夏風邪

惣山沙樹

夏風邪

 大学、夏休み。俺は足しげく彼氏の美月のボロアパートに通っており今日はモロゾフのプリンを引っ提げてきた。合鍵なら貰っているので遠慮なく開ける。


「美月ぃー! 来たでー!」


 返事がない。ベッドを見ると美月が横たわってのっそり上半身を起こしたところだった。


「なんや、まだ寝てたんかいな。もう昼の十一時やで」

「喉痛い……フラフラする……」

「マジか」


 慌てて美月のデコに手をあててみると確実に熱があった。


「美月、体温計は?」

「そんなんない……」

「内科行こ」

「医者行ったことない……」

「えっ?」


 美月の生い立ちなら知っていた。本人は言葉自体は知らないようだが母親にネグレクトされており、父親が誰なのか母親自身もわからないという有り様だった。


「俺が着いていく。大丈夫やから。なっ?」

「うう……タバコ吸ってから……」

「喉痛いのにタバコはあかんて」

「吸う……!」


 変に機嫌を損ねて内科に行かないと言い出される方がダメかと思って好きにさせた。ヤニカスもここまでくると困りものである。


「まずぅ……」

「そらそうやろ。吸ったらはよ行くで」


 俺は一番近所の内科をスマホで調べた。午前診が終わるまでに駆け込まねばならない。ここでプリンを放置していたことに気付いたので冷蔵庫に入れた。ついでに中身チェック。俺用に買ってくれているビールくらいしか入っていなかった。

 美月は寝間着のTシャツにジャージ姿だったが病人だしそれでよかろうと着替えさせずに外に連れ出した。スマホで地図アプリを見ながら内科到着。熱をはかると三十八度あった。


「モンシンヒョウ……?」

「俺が書いたる。色々質問するで」


 美月によると喉の痛みは昨日の夜からで朝起きると熱っぽかったらしい。それならそうと俺に連絡してくれればいいのにとは感じたが過ぎたことなので仕方ない。

 幸いすぐに名前が呼ばれて診察室へは一人で送り出した。ギャッと叫び声が聞こえてきたのでヒヤヒヤ。アレだろう。感染症の検査をされたのだろう。


「……鼻に突っ込まれた」


 むすっとした顔の美月が戻ってきて頭でも撫でたくなったがさすがに待合室でいちゃつくほど俺はアホではない。しばらくしてまた診察室に呼ばれて結果を聞かされたみたいで今度はこう言った。


「まあ、うん、ただの夏風邪みたい。薬出してくれるって」

「そうかぁ。薬局も一緒に行こなぁ」


 美月はお薬手帳ももちろん持っていなかったので作ってもらってとりあえずは帰宅した。解熱剤が出ていたのでそれを飲ませることにした。


「これ飲んだらええの?」

「うん。水持ってくるわ」


 俺は水道水をコップに入れて美月に差し出した。美月は錠剤を口に含むとガリガリ噛みだしたので焦った。


「美月、それ、噛まんと飲むんやで!」

「ん? そうなん? どうやって?」


 錠剤の飲み方すら知らなかったとは思わなかった。食前の粉末の漢方も出ているがこちらもやり方を知らないと思ってもよさそうだ。


「まあ……今回はええよ。胃に入ったら一緒やろ。水で流し」

「んっ」


 さて昼食である。


「美月、食欲あるか?」

「ない……」

「プリン持ってきてんけど」

「食う」

「その前に薬な。今度はこっち。お湯に溶かすで」


 処方されたのは麻黄湯だった。コップを突き出すと美月は眉をひそめた。


「……変な匂いする」

「まあ、不味いと思うし一気に飲み」

「どうしても飲まなあかん?」

「はよ治ってほしい。飲み」


 美月は鼻をつまみながら麻黄湯を飲んだ。


「苦っ! 苦っ!」

「これ、毎食な……」

「嫌やぁ……」


 本当は何か食べさせるなら三十分くらい待つのが正しかった気がするがもうプリンを食べさせてしまうことにした。


「……んまい」

「やなぁ。たまたまやけど持ってきてよかった」


 プリンを食べ終わると止める暇もなく美月はタバコに火をつけたがニコチンが切れる方が本人にとっては問題なのだろうということで俺もついでに吸った。


「美月、寝とき。薬飲んで物食って寝る。風邪はそれしかない」

「……うん」


 あまり近くにいて俺にうつるのもよくないのだろうが、あまりにもしょぼくれた顔をしているのでベッドに寄って手を握った。


「僕が寝るまでこうしてて」

「うん。おったる」


 十分ほどで美月が寝息をたてだしたので俺はそっと手を離した。美月が「病院に行ったことがない」と言ったのが気になって、悪いとは思ったが引き出しを開けて美月の母子手帳を見た。

 美月の母親が死んだ時、遺品整理を俺も手伝った。その時に見つけたものだ。美月は幼少時はきちんと世話をされていたらしく書き込みがびっちりあり予防接種の欄を見ると完璧に埋まっていた。


 ――この頃はまともやったんやなぁ。


 美月の記憶はあやふやだしいつからなぜ母親が育児放棄し始めたのかは定かではない。死人に口なし、もう全てはわからないのだが、俺が美月の母親に言えることがあるとしたら一つ。


 ――美月の骨は俺が拾いますんで。


 結婚できない社会的にも認められない不安定な繋がりだが、俺はそのことだけは決意していて一度も揺らいだことがない。

 俺は母子手帳を元のところに戻してスーパーに行くことにした。ろくに食べ物飲み物がないし体温計もあった方がいいだろう。

 買い物を済ませて戻る途中スマホが振動した。美月からの電話だった。


「蒼士、蒼士、今どこ!」

「買い物しとった。もうすぐ帰るで」

「起きたらおらんかったから……!」

「ごめんごめん。不安になってもてんな。急ぐわ」


 本気でダッシュしたいところであったが買い物袋は三袋あり卵も入っていたので早歩きで何とかした。部屋に入ると美月はタバコを吸っていた。


「……蒼士、びっくりしたやんかぁ」

「俺が美月のこと見捨てるわけないやろ。治るまでちゃーんと面倒見たるからな」

「治るまで?」

「治ってからも」


 美月はタバコを灰皿に放り投げて買い物袋を提げたままの俺に飛びついてきた。


「蒼士、好きぃ」

「ん……俺も」


 それから美月はいちいち文句を言いながら薬を飲み俺の作ったうどんや雑炊を美味い美味いと食べ三日経って元気になった。


「蒼士! もうええよな!」

「何が?」

「えー? 決まってるやん」


 そうだった美月の性欲をなめていた。こりゃ散々搾り取られそうだなと覚悟しながら俺は美月を抱きしめた。

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夏風邪 惣山沙樹 @saki-souyama

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