【24】おうえん✕フリーズ✕ドラゴン=銀竜彗星

 もうずっと昔の頃。

 例えば、声に力があるのなら。

 星も光らないほどの分厚い暗雲だって、容易く裂いてくれるかも知れないと思ったことがあった。

 まだ自分を嫌いでしか無かった頃。

 身に宿った災厄ギフトのせいで、薄汚れた路地裏を裸足でさまよっていた時に、シェモンは喉が張り裂けんばかりの慟哭どうこくをあげた事があった。

 けれど全てを飲み込むような暗曇は、裂けてくれることなどなくて。

 ただ降る雨に、ほつれた涙ごと流されるだけだった。


 もし、声に力があったなら。

 そんなものは星に願う程度の、あまりに幼稚な祈りだと、あの日に知ったはずなのに。


「"シェモン・グラッチェ先輩よォ!"

 "いつの間にか一層トカゲらしくなってやがるか、まさか見かけ倒しなんてオチじゃあねェだろうなァ?!"

 "ンな『立派』な象徴を宿してやがるなら、しっかり総てをねじ伏せて見せろォ!"」


 遥か上空にまで響き渡る、オウガの声。

 青空に敷かれた分厚い雲の帯だって、容易く裂きかねない叫び声。


「"ドラゴンが恐れられてンのは、昔々のお伽噺なんかのせいじゃねェ!"

 "今でも尚、どんな生き物よりも高きに立つ、最強の存在だからだろうが!!"

 "騎士ナイト如きがどうしたッ!"

 "オマエがキングだろうがッ!"

 "だったら、オマエが居るこの空でッ!"

 "いつまでもッ、格下なんぞに良い顔させてンじゃあねェェェェッッッッ!!!!!"」


 声には確かな力があった。

 己が吹く息吹より、ずっとアツくて力の籠った激励。

 流れる血潮が沸き立つ温度。

 もうずっと昔に置いてきたはずの、憎たらしい雨雲さえ吹き飛ばしてくれそうで。


「『立派』ねェ。うふ、アハハ!」


 シェモンはくすぐったそうに笑った。

 我が身の宿星ごと、世界をまるごと昔は恨んだものだ。

 けれど今は違う。そのタトゥーを顔に刻んだように、シェモンはしっかりと、今の自分に胸を張れるのだ。


「あァもう、なによォ。ひとのコトを散々世話焼きだのお節介だの言ってくれちゃってた癖に、アタシを励まそうってのォ? ルーキーちゃんはずいぶん、我が身の棚上げがお上手だこと」


 誰もが恐れるべき象徴を、オウガは『立派』という言葉で飾った。

 今の自分を、あんなにも熱く肯定してくれるのだ。 

 たぎらないはずがなかった。

 みなぎらないはずがなかった。


「可愛くて生意気な後輩ちゃんからのあっついエールだものねん。応えなくっちゃ、オンナが廃るわ」


 ペルセウスの竜が謳う。

 もう、この空は譲らない。





 高度は落ちて、ボルコス湖の水の上。

 水面すら揺らしかねない男の大喝が、アイリーンに届いていないはずもなかった。


(オウガさん⋯⋯ギフトを使ったんですね)


 オウガのギフトがもたらす効果は絶大だ。

 極上までに研ぎ澄まされたステラの『星の光ブレイブ』は彼女の目に焼き付いている。

 少々の拮抗など容易く覆せるだろう。

 確信があった。


(だったらシェモンさんの方は⋯⋯いえ。他をおもんばかってる場合ではないですし、私にそんな資格は無い)


 彼女が見据えるのは正面の敵と、水面に映る己だけであった。

 仲間の助力を頼らない。頼ってはいけない。

 信用も信頼もしないとうそぶいた女が、苦戦しているからといって、誰かを当てにしてはいいはずはないのだと。

 生真面目を通り越した潔癖が、アイリーンの意志を固めていた。


(私は、私一人で勝つ。そうでなければ⋯⋯!)


 孤高がどれだけ重荷であるかなんて、二十も生きてない少女に正確に測れるものではない。

 重量感覚を履き違えた船は沈むものだ。

 人生という船旅にまだ漕ぎだしたばかりのアイリーンには、孤高という舵を取り切れる筈もない。

 潔癖さに足を取られれば、思考は鈍る。

 思考が鈍れば、隙が生まれる。

 そして生まれた間隙を、巨大水樹は見逃さない。


『クォォ──ォォル!』

「なっ!(触手が、割れたっ!?)」

 

 躱そうと身構えるアイリーンの前でピタリと止まった触手が、更に細かく"割れた"のだ。

 さながら幹から伸びる枝のようにいくつにも別れた触手は、もはや網と変わらない。

 割れた触手は瞬く間に細い肢体に巻き付き、瞬く間にアイリーンを絡め取ってしまった。


「く、うっ。は、な、して⋯⋯!」

『──クォォ』


 手に取っていた槍が凍る足場に転がった。

 手足は触手に縛られ、もはや見動きが取れない。

 締め付けられる身体で足掻こうにも、成果を出せるはずもなかった。さながら蜘蛛の糸巣に捕われ、羽根をもがれた蝶のよう。

 ならばその行く末は自ずと想像がつくだろう。


(私は、こんな、中途半端なままで終わる訳には⋯⋯!)


 裏返った信頼に痛めつけられて古巣を飛び出したというのに、結局自分は何も成せないままで終わるのか。

 それでいいはずなどないのに。

 意志とは裏腹に、力が抜けていく。

 苦痛に苛まれた意識が、意志にそぐわず白く染まっていく。


「ぅ、ぁ⋯⋯」

『アイリーン。強く、生きなさい』


 自分は強くなくてはならない。

 負けられないのに、身体がどうしても動かない。

 ギフトによる体力の消耗か。

 それとも、彼女自身が目を逸らし続けた心の消耗か。

 白く染まる視界の隅で、水面に映った自分が見えた。

 見苦しくもがく自分の姿は、傷なんて負っていないのに、傷だらけに見えた。

 

(私は⋯⋯)


 人は一人では生きていけるほど強くはない。

 本当は、誰かを信じていたい。

 けれど、また裏切られてしまうのが恐いから。

 だから私は、信用も信頼もしないのだと。

 自分自身につき続けた強がりで、痩せ細らせた心の芯が「もう限界」だと、ほんの一瞬、折れてしまいそうになった。

 しかし。


「"『初めから信じなければ、楽なのに』ッてよォ。"

 "ユクシのクソガキにそう宣ってたよなァ?"」

 

 そんなほんの一瞬でさえ、目敏く見つけた魔王が言った。

 雨雲すら裂きそうなほどに大きな声でも無いのに、まるで耳元で囁くように、言葉が鼓膜に滑り込む。


「"この世の真理は弱肉強食。オマエはそれを否定しなかった。"

 "それだけじゃない。確固たる信念が、ユクシのガキを否定せずにはいられなかった。"

 "それはいわば、オマエは強食の側に立とうとしている証拠みてェなもんだ"」


 ほんの数時間前に落とした言葉と態度を、拾い集めて突きつけられているようだった。

 踏み潰したガラスみたいな鋭さ。

 けれど上辺だけで飾ったものでは、頑なで我武者羅な少女の心を引っ掻く事すら出来ない。

 アイリーン・レムストラを、しっかり見透かしている証だった。


「"そンなオマエにとっちゃ、誰かを信じる事こそが弱さの証なんだろうよ。"

 "信頼も信用もしねェって、聞いてもねェのに言っちまうくらいだ。間違っちゃいねェだろ?"

 "だがな、強く生きるってことは、ただ強けりゃ成立するモンでもねぇ。"

 "例え弱みを晒してでも、前を睨んで生きてく意志が強さの証だ。逃げも隠れも、もう出来ねェぜ"」


 逃げる事も隠れる事も許さない。

 乱暴で傲慢な理屈だった。

 悪辣で容赦のない独尊だった。


「"強い信念は必要だ。だが信念の言いなりだけになっちまうのは違えだろ"

 "オマエは俺に『やってやる』と啖呵を切った!"

 "だったら、弱さを晒してでも勝ってみせろ!!"」


 けれど、力強さがあった。

 膝を折る者でさえ、無理矢理引き上げるような強引な概念が、形になっているようだったから。


「"オマエが勝手に誰かを信じねェように。"

 "俺も勝手に、オマエを信じるまでだ。"

 "だから⋯⋯ッ!"

 "いつまでもヘバッてねェで、さっさと立ち上がって応えてみせやがれッッ"

 "アイリーン・レムストラァッッ!!!"」


 耳を塞ぐ時間も与えられない。

 心を閉ざす時間も許されない。

 たすけるからこたえろと。

 まさしく勝手で、優しい狼藉だった。


(⋯⋯⋯⋯オウガさん)


 隠れ切れなかった鼓膜に、言葉が触れた。

 閉ざしきれなかった心に、言葉が届いた。

 ずっと欲しかったモノのように、銀藍を赤がく。

 凍っていた奥底さえあまねく溶かす温度が、アイリーン・レムストラを包み込む。


「⋯⋯卑怯じゃないですか。アホリーンと呼んでたくせに」


 ほつれたように、苦笑が滲んだ。


「知ったような言葉で、好き勝手に言ってくれて。ギフトは所有者を顕すとは言いますが⋯⋯どうやら、あながち嘘ではないですね」


 白んでいた視界に、色が宿る。

 身を苛む苦痛より、流れる血の感覚の方がずっと鮮やかに息づいてる。


「強引なのは嫌いですけど、もう、仕方ありませんよね」


 信じてもらうのが恐くて、信用するのを止めたのに。

 裏切られるのが恐くて、信頼するのを辞めたのに。

 あぁ、結局私は凝りもせずにと呆れながら。

 それでも心が熱を持ってしまうから。


「託されたのなら、応えるのが──私の義務ですから」


 もうこれは仕方がないと、アイリーン・レムストラは微笑んで。

 身を縛る総てへと、囁くように告げた。




「ギフト『フリーズ』──絶大行使。



 『アブソリュート・ゼロ時よ止まれ、永遠に』」





◆ ◆ ◆



「おいおいおい。あんだけでけえ口叩くから、どんなおもしれぇ見せもん見してくれんだって思ってたのによい⋯⋯なんだってんだぁぁ今のはよぉぉい!! うっつくしー青春白書をぉ、どうもありがとうっとでも言えば良いのかよぉぉぉぉい!?!?」


 下卑たアイロニーを織り交ぜて、感情を全身で表したようなヨインの拍手喝采であった。

 狂ったような形相を浮かべて、ヨインは嗤っていた。


「悲しいなあ悲しいぜい、絶望のあまりトチ狂いやがって! いまわの際で道化気取りたぁ恐れいった。愉快で滑稽極まりねえ、腹抱えて笑わせてもらったぜい」


 だが、もっとも健常とかけ離れているのは、目の前の道化であろう。

 大言壮語から満を持しての行動が、まさかの他力本願じみたエールだとは思うまい。

 意図も意味もさっぱりだが、余興にはなったと、ヨインは喝采を惜しまなかった。

 

「だがな。壊れた玩具に用があるほど、大人は暇じゃあねんだよい」


 しかし、いつまでも気狂いの出し物に付き合う気などない。

 終わりを受け入れられずに気を狂わせる人間など、薄暗い世界で飽きるほど見てきたのだ。

 あの行動の意味など知るか。意図など知るか。

 相手を理解する事を厭い、傷付ける方が楽だからと『小悪』に生きる道を選んだのだから。

 

「あばよクソガキ。お前はここでお終いよい」


 ゾッとするほど冷酷に切り替わり、その道化に幕を下ろしてやらんと一歩踏み出したヨインであったが。


「──"立てば悪鬼、座れば羅刹。歩く姿は大魔王"」

「あ?」


 そっと風が運んだ、小さな囁きに足を止めた。


「"目が合っただけで息を止め、すれ違うだけで腰を抜かす。"

 "声をかけられようもンならば、有り金置いて命乞いが対処マニュアル第一項。"

 "魑魅魍魎が服着て歩く、人の恐怖の体現者"」

「⋯⋯っ!?(な、なんだこいつ。違う、空気が、圧が。劇的に変わった⋯⋯? く、口が上手く、動かねぇ⋯⋯)」


 足を止めたのではない。

 足が止まったのだ。

 五感が訴える気配の変動に、空気の塗り替えに、身体だけがついていってしまってる。

 だから言葉さえも、喉からしがみついて離れない。

 

「"話した事もねェ赤の他人が、知った顔で貼り散らしやがったレッテルよ。"

 "気に入らねえェ。他人のつけた悪評なんぞ、気に入ってやれるはずもねえが⋯⋯あながち間違いでもねェのさ"」


 呑まれていた。蛇に睨まれた蛙どころではない。

 開けた大口の舌先に、自分は呆然と突っ立っているのだと。追いついた心が、警鐘を鳴らす。

 虫の知らせが、頭の中をかき鳴らす。

 けれどあまりにも遅すぎた。


「"天上天下、唯我独尊ッ!"

 "傍若無人にして万夫不当ッッ!!"

 "プトレマイオスを歩く悪夢ッ、悪鬼羅刹の大魔王ッッ!!"

 "それが俺──オウガ・ユナイテッドだッッ!!!"」

 

 威風堂々たる名乗りが、天上さえ突き抜ける。

 伸びた背筋から翼のようにほとばしる光は、脳髄すら焼きかねないほど赤く輝く。


「さァ、ぶちのめされる覚悟は良いか?」


 肌で感じる。知らずとも分かる。

 弱者と罵った相手はもはや、目の前のどこにも居やしないのだと。 

 ヨインの本能が、悟っていた。

 

「っっっ! ソンギィィ!!! その野郎を今すぐぶっ殺せぇぇぇぇえっっ!!!!!」


 咄嗟にヨインが叫んだのは、ほとんど反射といっても良かった。

 恐怖に軋んだ無意識が動かした、藁をも掴む本能的な足掻きだった。


「う、う⋯⋯うおあああァァァァッ!!!!『バイオレンス』ッッ!!!!」


 たまらず駆け出したソンギは、自らのギフトを行使する。

 ギフト『バイオレンス』は、思考を伴わない暴力であればあるほど身体能力を増す。

 ソンギもヨインと同様、思考など介していない。

 ただ目の前の圧倒的存在に対して、生存本能から来る反射的行動である。

 故に、その暴力の威力はかつてないほどの最大威力を伴って、膨大な右腕に宿っていた。


「おぁぐっっ!?」


 だが、拮抗すらも許されない。

 迎え討つオウガの左の拳に触れた瞬間、ソンギの拳はまるで溶けた鉄の様にぐにゃりと歪み、へしゃげてしまった。


「うあああああっ!!! おでのぉっ⋯⋯おでの腕がぁぁぁぁぁぁぁあっっ!!!!!」

「う、嘘だろい⋯⋯?」


 古きより謳われていることだ。

 赤き星とは、災禍を齎すまがつ星。

 ならばいかに最大威力の暴力でさえ、赤き権化に抗うことなど出来はしない。

 獣を統べる手綱などで、絶やせるものではない。


 人の手が、星に届くことなどないように。


「だから言っただろうが、クソ野郎共。

 オマエらが引いちまったのは──超絶ド級の"ハズレ籤"だと」



 悪鬼羅刹の魔王が告げる。

 災禍の前に、尽きない命運などあるものか。


 故に。

 ここでオマエらは、おしまいなのだと。



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