第3話

「子ってこれが? どっからどう見ても石だろ」

「違うわ! 私の子よ! もうすぐ生まれそうだったのに!!」


 女は叫ぶ。髪を振り乱し、言葉にならない声を発しながら、だんだんと足を踏みならす。癇癪を起こした子供のような仕草に久留島は引きながら、女の言葉を反芻する。

 もうすぐ生まれそうだった。何が?

 そう思ったら割れてしまった石の事が気になって、久留島は石の方を振り返る。先ほどまでは小さなヒビだったのに、気づけば石は真っ二つに割れていた。石のちょうど真ん中あたり、そこに赤い何かがいる。お腹から伸びる長い管。丸まった小さな手足、体に対して大きな頭。今にも泣き出しそうな姿に、とっさに理解を拒む。


「お前、気に入られやすいんだから見るなって」


 全てを理解する前に襟首を無理矢理引っ張られて、強制的に顔を石から外された。荒っぽい動作のために首が閉められて、息苦しい。うめき声を上げると双月はパッと手を離した。


「意味の分からないもの生まれさせるわけにはいかねぇんだよ。怪異だか神だか分かんねえもんとなれば尚更、めんどいし」


 そういいながら双月は着ていた上着を脱ぎ捨てた。タンクトップ一枚、晒された双月の右腕の皮膚がうごめき、固い刃物へと変化する。その姿は何度か見たことがあるが、未だ慣れない。

 女は血走った目で双月に向かって突っ込んでくる。それを双月はあまりにもあっさり切り捨てた。血しぶきがあがり、女の体が床に倒れる。べしゃりという肉が潰れるような音に生理的な嫌悪を覚えて、久留島は後ずさった。


 女は台、いや、割れた石に向かって手を伸ばす。乱れた髪の隙間から見開かれた目が見え、そこから涙がこぼれ落ちた。


「私の……赤ちゃん……」


 かすれた声を最後にパタリと手は地面に落ち、女の体はあっという間に塵となって消えてしまう。人ではない存在の最期はあまりにもあっけなく、悲しい。姿形を残すこともなく、最初から何も存在しなかったかのように消えていく。


「念の為、石回収するけど、お前は触るなよ」


 女がいた空間をただ見つめていた久留島と違い、双月は何事もなかったように台座へと近づいていく。巻かれていた布で石を包む姿を見て、あの布は赤子をくるんでいたもので、草で編まれた籠は赤子の眠るベッドだったのだと気がついた。


「何だったんですか、これ」

「さあ? 子供が奪われたか死んだかして、人の道から外れたのか、元から人じゃなかったのが石を子供だと錯覚したのか。詳しいことを調べるのはそういうの得意な奴がやるだろ」


 双月はそういうと丁寧に籠を持ち上げた。その仕草は赤子を持ち上げるように慎重で、石を護ろうとした正体不明の女に対する敬意がうかがえた。


「光って見えたのは元からそういうものだったのか、餌を得るために進化したのか……どっちにしろ、旨そうなやつばっか狙ってたわけだ。まだ生まれてもねえのにグルメだな。生まれてたらとんでもねえ暴食になってたかも」


 双月はそういいながら脱ぎ捨てた上着でさらに石を包む。籠ごと包んだせいで不格好な形になっているが、籠ごと持ち歩いていたら地元民に何を言われるか分からない。丸見えよりは少しでも隠せた方がいいという判断だろう。


「……よく分からない」

「怪異なんてそういうもんだから、理解しようとするな。お前の場合、引っ張られそうだし」


 そういいながら双月は服の上から石を撫でる。その仕草が優しくて、双月の方が石に入れ込んでいるように思えて久留島は不安になった。


「双月さんは大丈夫なんですか」

「あ? 俺? 俺は問題ねえよ。俺の血筋は呪われてるからな。赤ん坊との相性なんて最悪だ。だから石も割れたんだよ」


 あまりにもあっさりいうから、久留島は最初冗談かと思った。双月さんもそんな冗談いうんですねと茶化そうとして、双月の瞳がいつもより濁ってみえることに気づく。深い井戸の底をのぞきこんだような暗い瞳で、双月は石を撫でていた。

 もう、生まれてくるなというように。


 その姿にゾッとして、久留島は後ずさる。いわく付きの家系の出だと聞いていた。話したがりはしないが、隠してもいないようだった。なぜなら職場の資料室を調べればどんな家に生まれたのか、どういう経緯で特視に所属になったのか。全て分かるからだ。


「生まれてきたら、何に成ってたんでしょうか」

 神か、怪異か、それとも別の何かか。


「そんなの生まれてこなきゃわかんねえが、こんな形で生まれたってろくなもんじゃない。この世界は人間のもので、俺たちはカミから見放されたバグみたいなもん」


 双月はそういうと抱えた石を撫でた。だからもう生まれようとするなと言い聞かせるように。


 この世には人ならざるものが存在する。幽霊、妖怪、神なんて、様々な名前で呼ばれる存在は、最初からそうであったものではない。人が呼び、人が生み出し、人から外れる。そうして彼らは人ではないナニかに成る。

 しかしながら、世界は彼らを生き物としては扱わない。だから多くのモノは子孫を残すことも出来ず、輪廻も出来ず、死ねば塵となり跡形もなく消えていく。それが嫌だから彼らは必死に生きようとする。

 時に人間を脅かす彼らの根本は人よりもよほど純粋。ただ生きたいだけなのだ。


「なんで双月さんは人じゃなくなったんですか?」


 つい口からこぼれた疑問に、慌てて久留島は口を覆った。しかし、声はすでに空気を震わせていて、バッチリ双月に届いている。双月は予想外の質問だったらしく目を丸くしていた。その表情は外見通りに幼くて、久留島は胸が苦しくなる。


「資料に全部書いてあるぞ?」

「そういう話じゃなくてですね……」


 ボケてるのか本気なのか分からない返答に久留島は肩を落とした。そんな久留島を見て双月は愉快そうに笑っている。揶揄われたのだと気づいてなんとも言えない気持ちになる。


「俺もコイツとそう変わらない」

 双月はそういいながら石をポンポンと軽く叩いた。

 

「死にたくないから生きてる。俺は生き続けて、生まれ変わる弟と再会するのが夢なんだ」


 そういって双月は屈託なく笑った。初めて聞いた弟の存在や、珍しい無邪気な笑みに思考が全て持っていかれる。勝手にセンチメンタルな気持ちになっていたが、本人の中ではとっくに答えが出ており、久留島が気に病むことなど何一つなかったらしい。


 見た目に騙されるな。

 先輩たちの言っていた意味を理解する。高校生の見た目に久留島は騙されていた。中身は自分よりも長く生きた先人なのだと胸に刻む。


「それにしても、お前ほんと運いいな。俺が暇つぶしについてこなかったら、数年ぶりの行方不明者、お前だったぞ」

「えっ!?」

「コイツ、魅了して少しずつ生命力とか持って行くタイプの怪異だったみたいだし。お前は栄養価満点の美味しいご飯だっただろうに。ごめんな」


 双月は全く謝る気がない様子で石を撫で回してから、ポツリといった。

「コイツ、うちの期待の新人だから、食わせるわけにはいかないんだよ」


 小さくて、聞き逃しそうな言葉を耳が拾って、久留島は言葉が出なかった。意味を理解すると体の奥から活力とか、喜びとか、いろんな感情が一気に湧き上がってきたが、それを口から出す前に双月が困った顔をして久留島を見つめる。


「つうか、どうする? コイツ持って旅館いけねえよな? ここまで来てとんぼ返り?」

「……言われてみれば……」


 というか、はたから見れば御神体強奪だし、神社をとりまとめていたであろう巫女はいなくなってる。地元民から見れば押し入り強盗でしかない。その事実に気づいた双月と久留島は顔を見合わせて、慌てて神社から飛び出した。


「せめて名物料理なんか食いたかった。肉食いたい……」

「アレ見た後に肉食いたいって、メンタル強すぎでしょ」

 ブツブツいいながら石段を駆け下りる。


 安定職だと公務員を目指したはずなのに、安定とは真逆な道を突き進んでいる気がする。来年、生きてるかも分からない。愚痴も文句もあるがそれでもやめようと思えないのは、すでに何かに魅了されているからかもしれない。

 チラリと横を走る双月を見て、光る意味不明な石よりはマシかと久留島は前向きに考えることにした。

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久留島零寿の怪異事件ファイル 黒月水羽 @kurotuki012

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