眩暈のする部屋

月代零

そこまで気付けなかった

 これはある年の春先、引っ越し先を探していた時のことです。


 ネットで物件を探し、不動産屋に内見の予約を取りました。

 目星を付けた物件をいくつか見せてもらい、その日のうちに一番よさそうだった六畳1Kのアパートに、契約を申し込みました。


 家賃は手頃だし、各駅停車だけど駅からも近い。周辺の環境も悪くない。そして、ロフトがあるという点に、ちょっとウキウキしました。だって、秘密基地みたいで憧れません?

 住んでみてから、ロフトは空気が籠りやすくて蒸し暑いし、天井が高くて照明器具を交換しなければいけなくなった時にどうすればいいんだろう、とかいくつか問題に気が付きましたが、それはまあ置いておきましょう。


 ともかく、契約書を交わし、必要な費用を支払い、引っ越し業者を手配して、晴れて引っ越しを済ませました。

 しかし、これからの新生活に胸を躍らせたのも束の間、ある異変に気が付きます。


 うっすらと眩暈や吐き気に襲われるようになったのです。


 もしかしてこの部屋、何かいる……? とか、そんなことは思いませんでした。自慢じゃないけど霊感なんてないし、ファンタジーを書いてるけど、そういったものは信じていません。


 しかし、その症状が出るのは、部屋にいる間だけでした。

 であれば、この部屋に何らかの原因があることは間違いありません。


 どこからか有害物質でも流れ込んでいるのか? シックハウス症候群とか? 

 でも異臭などはしないし、それだったらもっと騒ぎになってもおかしくありません。他に考えられることは……。


 私はふと、ある可能性に思い当たりました。

 この眩暈と吐き気、車酔いした時の感じに似ている。私は車酔いしやすい体質なので、この感覚には覚えがありました。これは三半規管へのダメージだ。

 そして、立っているとふらつくような、平衡感覚が狂うような感じがある。


 もしかして。


 私は荷物の中に、球体状のものがないか記憶を手繰りました。しかし、都合よくボールのようなものなど持っていません。

 そこで取り出したのは、乾電池です。別に球体じゃなくてもいいのです。丸くて転がってくれれば。


 私は乾電池を床に置き、そっと手を放しました。

 すると、それは勝手にころころと床を転がっていきます。六畳の部屋を横切り、キッチンの前を過ぎるにつれて、どんどん加速していくではありませんか。


 やっぱり何かいる!……ではなくて。


 念のためもう一度、居室に電池を置きました。間違っても、勢いをつけて転がしたりしていません。それなのに、電池は坂道を下るように、加速しながら転がっていきます。


 私は確信しました。この部屋、傾いてる……。

 電池が転がる時の加速から考えると、かなりの傾きと思われます。物理が得意な人なら、距離や速度から傾き加減を計算できると思いますが、私にそこまでの知識はありません。


 マジかー……、と唖然とし、次いでどうしよう、と途方に暮れました。


 選択肢は二つ。このまま我慢して住むか、引っ越すか。


 寝に帰るだけと思って我慢するという選択もありましたが、この部屋にいる間常に気持ち悪かったし、無理だろうなと思いました。それに、私はどちらかというと休日は家でのんびりしたいタイプなのです。家が快適じゃないというのは耐えられないだろうと思いました。財布は痛いけど、背に腹は代えられません。


 何分昔のことなので、正確なところは曖昧ですが、その部屋に住んだのはわずか二週間ほどだったかと思います。荷物もほとんど解いていなかったので、そのまま不動産屋に事情を話し、解約を申し出ました。

 

 不動産屋の担当者も部屋を見に来て、傾いていることを確認してくれました。この部屋の契約にかかった費用を返したりしてくれないかなーと思いましたが、特にそういった話は出ず。私も世間知らずの若造だったので、そういうものなのかなーと思ってしまいました。振り返ればもっと色々交渉すればよかったと思いますが、後の祭りです。

 私は急いで代わりの部屋を探し、新しい部屋の敷金や礼金、引っ越し代を払い、新たな部屋に移りました。


 この顛末を親に話した時、「内見の時に気付かなかったの?」と言われましたが、数分間見ただけでそこまでは気付けないんじゃないかと思います。


 部屋の傾きを訴えた際、担当者も「これだけひどいと、もう入居者は募集できないかもしれませんねえ」とぼやいていました。その部屋だけが傾いているということはないだろうし、アパートの住人全員が、何らかの症状を感じていてもおかしくはないと思いますが。


 その部屋、ひいてはアパートがどうなったのか、私は知りません。


   了




 

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眩暈のする部屋 月代零 @ReiTsukishiro

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