ただひたむきに

@yanayaao

第1話



ひたむきに走っている姿が好きだった。

真っ直ぐにゆく道を走り、振り返らない背中が好きだった。

同じ道をゆくものとして、尊敬していたし、そういう意味でも好きだった。


「陽太、お前頼むものそろそろ決まった?」

ハッとして顔を上げる。大学に入ってからもダラダラと続けていた陸上サークルで、練習も程々に毎週こうしてマックの列に並んでいる。

「ええと、ビッグマだろ、あと爽健美茶」

「ポテトは?お前金欠?」

「月中はいつもそうだろ」

「仕方ねえな、奢るから元気出せよ」

ポテトごときで…と苦笑をする。気前がいい所はあるが、機嫌がいい時は見返りを要求される。大方今回はレポートの手伝いだろう。大学の近くにあるこのマックには同じような学生がたむろしていて、店の入口には「学生の長居はご遠慮願います」とご丁寧に張り紙までされるVIP対応までされている。時間に余裕があるものも無いものも、24時間やっていて冷暖房もある施設が近くにあれば、集まるのは必定と言えばそうなのだが。


「次の大会の選手見たか?シードに中森出るって」

「中森…」

大学陸上では聞かない日は無い。無名の高校から全国覇者が排出され、彗星の如く陸上界に舞い降りた短距離の天才。中森昴。

幼なじみだった。小学校の頃から足が速くて、女子に人気があった。当時の自分は、ちょっと足が速い位で、と拗ねたりひねたりしながらも、いずれ彼を抜いてみせるとこっそり夜に特訓を始めていた。

彼が自分を視界に入れたのは、小学校最後の運動会の時、先頭争いの死闘を繰り広げた時からだった。1センチ、5ミリと差を縮める中、過熱する実況席と、赤組と白組の叫ぶような応援の声、死に物狂いで振るう腕、1歩でも前へと投げ出された足。全て振り絞って手に入れた一位に、彼は負けたあ、と楽しそうな笑顔を浮かべたのを、今でも覚えている。

「陸上やりなよ」

近所の公立中学にそのまま進んだ自分たちは、中森の気軽すぎる誘いにまんまと乗せられ、本格的に陸上の道へと進んだ。顧問は陸上のことを何も知らないぺーぺーだったが、各々にああだのこうだの言い合える空気があったおかげで、徐々にレベルを上げていった。リレー県体4位を勝ち取って学校から表彰された自分たちは、まだまだこんなもんじゃないと高校まで陸上を続けることを誓った。

高校も同じところに進学した。中学の陸上部の面子は揃いも揃って同じ高校に進学したせいで、息がピッタリだった。さらに都合が良かったのが、間の2年生が幽霊部員しかいないので自由に振る舞えるところが最高だった。

全国大会。リレーで出場した自分たちは、中森にバトンが渡って走り切れば一位、という最高の場面だった。中森ならやってくれる。油断をしていた。

バトンは中森の手に渡ることなく、滑り落ちた。明らかに、自分のバトンパスのミスが原因だった。焦った自分は真っ白になった頭でなんとかバトンをひろいあげ、中森に渡した。

「ドンマイドンマイ」

中森はなんでもないように笑っていた。

俺のせいで。俺がミスしたから。ひとりふたりと抜かされ、吐き気を催しながら持ち場に戻る。既に役割を終えたメンバーは、なにやら声をかけてくれているのは分かってはいたが、少しでも喋ればそのまま吐いてしまいそうだったから、黙って俯いていた。

あれから自分は成績を下げ続けた。走っていても、落としたバトンの音が脳内にこびりついていた。その中でも、中森は短距離で結果を出し続けた。大会記録を塗り替え、全国記録を塗り替え、大会をついに制覇した。

急に、眩しくて手が届かない存在になって、会話も少なくなっていった。


「中森とかちあたるぜ、陽太」

気まずくなって別の大学を選んだのに、と、恨みながらも、久々に会う彼はどうなっているだろうと想像した。

何となくで練習していた日々に、熱が入った。彼の背中を見るまで負けられない。有象無象は蹴散らさねばならない、と、バイトの数まで減らして打ち込んだ。そこに彼はいなくても、中学の頃の練習を思い出した。


陸大は驚くほどスムーズに勝ち上がった。足が滑るように前に出た。この道の先に中森がいるのだと思うと、息が上がるのも気にならなかった。

決勝まで進んだ所で、背丈が変わった彼の姿を見つけた。

「陽太」

振り返って声をかけてきたのは向こうからだった。

「リレー以来大会でてないみたいだったから。話してなかったことあるんだ。話したら全力で走ってくれ」

頷いた。なにか酷いことでも言われるのだろうかと少し身構えた。

「リレーな、実は俺、足がこむら返りを起こしてたんだ。馬鹿だよな、緊張してたからか、アップのし過ぎでさ。だからあの時、バトン落として時間稼いでくれてさ、実はラッキーって思ったんだ。だから、本当に気にしなくていいんだ。俺も、あのまま走っても1位にはなれなかったんだから」

初めて聞く話だった。ずっと中森の目を見れずに、避け続けていたからかもしれないが、人づてでも聞いたことがない。

「…馬鹿正直に言わなくても、俺のせいのままの方が都合良かったろ」

「絶対気にしてると思って」

ニッカリと笑った。中学の時から変わらない笑顔だった。

会場にアナウンスが響く。空気が一変して、出場選手はトラックに並んだ。中森ももうこちらを振り返ることなく、右隣のレーンに立った。背中が、追ってこいと語っている。

馬鹿野郎。追いついてやるさ。今回も。


ピストルが弾けた。

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