソ雑魚、ホントの意味で大ハズレ"だっけかァ?」

「ひ、ひいいっ」


 凄絶なほどに殺気を立てて、オウガはヨインの肩を叩いた。それはもう、ポンと優しく。

 わざわざ煽られた台詞をなぞる辺り、実に鬼畜な意趣返しである。たまらずヨインは悲鳴をあげた。


「はいオウガちゃんどうどう。凄むのは良いけど、口が効けるようにしなくちゃダメよん。聞きたいことがいっぱいあるんだからぁ」

「チッ」

「お利口ねん。さてと、それじゃあ単刀直入に。アナタ達は何が目的で⋯⋯ん、いや、違うか。アナタ達は"一体誰に頼まれて"、こんな大それた事をしでかしたのか、お聞かせ願おうかしらん?」


 泣きっ面に刺す蜂が求めるのは、悲鳴だけに留まらない。前置きもなく核心を踏み抜くシェモンに、ヨインの顔は真っ青になった。


「だ、誰って⋯⋯」

「誤魔化そうたって無駄よん。一ヶ月もの準備期間。水門どころか街一つ壊せるナイト級を二体。おまけに違法薬物のアンプリファイヤー。水門のみならず、アタシ達を狙って待ち伏せってのは分かるのよ。でも、目的が見えない」

「そうですね。最初はペルセウスに対する復讐目的かと思いましたが、クジ運がどうとか言ってましたし⋯⋯恐らく、どのギルドが派遣されるかの情報すら得ていなかった」

「何より、だ。やる事自体は大それてやがっても、オマエら自体にはいまいちスケールを感じねえンだよ。描いた絵図とオマエらの等身がちっともハマらねぇ。だったら、描いた奴が別だって考えんのが普通だよなァ?」

「⋯⋯ぅ、ぐ」


 黒幕は別に居る。

 それこそ断片的な違和感の数々から各々辿り着いた結論であり、事実、的を射ているのだろう。

 目が露骨に泳ぎ、渇いた呻き声が漏れる。

 だがそれ以上にヨインの目には、"何者か"に対する恐怖が色濃く滲んでいた。


「おうコラ、よよいのよいさンよォ。黙秘が通じる相手に見えんのか? 指の一本一本へし折った上でクソ汚ぇ髭を全力で毟り取ってやろうか、あァ?」

「ひ、ひいいいいっ!!? わ、分かった言うから! 言うから、ら、乱暴すンのは止めてくれよいっ!」

(す、凄まじく適任ですね⋯⋯⋯⋯こわい)


 目には目を、歯には歯を。

 恐怖にはありったけの恐怖を。

 定番の脅し文句が型にはまり過ぎるオウガであったが、効果は覿面である。歯の根を鳴らして震えるヨインは、たまらず真相を吐いたのだ。


「ぜ、全部指示された事なんだよい。応援に来たギルドのクェーサー共を一人残らず倒した上で、水門を破壊する。そいつが出来りゃあ、俺とソンギは迎え入れて貰えるって! そういう約束だったんだよい!」

「迎え入れる、って?」

「せ、セプテントリオンに⋯⋯」

「⋯⋯はァ?!『セプテントリオン北斗七星』に、ですってぇ?!」


 ヨイン達をそそのかしたであろう名前に、シェモンは思わず竜化を解いて泡を食った。

 尋常ではない様子に、オウガ達もまた呆気に取られていた。


「おいクソトカゲ、一人で盛り上がってんじゃねぇよ。セプテンなんたらってのはなんだ、犯罪ギルドか?」

「えぇ、そうよん。といっても組織の構成員も規模も、目的さえも不明とされてる犯罪ギルドなの。一種の都市伝説として扱われる事もあるくらいにね」

「幽霊ギルドのようなものですか。しかし、でしたらどうしてそんなに驚く必要が?」

「⋯⋯とびっきりの厄ネタだからよん。二人も五年前『レベェテルの墜星』については知ってるわよね?」

「え、えぇ。三大貴族のレベテェル家が所有領ごと滅ぼされた大事件ですから。確か、クイーン級の魔物が原因だと聞いた覚えがありますけど⋯⋯」

「表向きはねん。けれど真相は別だった。三大貴族の一角ってなれば国内外問わず影響力は大きいもの。真実を発表するには、招く混乱が大き過ぎたのよん」

「ハッ──つまり、国の根幹を揺らがすレベルの大事件を引き起こしたS級マリグナント組織が、こいつらに勧誘話を持ちかけたって。オマエはそう言いてェのかよ」

「!」

「⋯⋯そ。正直、誇大妄想か何かの類だと思いたいけれどねん」


 蓋を空ければ、ちらついたのはとてつもない大物の影である。流石のオウガといえど押し黙るしかない。

 三大貴族とは国家プトレマイオスにおける、トレミー王朝に次ぐ権力を持つ貴族のことだ。その一角を空席のものにしたのが、ギフト犯罪者達による仕業だったという真実は、新米両名にとっても衝撃だった。

 それだけに、ヨインの話は簡単に鵜呑みに出来るはずもなかった。

 

「ひ、ひひ──妄想なんかじゃねえのさ。本当の悪って奴に、俺達は見初められたんだ。掃き溜めのじめっとした陰なんかじゃ足りねえ、もっともっと、ドス黒い闇にこそ生きるべきなんだってなぁ!」

「あァ? ガキに睨まれてあっさり吐いた三下野郎が、この期に及んで何吠えてやがンだ」


 寄る辺の恐ろしさと強大さを思い出したのだろうか。

 途端に息を吹き返して強情な態度を示すヨインに、オウガは無情に見下ろすだけだったのだが。


「三下。ああそうとも。今はまだ三下のドチンピラよい。だからこそよぉ、成り上がる絶好の機会を⋯⋯みすみす諦める訳にゃいかねんだよい」


 本当に息を吹き返していたのは、ヨインではない。


「────やれぇぇ、ソンギィィッ!!!」

「なにっ」

「っっ!?」


 本命ソンギは、アイリーンの背後にまで迫っていた。


「ぐうううーっ! 『バイオレンス』ッ!」

「くっ⋯⋯『フリーズウォール』!」


 振り下ろされた豪腕から身を守るべく、咄嗟にアイリーンは氷壁を生み出した。

 痛覚さえ忘れた剛力は、分厚い氷壁をガラスのように打ち砕く。

 オウガをも苦しめたギフトの力は並ではない。

 もし氷壁で隔てなければ、華奢なアイリーンではひとたまりも無かっただろう。


「いひひっ、でかしたぞいソンギィッ!」

『グフォォォォン!』


 しかし、アイリーンを害せずとも良かった。

 思考を挟まない行動が、時に思いもよらぬ結果を生むこともあるのだ。

 ソンギが生み出した一瞬の隙をついて、呼応するように息を吹き返したストームグリフォンに、ヨインは騎乗する。


「っ、野郎ォ!」 


 更にソンギをも拾い上げたグリフォンは、あっという間に空へと飛び立つ。

 咄嗟にオウガが鎖を伸ばすも、吹いた荒風に呆気なく弾かれてしまった。


「いひゃひゃっ、油断しやがってっ! あばよいっ、クサレクェーサー共!!」


 往生際はとことん悪く。それでこそ悪党なのだと。

 ヨイン達を乗せた鷲獅子は、脱兎の如く水門から逃げ出したのだった。


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