若きヒーローのために(Part2)

八無茶

若きヒーローのために(Part2)

若きヒーローのために(Part2)

                       八無茶


 大城湖に水源を持つ田島川の土手は大城小学校への通学路にもなっている。

 週末から夏休みに入るためか、子供たちもいつもになく明るく話も弾んでいる。海水浴、キャンプ、釣りに行く話や家族と田舎に帰る話やらで羨望や感嘆の声、笑い声が聞こえている。

 大城小学校の校門を入ると右手に二宮金次郎の銅像が見える。明治時代創立で九十五周年を迎える学校らしさが伺える。

「おはよう」「おはよう」声を掛け合いながら校舎に入ると廊下の掲示板の前に人だかりが見える。

「卓也、何だろう?」御船卓也とはクラスは違うが同じ一年生の浅野真也が問いかけた。

「夏休み、夜遊びするなとかの注意事項じゃないのか」

「いや、あの様子は事件だぜ」

「もしかして期末テストの順位発表か?」

「やばぁ、行ってみようぜ」二人は走り出した。

 掲示板には校内新聞の号外が貼ってある。

『ジャガーズに圧勝』『6対2』『和泉小との対校試合にも勝利の期待』

「おまえの兄ちゃん野球部だったよな、勝ったのか」

「うん」卓也は昨日の日曜日の試合を両親と一緒に応援に行って内容は知っている。野球部太田監督へのインタビューが校内新聞に掲載されているのに目がとまった。

『和泉小との対校試合の前に練習試合ができたことについてはジャガーズの監督に感謝している。地域でも負け無しと言われている強いチームに三年二名、四年三名、五年三名、六年三名の十一人で戦った野球部のメンバーをほめてやってください。三年生も頑張りました。全員で戦って勝ち得た勝利です。ほめてやってください』

「すごいな」と感嘆の声が飛び交う中で、卓也の脳裏には感動のシーンがよみがえり、号外を見つめながらため息をついている。

 鋭い金属音を残し、ジャガーズ強打者の打球はレフトに大きな放物線を描いた。卓也の目には落下地点を目指してフルスピードで走るレフトの三年生石井先輩の背中が見える。振り向いた。落下地点だ。捕球した。すかさずサードのキャプテンにバックホームの中継だ。

必死の中にも訓練され不安を微塵も感じさせない三年生のプレーが目に焼きついていたのだ。この年頃では一年違うと体格の差は歴然としている。ひときわ小柄に見える三年生が五年、六年生と一緒に堂々とプレーする姿に親近感とそれ以上の感動と勇気を感じていた。

真也が卓也の顔を見て「泣いてんのか?」「違うわい、ゴミが目に入っただけさ」その時「キヤー、ジャガーズとの試合の新聞よ」「すごかったわよ。私泣いたわ。レフトの石井君がレフト後方に全速力、1回球筋を見ただけで止まったら振り向きナイスキャッチ。3年生よ」

「もう涙が出たわ」




「みんなよくやった。素晴らしい試合だった。この勢いを忘れず和泉小との試合も頑張ろう。それから嬉しい話がある。新入部員が増えたことだ。1年生御船卓也と浅野真也2名、2年生が藤田恵三1名、よろしく」

「御船って淳一の弟か?」と部員の中から声がした。「呼び捨てにするな、ピッチャー御船淳一君の弟さんですかと言え」太田監督が笑っているが他の者は「ちっちゃ」「偉そうに」「やんちゃ坊主やな」などが聞こえてくる。

大田監督から「和泉小の土田監督から、昼休みの時間に提案があった。それは今年から3年生以下の試合と4年生以上の試合の2試合をしようとのことだった。1~3年生は5回まで、4~6年生は7回まで。

和泉小の土田監督がジャガーズと大城小の試合の話を聞いたのだろう。3年生と4年生が混じった大城小に負けたことを聞いて3年以下の実力アップに期待を持ったのだろう」「やれるか?」「やろう」「しかし今年はまだいいが、来年は坪井、石井は4年生になってしまうしなあ。まあ来年のことは何とかなるだろう。斎藤明美、協力してな」「はい」



その時キャプテンの木下が大声で言った。「年少組のキャプテンは、やんちゃの卓也だな」「異議、無―し」皆、大笑いだ。

「昨日の今日だから、今日は軽いランニングとストレッチで終わり」

「明日から元に戻すぞ。2週間後の日曜日は試合だ」「オー」 


翌日、監督から「高田、ピッチャーでキャッチャー坪井、打撃練習それと塁に走者が出たらの試合フォーメーシヨン、その辺は適宜木下に変更選任を任す。

「別枠バッテリーはピッチャーは富木(とのぎ)と御船、野口はキャッチャーを頼む」「よっしゃー」

「試合前の相手チームの様子を見て、先発投手を決めるが、決まらない時は3ないし4イニングは相手の技量を確認するのに富木(とのぎ)が行って

くれ。よってその後は点はやれない。御船が受け持つ。いいな」「はい」

「練習開始」「オー」

元気よく練習が始まった。監督は4年生のピッチャー高田が気になってしょうがない様子だ。しばらく無言で見ている。「素晴らしく成長したな。なあ坪井」急に声をかけられびっくりした。「ははい、ストレートとカーブ位しか投げれません。と言っていたのにあの試合ではカーブというよりスライダーでしたよ。ファーストから見ていましたが、アウトサイドに曲がり落ちる角度は素晴らしいものです。」「そうか、そうか、御船の子分だけはあるな。全員打てるように指導を頼む」

「指導を頼む。と監督に言われ、3年生の坪井は正捕手になったような嬉しさを隠しきれなかった。



「そうだ、忘れていた、今日から1年生と2年生が練習開始したんだなぁ。励ましておくべきだなあ」

外野の後方に場所を取り、練習している。「違う、違う。もっと山なりの球を投げろ」「僕には届きませんよ」「泣きごと言うな。腕が低いんだ。もっと腕を高く、円を描くように投げるんだ。お前の投げ方は砲丸投げの投げ方じゃないか」「胸、腕、肘、肩、腰、膝の順だ」「これが遠投だ。グローブは脇の下に丸め込み、腕の着地地点はそのグローブの下だ」「なぜ脇の下なんですか?」「体は捻じれ、回転するだろ。その体の軸をふらつかせないようにだ」「御船卓也の声か?すごく大きな声だな。もうキャプテン気取りか。しかし言ってることは正しいぞ。御船淳一のフォームを教えている。初めは3年の坪井か石井を先輩指導者として付けようかと思ったがその必要はなさそうだ。「びっくりだ、がんばれ」腕を組んだまま黙って通り過ぎて行った。

一通り練習を見て回って今日は終わりだ。全員集合のサインを出すように木下キャプテンに合図を送った。

ライトを守っていた御船に野口が大きな声で呼ぶ。「バックホーム」御船が投げた。「ナイス バックホームだ」野口の声が響く。

帰ってくる途中の淳一に「兄ちゃん、セカンドベースからの遠投を見せて」と卓也だ。「あれだ、練習の時に投げたあれだ」と野口が思いだしたのだろう。座って捕手の構えだ。監督も黙って成り行きを見ている。御船が投げた。「ストライク。ナイス遠投だ」「兄ちゃん、ピッチャーマウンドから仕合球を投げて、お願い」卓也に何か魂胆があるなとは分かったが、何も考えずマウンドに立った。「待て!高田、バッターボックスへ立て」「はい」「舞台は出来上がったぞ、淳一来い」野口の叫びは何を意味しているのか、監督の静かな声だけが聞こえる。「足が上がった、踏み出した、遠投か?」ビシッとアウトローに決まった。


「今日の遠投のレッスンは終わり、どこがどう違った遠投だったかは明日までの宿題だ。解散」「ありがとうございました」と叫んでいるのは1年生と2年生の三人だけだった。監督も唖然として木下の方を見た。やっと木下の号令で「解散」「ありがとうございました」の何時もの挨拶が夕暮れに響いた。

「すごい怪物をみたぞ。化け物ではない。1年生が今日のレッスンだと言ったよな、宿題だと言ったよな。宿題の答えは未来のエース候補の高田に聞いてみよう。どこまで理解できたか?」ニヤニヤ顔の自分に気づき、照れ隠しに笑い出してしまった。



「今日は皆、遅かったのね。何かあったの?」「聞いて、卓也が野球部に入ったんだ。部活で皆が集まったら新入部員の挨拶があって、よく見たら卓也がいるんだ」「そう、そうなの、いずれはそうなるだろうと思っていたけど早かったのね。おとうさん嬉しいでしょうね」

「早すぎるよ!

もっと後で、3年生になった位からと思っていたのに!!!」淳平は一気に疲れが出たような顔をしている。「卓也、緊張して震えていたでしょう」「おかあさん、全然違うよ、年少組の1年生なのにもう大将だよ。年長さん達に向かって、『挨拶の仕方が悪い、こうしろ』とか、平気で文句を言うし、部活の終わりの挨拶時には、大きな声で『遠投のレッスンは今日はここまで!!ライトからと、2塁ベースからと、マウンドから野口先輩へ投げた遠投の違いについては明日までの宿題だ』こんな調子だよ。

酒を飲みながら聞いてた淳平の手が止まった。「誰が投げたんだ?」

「僕だよ!!卓也に突然頼まれたんだ。そしたら達っちゃんが『あれだよ。あれ。』と大きな声を出したので思い出し、やっちゃた」

淳平が下を向き泣きだした。誰も気づかない程度の涙だ。嬉しかった。嬉しかった。あのちびめ、淳一に教えたことを真似して教えている。順番はどうであれ、運動の基本、野球の基本だけは外すなよ。

先ほどは卓也が野球部に入ったと聞いたときは、一気に疲れを感じたが、今の話を聞いた途端、今からでも行って、付いて指導をしたくなった淳平であった。

「ただいま」卓也が帰ってきた。「お帰り」淳平も淳一も挨拶のほかは黙っている。「卓也、野球部に入ったんだってね。一人で入部しますって言いに行ったの?」「ううん。友達の真也と二人、斎藤明美が連絡してくれたんだ。そしたら職員室で2年生の藤田恵三も入部したいって来てたらしい。だから今日から年少組のレッスンは三人でしたよ」「2週間後は和泉小との試合でしょ。監督が年少組まで観てくれるの?」「平気さ、わからないことがあったら、兄ちゃんや達っちゃんに聞くよ。今日の遠投のレッスンの終了時に僕が『遠投の練習終わり』と言ったら、監督も先輩もびっくりしてたなあ。今年から年少組と年長組に分かれ、2試合するんだよ」「だから元気いっぱいなんだ」

「正解」久しぶりに聞く『正解』にまた涙する淳平だった。



翌日の部活も同じように始まった。監督は年少組が気になってしょうがない。その前に高田に昨日の遠投についての答えを聞いてみたくなった。高田を呼んで早速聞いてみた。「みんな投球ホームは同じで柔らかい感じがしました。だけど最後のマウンドからのフォームには違いがあって、踏み出した足を確実に止め、体の回転のスピードを高めるフォームはまだ練習中です。今の僕にはあれだけ歩幅を広げ踏み出したフォームを回転に生かすことはまだできません。体幹がぶれます」「よーし、よく見てたな。その通りだ。早く師匠に追い着け、年少組のピッチャーの指導はお前だ」高田の笑顔が清々しく思えた。



監督は年少組に興味はあるが、遠くファーストの後方でライトを見に来たふりをしている。年少組は何かグランドに絵を描いて説明している。「さあ、やろう」と言って立ち上がった。浅野と藤田が構えをとった。卓也がゴロを投げる。「前に突っ込むのはいいが、跳ね上がる球をとるのは10年早い。どの位置が確実に取れるかを今話したばかりだろう。トーントーントーンのリズムだろう。リズムをつかめ。次、藤田トーントーントーンのリズムだ。次、浅野トントントンのリズムだ。次、藤田トトトトトトトトのリズムだ。浅野もう一度トントントンのリズムだ。

バットで打った球も同じだ。全体のリズムがちょつと早くなるだけだ。

リズムが途中で変わるわけはない。

だからいろいろなリズムを体でつかめ、そして確実に捕球できる範囲を覚え、体をそこへ持っていける練習をする事。

バットで打った球は先輩との合同練習の時に打ってもらう。楽しみだろう」「はーい」「生意気に!!! もう合同練習をさしてもらえると思っているぞ。しかしこのペースで行ったらあり得る話かも」監督が身震いしていた。

「今度はもっと大きなバウンドつまりフライの捕球の練習をするぞ。それと捕球ができなかった時、または捕球が出来そうにない場合の味方のフォローの練習をする」その掛け声を聞いた監督は思い出した。連休のあの日、御船と野口が御船のお父さんが打つボールを追いかけ、フォローし合う様子を思い出した。

そお言えばあの場に卓也もいたぞ。バックホームされる球を受けていたな」「恐ろしい家族だな」と独り言を言いながら呆れ果てていた。


大きなバウンドつまりフライをとる練習と言ったな。監督は、それは今までは、全員の練習の中でそれぞれが覚えていくことで、個々の練習はしたことはなかった。

「払いのける取り方じゃ怪我するぞ」「ド素人の取り方だ」「限界までは球を見て置き、顔に当たる前にすっとグローブを出して掴む」「いいな」「はーい」卓也の言うとおりだ。始めは怖いものだ。

もう始めている。「球を上に投げろ、落ちてくる球をスマートにつかめ」監督は、独り言をいい始めた。「なるほどいい練習だ。キャッチボールの練習にもなる。1年生には飛んでくる球、飛んでくる球は怖いはずだ。たいていは叩き落とす取り方や、払いのける取り方をする。最後まで球を見て、すっとだし、次の投球の動作に入れる取り方をこの段階で教えるとはすばらしい。

「浅野飛球線を右に見て走れ。そうだ、振り向いたら楽に正確に捕球できるだろう。今度は取れないぐらい大きなフライだ。藤田フォローだ。まっすぐ突っ込んだら着地点の判断が狂うだろ。円だ、円を描きながら着地点に入る。分かったか?」「はーい」「次、浅野がフォロー」『もう完全な大将だな』安心した表情がにゃにゃと表(あら)われる監督だった。



「ただいま」今日は珍しく淳一と卓也がそろって帰ってきた。淳平はすでに帰っており、二人の話を楽しみに待っていた。

「年少組の練習は大変だろう」それを受け、淳一が先に話し始めた。「昨日も言ったけど練習の終わりに、監督が僕の肩をポンと叩き、卓也が他(ほか)の年少さんを教えるのがうまい、まず理由をよく教え、それから実行している。明日はどんな講釈が聞けるかと楽しみだ。って僕が褒められるかと思って聞いていたら卓也の話ばかりだったよ」

淳平は淳一を教えている時、卓也はまだ幕の外と思っていた存在を反省し、淳一の話を胸痛く聞いていた。

「あらもう酔っ払ったの、涙ぐんでいるじゃない」お母さんの声を聴いて、卓也が淳平の顔を見つめている。そして一言(ひとこと)言った「俺、感謝してるんだ。とうさんに。明日も頑張らなくちゃ、父さんのためにも」

もう限界だ。淳平は立ち上がった。「あら、どこに行くの?」「酔っぱらっただけだ。顔を洗ってくる」

淳平が出ていくと三人が目を合わせ薄笑いしている。お母さんが言った。「うれしいのよ。連休の時、淳一が顔や体に痣(あざ)をつけて帰ってきたことがあったでしょう。心配した卓也の顔も、覚えているわ。それがいいほうに動いていることが嬉しいのよ。そっとしてあげてね」「よっしゃ」「風呂あがって、ご飯食べ終わったら、お父さんに聞こえるように自主トレ、自主トレ、くらい、言ってね」「まかせなさい」

相変わらず剽軽(ひょうきん)な卓也だ。



昼休み斎藤明美マネージャーが部室の掃除をしていた時、部室を4人の生徒がたずねて来た。野球部員の募集を見てきた、とのことだ。

「あなた達、何年生?野球やったことがあるの」「2年生、4人とも、ジャガーズのメンバーです」「えっ、じぁ、日曜日の試合に来てた?」「来てたよ、5年、6年の応援してたよ。その時大城小のチームはヒーローばかりに見えた」その途端「今日放課後また来てね。マネージャーの私が入部認める」慌てて職員室の方に走って行った。「棚からぼた餅、棚からぼた餅、それも四つも」「監督、ぼた餅をのどに詰めないでね。四つもよ」太田監督が嬉し笑いをしている。「あれ、監督は知っていたのですか」「ああ、さっき佐々木監督から電話があったよ。よく練習していた子で、日曜日の試合を見て『大城小の野球部に入ってもいいですか?』と口をそろえて嘆願だ。参ったよ。2年生の部員にも大城小に負けたなと思ったよ。宜しく鍛えてやってくれ。とのことだった」「なーんだ。知っていたのか。校内新聞の号外ものだと思ったのに」「今日放課後に部室に来るように言っときました」「ご苦労」



ゴルフのグリップを締め上げるときは、筋力以外に小指、薬指の順で締め上げる。バットもそうだな。小指は昔から力指と言われている。これも覚えとけ」振り回すのは、初心者のゴルファーだ」「あいつめ、ゴルフも知っているのか。今の言葉は下手なゴルファーの私のことを言っているのだな。許せん」と独り言を言いながらも笑顔でみんなの方へ、歩いて行った。

翌日、昼休みの時、和泉小の土田監督から電話があったとの話だ。「夏休みの休日は『山の日』で連休だろう。この暑い日にダブルヘッダーは子供にとってはきついだろうから最初の日曜日は、年少組。翌日の振替休日は年長さんの試合としたいがどうだろう」「私は賛成ですと答えておいた。「だから年少組の試合が先になった。毎年の恒例試合は翌日だ」「やっほう。年少、年長の連勝だ」の声が上がった」

「斎藤明美、4人の新入部員のユニホーム再発注だ。昼飯は各自、家で済ましてからここに集合。但し、部員数の飲み物の準備をその日に忘れないように。頼んだぞ」「はーい」

「練習開始」



監督は年少組の練習が気になって仕方がない様子だった。打撃練習と言っていたが、そんな様子はない。サッカーのコートの前に集まっている。「1年生や2年生に金属製のバットを振ることは至難の技だ。背中にぶら下げて、肩の後ろから振り回す振り方をするはずだ」

それと無く近づき聞き耳を立てた「皆右打ちなら、バットのグリップを左指の小指と薬指で締め上げて、バットは水平に持ち、3分間毎日家での宿題だ」皆黙っている。「簡単だと思っているな。できるかな?」

返事は聞こえない。

ついに出た。「うちの兄ちゃんはな、これを毎日毎日今でもやっている。だから変化球に対する対応がうまいのだ。狙った軌道、変化する軌道、それに対応するしかないだろう。そして必ずスイートスポットで打つ。今からスイートスポットを探す。東、バットを持ってこのコートの柱を押してみろ。打つのではない。押すのだ。そこがスイートスポットと思うか、少し手首を後方にし水平位置で押してみろ。そこがスイートスポットと思うか、良し、そしたらもう少し手首を後方に下げ、体より少し後ろで押してみろ。尻の筋肉は締めて、そうだ。」突然、みんなが催眠術にあったように「あつ、動いた、コートが動いた」と叫んだ。「そこだお前のスイートスポットは」「あとは体を回しフォロースルーを取りさえすれば、飛ぶ。サッカーのコートさえも吹っ飛ぶぞ」

監督はわかっていたけど、この教え方はすごい。脱帽だ。

「ライトやレフトに打ち分けるのは?」「左足の向きや、フォロースルーの向きで調節する」「これまた脱帽だ」

「さあ順番に自分のスイートスポット探しを開始」日が暮れるまでやっていた。「力で振り回すんじゃないぞ。スイートスポットに入ったら腰からフォロースルーに入る。力で飛ばそうとしても無理だ。



「土曜、日曜日は練習休みとする。グランドは開けておくから軽い自主練習してもいいことにする。「宿題もあるしな」と言って笑う監督を見て、部員全員も笑っている。もう噂の主を知っているようだ。但し来週から年少組9名と年長組9名で試合をする。頑張るように。

年少組を指導すると思ってピッチャー石井3年、キャッチャー坪井3年生で頑張ってくれ。但し様子を見ては、その日その日でメンバーを変えていくつもりだ。頑張ってくれ。勝どきを挙げているのは年少さんで、年少さんの方が勢いがあるようだ。



この日の夕餉(ゆうげ)は一段と賑やかだった。

年少組の練習が気になって「お父さんもそう思うだろう。だけど大丈夫だ。ジャガーズで1年練習してきた2年生が4名入部してきたんだ。これで9名揃ったしね。卓也が張り切っているよ」「そうか、そうか」「張り切りすぎて、スポーツの基本は円だ。スポーツすべての基本だ。それからシンプルイズベストここまでは良かったけど、筋力の源は尻と尻の穴だ。まで言ってしまうので恥ずかしかったよ」

「ほら見てごらんなさい。私の言ったとおりになったでしょう。恥ずかしいわ、子供のことも考えてよ」笑って誤魔化す淳平だったが、淳一が「監督がまた肩をポンと叩いてこう言うんだ。お前の親父は昔、ラクビーをやっていたのか、って」「バスケットをしていたとは聞いてるが、ラクビーの話は聞いたことはありません」と言ったら「私は学生時代ラクビーをやっていてね、よく先輩に怒鳴られたよ。筋力は尻を固め、尻の穴を窄(すぼ)めよ。それから体全体の筋力だ。筋力の源は尻と尻の穴だ。覚えとけ。つて」「それ聞いたか今の話」「パパの勝ちー」卓也の声だ。卓也が勢いづいて「試合は来週の日曜日だよ。兄ちゃんの年長さんは翌日の振り替え休日になったよ。どちらも食事して昼2時グランドに集合。パパ行ける?」「初めての対抗試合、絶対見に行くよ」「やっほう」卓也が嬉しそうだ。淳平に見に来てほしい気持ちが体から溢れ出ている。「年長組と年少組の試合形式の練習は酷(ひど)いんじゃないかな。明日グランドが使えるんだったらお父さんと練習するか」卓也は走り回って、喜びが隠せない。それに次の言葉を聞いて泣き出しそうな喜びの顔をだした。「皆を呼べるか?」「すぐ集めるよ」

と言って電話の所に走った。「淳一、野口君も呼べるかな」「携帯から電話してみる」



翌日は毎日の部活の時より賑やかだった。卓也が皆を並ばせて「うちの父ちゃんだ。『礼、宜しく。そして兄ちゃんと名捕手野口先輩だ、宜しく』と宣誓のまねごとをしている。小声が聞こえる。「ヒーローが揃ったぞ」嬉しい笑い声も聞こえる。「早速だが打撃から練習だ」淳平が一番心配していた打撃だ。「理屈は卓也から聞いて知っているだろうが」「俺たちは聞いてないぞ」今まで年長組に入っていた石井と坪井が卓也の方を見て意見を言っている。「よし、そしたら他の人は復讐のつもりで見ていなさい。石井君だったね。バッターボックスに立って、淳一ピッチャー、野口君がキャッチャー」「野口君って言われたら、こそばゆいわ、達でいいです」「よし、バッターボックスに入るとき全員、名前を言ってくれ。名前の覚え合いだ。基本的には苗字を言うこと。横綱君が誰だか知っているが、「坪井」と苗字で呼ぶぞ」卓也が大きな声で「もとい、横綱で無く関取です」「これは失礼をしました」この親子の対話が一気に全員の緊張を解(ほぐ)したみたいだ。

「淳一投げろ」少し速すぎたかもしれない。しかしこの球を打つ練習だ」「無理だぁ」「無理じゃない。バントのつもりでスイートスポットを捜せ。部活の練習で、やったって聞いてるぞ。スイートスポットにバットが当たったら後はフォロースルーで振り切る。さあ練習だ」淳一もストレートばかり投げて、スイートスポットにバットが当たる感触を早くつかんで欲しいと願っている。「かーん」当たった。「そうだ。守備の練習を兼ねて、皆、散らばってくれ」「石井はうまい。スイートスポットにバットが当たる感触を掴んだか、合格、次、坪井、うまい、合格、そうか二人とも年長さんの組で練習していたな」「次はジャガーズで練習していた4人、前に出て来なさい。あのスピードの球を打ってみよう」

試合では先輩たちが打つのに手こずっていたあのヒーローと言わしめた御船の球を打てると思っただけで、気持ちは上ずって、我先にと走って帰ってきた。「木村です」大振りの空振り、遅れている。「大振りはするな、ボールをバットで押し戻す感触で、当たったらフォロースルーで大きく回転だ。但し足はしっかり地面を踏ん張っておくこと。しかし2球目はセンターフライだ。分かったか、大振りをしなくてももう少しでホームランだ。次、立花です。次、東です。次、大沢です。と順次見た結果、淳一と野口君に「彼らはしっかり練習してきているぞ、2年生と聞いていたけれど、理解力が高く、すぐ自分の動きに反映できる能力は持っているぞ。あと石井君と東君と立花君の3人の投げるフォームを見てみたい。坪井君に捕手をさせる。野口君見てやってくれ。こうしてバッターは淳平、ピッチャーは石井君、東君と立花君の3人、キャッチャー坪井君での面白いゲームが始まった。思った通り、いいフォームで投げてくる。打つ、オーバーの場合、飛行線の左側を走る。振り向いてキャッチ。上出来だ。早いゴロを打つ。卓也が大きな声で、「トントントンのリズムだ」「トーントーントーンのリズムだ」「フォローは円を描いて突っ込め」を繰り返しゴロのリズムを掴み、叫んでいる。これには淳平も感心した。また、たまに失敗もあるが意味は分かって小学の1年生から3年生までのほんとの子供が上級生並みに動き回っている。東君も立花君も見込んだ通り、3年生の石井君に負けないほどのいい投げ方をしていた。淳平に疲れが出て来た。「休憩」の掛け声を野口君がかけた。ピッチャー役の3人と淳一と野口君が淳平の所に集まった。「石井君がこんなに上手とは知らなかった」野口君が間髪を入れず「そりやぁそうだ、4年生に高田がいるが、高田と石井は御船の穴(けつ)について回ってた位だから、この2人は淳一のそっくりさんだよな。竹田先輩の代わりにレフトを守っているが、肩がいいし、レフトからのバックホームはピカイチですよ」野口君の解説も、さもありなん。と見た。「それにジャガーズにいた東君と立花君もいずれはピッチャー候補だね。相当走りこんでるね。なあ、野口君?」「2年生とは思えないフォームで投げ込んでくるんでびっくりしたよ」「他の子も、将来性がある子ばかりだね感心してるんだ」




「浅野君は1年生だよね。まだバットが重そうだ。もう少し自主トレが必要だな」「おじさん、自主トレって何ですか」野口君からの質問に、淳一が「卓也に教えて貰えよ。得意になって教えてくれるぞ」「恥ずかしいこと言うな」

淳平が静かに説明しだした。「淳一、右腕を野口君に見せてやれ、そしてグリップを握りしめろ。野口君は右打ちだから左腕を小指、薬指の順にグリップを握りしめて、淳一の腕と比べてみろ。違いがすぐ分かると思う」石井君も東君も立花君も真似して比べている。立花君が言った。「わあ、さすがや、御船先輩の腕の筋肉は、小指、薬指と締め上げると水平だった腕が立って来る」野口君は不思議な顔をしながら、淳一の腕と見比べている。そして「立花、お前の腕、5年生並みだな」と言った。卓也に教えられ毎日自主トレをやって来ているのだろう。淳平は嬉しかった。1年生の卓也が2年生や3年生の先輩に教えるという無づかしさを、難なくこなしていることと、淳一に教えてきたことを、正確に覚えていたことについて感激していた。

感激していた人がもう一人いた。駐車場の車の中からこの様子を見ていたのは大田監督であった。誰か練習に来ているだろう。と予想して来て見ると、年少組の全てと御船君のお父さんと淳一君、野口君まで来ている。ほんとに野球が好きな者たちの集まりだ。御船君のお父さんとは、話がしたかったけど、どのような教え方をするのか参考にしたい気持ちが先立ち、じっと見ていた。淳一君の投げる球を打たせている。そして一人一人どの位置で打つかを教えている。そして打った時はグランドに散らばっている選手の捕球を褒めている。捕球後の継投の速さは練習の時間とともに速くなって行くのが分かる。基礎を教えていた卓也のお蔭だろう。長時間見ているのが楽しくなった。



月曜日の放課後の部活の初めに、「試合の前の日までは、練習は初めの1時間は、年少組、その後の1時間は年長組に分かれ、それぞれの練習をお互いが観て、意見交換をする。または状況により、年少組と年長組とで試合をする、そのつもりで」

そして年少組の守備、打順が発表された。

「1番藤田ファースト、2番卓也ライト、3番木村ショート、4番大沢サード、5番坪井キャッチャー、6番石井ピッチャー、7番真也セカンド、8番立花センター、9番東レフト、予備のピッチャーは立花と東。そして年長組の守備と打順は、

1番赤城センター、2番御船ライト、3番竹田レフト、4番木下サード、5番野口キャッチャー、6番坂田ショート、7番富木(とのぎ)ファースト、8番立松セカンド、9番高田ピッチャー、予備のピッチャーは富木(とのぎ)と御船だ。どちらとも早い回に得点を取れるような打順を考えた。和泉小の年長組の曲者は大場キャプテンで6年、サード滝川6年生中学生並みの度胸と腕を持っている。ショートの堤6年はうまい、そしてライトの神谷、うちの御船並みだ。抑えるように考えろ。年少組は知らないが、多分勝てるだろう。何せうちには卓也が居るからな」「あったり前田のクラッカー」卓也の戦闘開始の雄叫(おたけ)びが揚がった。



早速練習が始まった。石井ピッチャー坪井キャッチャーでバッターは順番に藤田からだ。「藤田、まずヒッティングポイントにあてろ。それからフォロースイングだ」「うまい、セカンドの真也に捌(さば)かれたけどいいスイングになってきた。2番卓也だ。淳一は気になって卓也のスイングを見ている。「3年生の球ってどんな球?お手玉か?」「卓也節が聞こえた」いらっと来たのだろう。石井のフォームが崩れた。

「あーらよっと」カーンと音を残してセンター前ヒットだ。みんな呆れ顔して見送っている。「あれが1年生か」監督も呆れかえっていた」

年長組の練習は年少組に教えられたバントの練習が主で、それと軽くバットに当てる事とその後の腰、肩、を使った遠心力を生かしたフォロースルーの演習に専念した。「何しろ今年は森脇の球を打ちこなせるだけの実力が付いて来たと思っている。キャプテンの大場と滝川の嫌味な言葉には騙されるなよ」「おう」と言う返事に自信が付いた感じが伺われる。

最後は合同練習だ。ピッチャーは高田、キャッチャーは野口、年少組の藤田がバッタボックスに入った。年長組との試合は初めてで、緊張している。「藤田、打てよ。御船の金魚の糞にまけるな」これが言えるのは卓也だ。年長組から大笑いが起こった。打った。意味は分からなかったけど、掛け声のゴロがよく、藤田も笑って、一瞬に緊張は解(ほぐ)れ、センター前のヒットだ。次は、今の先輩を馬鹿にするような掛け声の主がバッターボックスに入った。「チッター上手になっとるわい」と言いながらバッターに立つ姿に、皆、大笑いだ。監督は小さな声で「やっぱり怪物だ」と再認識している。「打った」ライトフライ、兄ちゃんに取られアウトだ。3番木村、ショートゴロでアウト、4番大沢、強烈な当たりだがこれまた素晴らしいショートの坂田の餌食になってしまった。「もとジャガーズにいた2年坊主はよく練習してたみたいだ。バットの振り、走る姿、皆素晴らしい。速く東の投球を見てみたいと、年長組が攻撃になった時、ピッチャー石井に、レフトに入ってもらって、ピッチャーを東に代わってもらった。「2年生にしては上等だ」打たれるのはしょうがないが彼らの将来性が見えてきたようだ。「東君、立花君と代わってくれないか」それを見た監督は「よーし、石井。東君、立花君も頼もしいぞ、先発は誰にするか考えるなぁ」

そんな日々が続きついに、和泉小学校と大城小学校の年少組の対抗試合の日曜日がやってきた。



日曜日は年少組の試合で翌日の振替休日は年長組の試合だ。

珍しく卓也が落ち着いている。「どうしたの、落ち着き払って卓也節が出てこないじゃないの。調子が悪いの」「ううん、調子絶好調。食欲もあるし。ただ明日の年長組の試合のお兄ちゃんとの比較されるのが、どう頑張ればいいかなぁなんて考えていたんだ」「馬鹿を考えるんじゃない。1年生と5年生では差があって当り前の事。それにお兄ちゃんの練習を手伝って来たじゃないか。それを上級生に教えているらしいじゃないか。お父さんは感激しているんだぞ。普通にお兄ちゃんと一緒のグラウンドで一緒の試合ができると思いなさい。必ず勝つ。必ず勝つつもりで試合をしてみようよ。いいな、卓也」お父さんの大きな声を久しぶりに聞いた。「ちょっと寂しい顔をしてみただけさ。この状況でへらへらしていたら逆に心配するでしょう」

「やられた。面白い卓也は健在か」

「2時に部活部屋前集合、2時半には市民グランドの3塁側だからね」


必ず来てねの意味だろう。喜んで出て行った。

部活の部屋前には全員が揃っていた皆張り切っている。「和泉小の年少組との試合は、今日が初めてだ。先に点取りに行く。大振りをしない事。自分の振れる速さでヒッティングだ。そしてフォロースィングは大きく。バントとヒッテンドランのサイン合わせ、盗塁のサインは、あまり出さないことにするが各人の判断に任せる。

和泉小のメンバーの連絡があった。1番米田健一、2番大西 司、3番吉田裕也、4番亀井正義、5番河村あきら、6番杉田恵一、7番高橋一郎、8番辻本恵一、9番尾岡好之。その時立花が言った。「尾岡好之はピッチャーで亀井がキャッチャーで二人とも3年生でジヤガーズにいました」「えらいこっちゃ、つまり東や立花の球には打ち慣れている可能性があるな」「やはり石井から行くか。その逆もあるかもな」「よし市民グランドに移動」「斎藤、飲み物と紙コップと氷の買い出しは、車で行こう。バケツはあるか」「はい、二つ用意しています」「よし、出発だ」



市民グランドに着くと、たくさんの応援団にびっくりだ。

各選手の親や兄弟、斎藤明美は監督と買い出しを済ませ、即席の応援団がすでに陣取っており、バケツに水を入れたり、氷を入れたり、スプライトやアクエリアスを入れて冷やしたりして、給水の準備を行っている。

「よう淳一」の声に振り向くと野口君だ。淳平にも挨拶している。他のメンバーはダ

ッグアウトで応援しているが、御船の親が来ているとのことで、許可を貰ってスタンドで応援しに来たようだ。


「自分達の試合より緊張するな。卓也君もキャチボールを始めているぞ」

集合がかかつた。審判の紹介と5回戦勝負の約束事と、先行、後攻の決定をしている。審判は各学校の有志の先生か選手の親が宣誓をして試合が始まった。

先行は大城小だ。


プレイボールの合図があるや否や「藤田、いつもの調子だ。行け、潰(つぶ)せ」さっそく卓也の声が響き渡った。

昨日聞いた話では和泉のピッチャーは尾岡で元ジャガーズの年少組のピッチャーだったらしいな。キャッチャーも同じ3年生らしい。ゆったりとしたフォームからストレートだ。ストライク。「ちょっとやばいな」と淳平が呟(つぶや)いた。

「和泉の3年生ってそんなもんか?相手は2年生だぞ」

卓也の声が響き渡る。「打った」軽く出したバットに球を載せて大きなフォロースルー。

「素晴らしい。ピッチャーもピッチャーだが、バッターもバッターだ」センター前ヒット「2番卓也だよ」淳平は黙った。

「今度は大城小の1年生だ。今みたいに打たれたら明日から恥さらしと皆に言われるぞ」これも恥ずかしいぐらいの大声で口上(こうじょう)を揚(あ)げながらバッターボックスに入る卓也にはお母さんは下を向いて笑っている。

完全に崩されて、きれいだったフォームが乱れ始めている。「カーン打った。またもやセンター前のヒットだ。監督は苦笑いをしている。


「今度は大城小の1年生だ。今みたいに打たれたら明日から恥さらしと皆に言われるぞ」これも恥ずかしいぐらいの大声で口上(こうじょう)を揚(あ)げながらバッターボックスに入る卓也にはお母さんは下を向いて笑っている。

完全に崩されて、きれいだったフォームが乱れ始めている。「カーン打った。またもやセンター前のヒットだ。監督は苦笑いをしている。

3番元ジャガーズの木村2年生。元ジャガーズの先輩だった尾岡の球を打てる勇気があるだろうか。

「そんな緩いボールだと、ハエが止まるぞ」

だけどツーボウルワンストライクまで待って、監督がサインを出した。

ヒッテンドランのサインだ。卓也は黙ってしまった。「カーン」大沢の見事なバッティングは一・二塁間を抜いている。卓也は走った、走った、しかし遅い、ライトの河村はボールに追いつき、バックホーム態勢に入った。キャッチャーの亀井キャプテンは立ち上がり、1年生の卓也の走路をふさぐような態勢だ。

悲鳴が聞こえた。即席応援団の悲鳴だ。淳平も手を握りしめている。お母さんは下を向き、もう見ていられない。

歓声が上がった。「どうなったの、卓也転ばなかった?」

淳一が「この歓声が聞こえないの。セーフだよ。セーフだよ。亀井は走路を変更すると予想し、股を開いて、左右どちらにも対応できる体制として股を開いていたんだ。卓也は走路は振らず、まっすぐ亀井の股の下をスライディング。タッチの差でセーフだよ」グラウンドでは監督が卓也の体を頭上より高く放り揚げて喜んでいる。見ていなかった自分の反省を込め、お父さんを見たら、案の定、泣いている。「黙っててやるか。卓也の1年生の球児の姿に、感無量の様子だからね」

5番坪井、緩い球を侮(あなど)り、思い切り振ってサード真正面でアウト。

6番石井、フルカウントまで粘って打って出た。サード抜けるか、見事なジャンプキャッチ。「あのサードは旨いな」「年長さんのサードは誰だっけ、野口君?」「あの憎たらしい滝川です」「それでか、旨いはずだ。よく練習しているみたいだ。滝川二世だね」

7番浅野、「真也、もう1点、もう1点」「1年生に打たれてべそ描くなよ」ダッグアウトからも大声の応援が聞こえる。

ワンツー、ピッチャー返しのヒット、センターに抜けるか?ショートの杉田が横に飛んだ。難しいゴロのボールを捌(さば)いた。

スリーアウトチェンジ。



「野口君、年長組のシヨートは誰だったっけ?」「これまた曲者(くせもの)の堤す。

ショートとサード共に6年生です」「年少組の面倒をよく見ているようだね。サード、ショート共にうまい」


後攻和泉小米田がバッターボックスに入った。2点取って上機嫌の大城小、ピッチャー石井、キャッチャーは坪井、共に3年生のバッテリーだ。

「先輩、軽く行こうぜ。守りは完璧、鼠も通さない。行こうぜ。おう」今度はライトから大声だ。「卓也の明日は声が出ないんじゃないかな」

お母さんの心配が当たらなければいいがなぁと淳平も心配している。

石井と高田が何時も御船の後ろについて回り、ああだこうだと質問攻めをしていたと聞いている。ジャガーズとの試合の時、最終回あわやホームランかと思われる球を一度球筋を見て必死に走るレフトの石井の姿を思い出した。そお言えば彼はまだ3年生だったのか。後ろを振り向いた後、確実に着地点で、難なく捕球した様子は忘れられない。

「がんばれ」「また涙ぐんでる。なにが悲しいの?何がうれしいの?」

「何でもない」

「高田君は年長組のピッチャーで、見たことあるが、石井君の投げる姿は前日練習でちょっと見ただけだ。今日じっくり見れるな」

「そんな事で涙ぐんでいたの。呆れた」

淳一の後ろをついて回っていたと聞いているが、確かにフォームは淳一にそっくりだ。いいボールを投げ込んでいる。プレイボール。

大きく振りかぶって第一球目が投げられた。空振りだ。様子を見るようだ。2球目も振らない。「おーい、やる気あるのか、こちとら、暇でしょうが無いぞ」また卓也だ。3球目打ったがセカンドゴロで真也に軽くあしらわれた。2番大西、年少さんにしては体がでかい。バットの構えもいい。「図体だけか、大きいのは。ここまで飛ぶかな」和泉小の応援の声よりライトからの卓也の声が勝ちだ。やはりヤジが気になったのか、ちょこんと合わせセカンドの頭を超えヒットだ。「うまい。卓也の戦法破れたりだな」3番吉田、「さっきファインプレイをした子だな。打撃はどうかな」1球目見送りボール。「見送り方が他の子と違うぞ。用心」「アー暇だ。打ってくれよー」卓也だ。2球目打った。鋭い当たりはセカンドの上を越しライトを襲っている。センターの立花がフォローに走った。1年生のライト卓也も走っている、こけそうな走り方だ。「お母さんは笑っている」追い着くか?淳一、野口君の声は「走れ、走れ、無理だと思ったらセンターの立花が追いつくぞ」

「歓声が大城小のダッグアウトから揚がった」淳平と野口君は呆れた顔をしている。振り向いて捕球したけど走りのスピードが止められず後ろに転んでしまった。卓也が捕球した球を立花が2塁から1塁に戻ろうとしている大西を指すため1塁に継投「アウト」「2年生の立花のすばらしい継投に拍手喝采だ。ダブルプレーだ。卓也と立花が拳を揚げ、喜んでいる。「馬鹿が、今のプレーではセンターの立花に任しても余裕でアウトにでき、継投も球を取った体制から直ぐ刺すことは出来たのに、今のプレーは30点だ」淳平が褒めると思っていたのに、怒っているから「お父さん、まだ1年生の卓也よ、あなたが直接指導してきた子じゃないでしよう。淳一みたいに走りながらでも周囲が見通せる状況じゃないでしょう」淳一と野口君が小声で聞こえないように笑っている。「お前の母ちゃん強いなあ」

「だけど立花君の上手に円を描き、ぶつからずのフォローは100点だ」申し訳ない言い訳のような言葉にクスクス笑っている。

ゼロ点に抑えたチームにダッグアウトからも拍手喝采が聞こえてくる。

2回戦が始まった。8番立花、いい気分でボックスに入ったことだろう。「辻本の球は、スピードは無いので焦らずバットは大振りをせず、ボールに当てたらそこからフォロースルーは大きく振って行こう」監督も笑顔で皆を鼓舞している。

ツーツー、辻本も変化球を多く使いだした。5球目打った。泳がされながらもサード強襲した立花はアウトになった。9番東、2球目のカーブを狙い打ち、ヒット。

1番藤田、「また打とうぜ」卓也の応援の声も疲れが出始めたのか小さくなった。藤田は頑張り1塁側を抜いてセカンド横にヨロヨロのヒットだ。危うくアウトになりそうだった。

「やっぱり俺が出ないと引き締まらないなあ」と嘯(うそぶ)いて出てくるとはまだ元気のようだ。「ショート行くぞ」打つ方向指定のポーズをとる。「かっこいい」の声がダッグアウトの方から聞こえてくる。

3球目「カーン」いい音が響きショートの右を襲う。また横っ飛びか?飛んだ。真横に「アウト」「いい運動神経をしている」と淳平。

「あの野郎カジキのような奴だなあ」と卓也。

3番木村はさすがのヒットで1塁2塁3塁が埋まった。「よし追加行こうぜ、大沢、元ジャガーズのメンバーがお揃いだ、一発咬ませ」と卓也が叫んでいる。

「これは見ものだな」と淳平。

2球続けてカーブを見送り、3球目やはり来たなと読みが当たり、ストレートを打った。レフトが下がっている。これは大きい。「回れ、回れ」3塁打だ。ホームでは東、木村の二人の他にサード強襲だったがアウトになってしまった立花ら元ジャガーズの2年生組が抱き合っている。「3塁打を打った大沢もジャガーズではよく練習していたんだな。今の振りは読みが当たったとは言え、2年生としては素晴らしい振りだ。5年生6年生になったらを思うと楽しみだなあ」「お父さんのぶつぶつが始まったよ」

5番坪井キャチヤーで3年生のコールがされた時に、もう点はやれないと判断してかピッチャー交代で高橋がコールされた。投球練習の様子を見ると、スピードは辻本の倍はあるし、ゆっくり投げる時はフォークを投げているみたいだ。「これは面白い」

「関取、行こうぜ。得意のライト越えホームラン」打つ気十分である。2球ストレート。速い。「3球目フォークが来るぞ。振るなよ。との願いは届かず」空振り、スリーアウトチェンジ。



和泉小はバッター4番亀井キャプテンでキャチヤーからだ。相当焦っている様子が伺える。「5点取られたか。大城小は野次で勝っているようなものだ」そう思うのは無理なことではない。卓也の野次が功を奏している。野次で潰されるほうが精神的に負けである。


石井のボールはきれいなフォームからストレートが入ってくる。1球目見逃し、2球目足が動いた。「カーン」ピッチャー返しのセンター前ヒット。「さすが4番打者だ。逆らわず、余裕さえ見える」淳平はこの回からの和泉の反撃が気になってきた。

5番河村。「先ほどのライトの子だな」石井の外に逃げるカーブに手こずっている。三振はしたものの淳平は褒めている。次は杉田、「ショートの子だな反射神経のいい子だから要注意だな」打った。三遊間を抜いて楽々ヒットだ。次、高橋、今ピッチャーをしている。石井の球に打たされた形で、ピッチャーゴロでツウアウト。次、辻本、1球目空振り。

走った。亀井が走った。不意を突かれ、石井の凡ミスだ。坪井もサードに投げるのを躊躇した。「あと一人だ。どんまい、どんまい」ライトの卓也の声だ。石井に落ち着いて行け、心配するなと言っているのだろう。

2球目、強振、ライトに飛んでいる。ワンバウンド卓也が拾った。ファーストへ「アウト」スリーアウトチェンジ。

ファーストの藤田の所に駆け寄り、抱き合って喜んでいる。

淳平も「フー」と安堵の深呼吸をしている。卓也の継投の時はすでに亀井がホームインするところだったからだ。落球でもしていたら、1点とられ和泉小が活気づく所だった。



3回、4回と両チーム無得点で、大城対和泉は5対0のまま最終回に入った。大城小は縁起よく卓也からだ。「さあ一発ホームランと行くか」と笑いを取っている。「あり得ない」の声が和泉小の方から聞こえてくる。1球目見送った。「カーブだったのかな。2球目フォークが来るぞ」なんと打った。叩きつけるようなボールはピッチャー頭の頭を越えセンター前に転がっている。拍手が起こる。「もうフォークは怖く無いぞ。木村、大沢、あとに続け」卓也の勇ましい声が聞こえる。

1年生とは思えない大声だ。木村の一撃はライトの河村に取られた。

「大沢、お前ならレフトを超せるぞ。打てー」卓也の声が終わるや否や、素晴らしい当たりだ。嬌声が聞こえる。レフトが捕球した。「あのフニャフニャ球を投げていた辻本か。許す」さすがに和泉の土田監督まで卓也の野次を笑っている。「関取、俺を帰してくれ」関取が打った。卓也も走る。関取も走る。その姿は弥次喜多走りで大城からも和泉からも大声援が起こった。一塁アウト、スリーアウトチェンジ。



和泉小はやや小太りした大西からの攻撃に「和泉の関取、打ってよ」ライトの卓也から冷やかしの野次だ。ピッチャーは最後まで石井で行くつもりだ。ますます淳一のフォームに似て素晴らしい投球の姿だ。ただスピードはまだ淳一には及ばない。和泉の関取、こと大西はショートの横を抜けるヒットだ。「木村、和泉の杉田みたいに横に飛べ、取れるボールだぞ、カジキ飛びだ」怒ったような大声だが、何を言っているのかわからない。カジキ飛び?

次はサードを守る吉田だ。「石井、ゴロを打たせろ。守りは鉄壁だ」

「今ショートの木村をカジキがどうだかこうだかと怒っていたくせに、守りは鉄壁だと、チヤンチヤラ可笑(おか)しいわい」これまた早打ちだ。

三遊間を抜くヒットだ。「石井、ドンマイ、ドンマイ」の声が聞こえているが、タイムの後センターの立花が呼ばれ、監督と何やら相談している。そしてピッチャー交代が告げられ、ピッチャー立花、がマウンドに向かった。「イヨー。大城小の千両役者」嘘か本当かわからない野次にライトの卓也だけがテンションが高い。

「強打者の亀井だ。首を出さないうちに打ち取ってしまえ」これまた意味が分からない。しかし亀井は意味が分かっていた。「あのチビめ、ライトのチビめ」左足が動いた。「ビシ」鈍い音がした。よく練習していたことはわかる。ライト方面への攻撃だ。球はライトの真正面を狙って飛んだ。つまり卓也を狙って飛んだ。

淳平も手を握りしめた。「おとうさんが打った球よりは弱い。逃げるな。逃げるな」グローブが顔を隠す形になった。「パーン」と冴(さ)えた音が響いた。「アウト」強い当たりはライトを越すであろうと思ってか和泉の関取の大西はセカンドを飛び出ていた。シヨートの木村が二塁ベースを抑えに走った。卓也は捕球の前にちらっと1塁と2塁を見て、素早く2塁に走った木村に継投することを決めた。「アウト」

1塁は藤田で、2年生ではあるが廊下の壁新聞を見て入部した子で、そこからの練習であって、練習量は少ない。セカンドの真也は1塁のフォローに回りピッチャーの立花、キャッチャーの坪井も1塁のフォローに回っている。「卓也、正解だ。よく木村に継投したな。1塁は混雑している。投げやすく、守り易かったのは2塁にフォローに入った木村のほうだ。卓也。見事」淳平が卓也を褒めている。淳一もうれしかったが、「今日帰ってからがもっと煩(うるさ)いだろうな」と嬉しさの表現が難しかった。



2校が整列し、審判長の声を聴いて嬉しさが溢れだした。

「5対0、大城小学校の勝ち」「ありがとうございました」

大城小のダッグアウトから悲鳴と歓声が起こった。

和泉小学校の土田監督も温厚な監督で、「御船さんの子供さん、卓也君だったかな。あの野次攻撃に負けた様なものだね。但し卓也君や他の皆、捕球がうまい。走り回る姿が目に焼き付いたよ。来年はこんなもんじゃない事を証明しなければならないな。部員皆に耳栓配って」監督同士笑っている姿を、部員は穏やかな目をして見守っていた。「明日は年長さんの試合ですね。ジャガーズの佐々木監督の言っていたことが本当だったのか見せて貰いますよ。大場、滝川、堤、神谷が口をそろえて言って居ましたよ。『去年と違う』って」

「それじゃ明日楽しみですな。また」と言って別れた。


     若きヒーローのために(Part2) 完













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若きヒーローのために(Part2) 八無茶 @311613333

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