エピローグ


 事件から、約三ヶ月後。


 豪華客船の沈没事故直後は、新聞の一面を飾っていた。どこのニュースも取り上げるのはその事件のことばかりで、生き残った数少ない生還者たちは、マスコミや警察の対応に追われていた。


 保険金目的による事故だったことを砂長谷たちは証言したが、警察はまともに取り合ってはくれなかった。今となっては、証拠があまりにも残っていなかったからだ。

やがてその騒ぎも落ち着き、沈静化しつつあった。


 砂長谷たちが通っていた高校は、この事件で多くの生徒を失い、大きなダメージを負った。

 それ以来、修学旅行は国内のみで行われることとなり、残った砂長谷たちはそれぞれ別の学校への転校を余儀なくされた。


 そのせいもあってか、砂長谷、縞野、桐崎の三人はまだ再会していない。もう三ヶ月ほど経過しているが、誰がどの学校に転校したのかさえ、三人は知らない。


 受け入れを了承してくれた学校も、事件のことをあまり話題には出したくないというのが本音だったこともあり、三人全員とはいかなかったためだ。


 沈没事故の生き残りであることすら、他言することは許されていない。本人たちも、自らその過去を話す気すら起きなかった。

 その日、砂長谷は学校帰り、特に意味もなくコンビニで時間を潰していた。


 季節は冬になり、外は非常に寒く、店内で体を温めたくなってしまうほどだ。

 学校も変わり、今はもうまるで、前とは別の人生を歩んでいるようだった。

 新しい環境、新しい友人、だが決して、あの日のことを忘れたことはなかった。


 漫画雑誌に目を通している時、ふと新聞の一面にある記事に視線を奪われた。

 それは、三ヶ月前の沈没事故で新たな事実が発覚したという内容だった。


 今更になって、事件の真相に警察がたどり着いたらしい。砂長谷たちの証言はあまりにも薄いものだったが、僅かに警察を動かすことはできていたようだ。


 記事には保険金目的で船を襲撃させたことや、大金で雇ったテロリスト一味の顔写真と名前が乗せられていた。

 そこにはあの山田と名乗っていた男の姿もあった。


 砂長谷は初めて、彼の本名を知った。

 都築つづき公仁きみひと。特に山田という偽名とは関係性は無かったようだ。

本当に、咄嗟のことで適当に思いついた名前だったのだろう。


 思わず、砂長谷は頬を緩めた。


 もう一度、彼の顔を見ることができて、心のそこから嬉しかった。


 もし彼がいなければ、今の自分はここにはいなかった。事故の原因を作ってしまったことも事実ではあるが、彼もまた利用されていた者の一人に過ぎない。全てを許すことはできないが、同じように全てを責めることもできかった。


 山田、もとい都築の勇敢さは、今も瞳の中に焼き付いている。

 砂長谷は、都築という人間について知りたかった。すぐにスマホを開き、ネットで彼のことを調べた。

 今はネット社会ということもあり、大抵のことは調べられる。


 特に大きな事件の犯罪者は、ネットの掲示板などで情報が多く拡散され、簡単に素性を把握することができる。

 その足は、無意識のうちにある場所へと向かっていた。全てが正しいとは限らなかったが、その中でも特に信憑性が高いとされる場所を絞った。


 砂長谷が向かったのは、都築公仁の自宅だった。


 着くと、そこには既に警察やマスコミが集まっており、とてもじゃないが話を聞ける雰囲気でもなかった。

 周りには、新聞の記事で興味を示した野次馬が集まっている。


 その群衆の中に、見覚えのある顔を見つけた。

 砂長谷は目を見開き、その人物の元へと駆け寄った。すぐに向こうも、こちらの存在に気づいた。


「久しぶりだな、縞野」

「す、砂長谷くん。ど、どうしてここに……」


 沈没事故以来の再会だった。


 現場を離れ、人の少ない公園へと足を運んだ二人は、ベンチに腰を下ろした。


「なんか変な感じだな、こうやってお前と話すのって」

「うん、そうだね……」


 事件の前から、特に話すことが多かったと言われればそうでもなかった。それもあってか、何を話せばいいのかがよくわからない。

沈黙を破ったのは縞野だった。


「そんなに日は経ってないはずなのに、どうしてか凄く昔のことに思えてくるよ、あの日のことが」

「わかるよ。なんだか、あの時だけ異常に長く感じたし」


 再び、会話が止まってしまった。

 正直、気まずい空間だった。


「あ、あのさ、縞野はどうしてあの場所に?」


 世間話は合わないと感じ、思い切った質問をする砂長谷。


「多分だけど、砂長谷くんと同じだよ。山田さん、じゃなくて都築さんか。あの人のことが気になって、気づいたらあの場所にいたの」

「そうか、やっぱりな。俺も、あの男のことがずっと気がかりだった。まあ、まさかお前と再会するとは思わなかったけどな」

「はは、そうだよね。私も本当に驚いたよ。もしかしたら、もう一生会うことはないんじゃないかって、思っちゃったりしてたから」


 二人が元々親しい関係なら、メールや電話などで日程を合わせて再会することはできただろう。

 だが、二人は事件の際にスマホを紛失させてしまっていた。新型を購入したのも、転校してから後のことである。


「砂長谷くん、実は私、ずっと君に聞きたいことがあったんだよね」


 縞野が神妙な面持ちで訊ねてきた。


「聞きたいこと?」

「うん。桐崎さんが言ってたことなんだけど、砂長谷くんは緊急避難に対して、本当はどう思ってるの? 人を殺すことは、必要なことかもしれないって、本心では感じているの?」


 なんだそんなことか、と砂長谷は少し呆れた顔を浮かべた。


「人がなんで人を殺すのか、どうしてそれが一般的には悪なのか、俺は個人的に結論を出している。桐崎は多分、そこに同調したんじゃないかと思う」

「個人的な結論?」

「そうだ。俺は人間のことを、悪魔だの殺戮の生き物だの、そんな風に思ってはいない。むしろその逆だ、人は生き物の死を悲しむことができる唯一の存在だ。自然界では、そんな力が身につくことはない。命は平等じゃないし、人は虫や家畜は平気で殺す。だけど命の大切さをわかっているからこそ、人は生き物が死ぬということを考えられる。ただの野生生物なら、人間でなければ、死にすら関心は示さないだろうからだ」

「それが、砂長谷くんの出した結論なんだね」

「ああ、だから俺は思う、人は他者を思いやる心を持ち、どんな命も大切にできる生き物なんだって」


 それがたとえ、食物連鎖の頂点に立つことに繋がるとしても、それこそが進化なのだと。今や地球を汚染しているとされる人間は、それと同時に、生きることで地球を青くしている。

 殺すという概念こそ、人が他の生物を思いやれる何よりの証明と言えるだろう。


 砂長谷は人の凶悪さも優しさも、全てを最初から受け入れていた。その割り切った考え方に、完璧な人間至上主義を持つ桐崎が共鳴したのだ。


「君はすごいね、そんな風に考えられる人は中々いないよ。人が人を殺すことすら、命を大切にしているからだなんて」

「大切だからこそ奪う、それが殺しを悪とする理由だよ」


 砂長谷の表情は、能面のように静かだった。他人に興味を示さない彼は、故にその存在を単なる命だと定めた。

 故に、その恐ろしさにも優しさにも、彼は触れようとしなかったのだ。


「本当に不思議な人だね、砂長谷くんは」

「変わってるって自覚はまあ、一応あるかな」

「はは、それは私だって人のこと言えないけどね」

「ふっ……そうだな」

「あー、ちょっとそこは否定してよー」

「そう言われてもなぁ、事実だし」


 気づけば自然に、二人は言葉を交わすことができていた。

 二人の表情は笑みへと変わり、気まずい雰囲気ももう無くなっていた。


「あっ、ていうかさ、連絡先教えてよ。また時間作って一緒に会おう。私、いいお店知ってるんだ」

「へぇ、でもまあ、たまにはいいかもな」


 太陽が西に傾き、影が次第に伸びていった。程なくして、完全に陽が沈むことだろう。


「ずいぶんと楽しそうだね、二人とも」


 その時だった。砂長谷たちの目の前に突然、パーカーを着た少女が現れた。

 つばの深いキャップ帽を被り、その上からまたフードを被っている。

 少女は不敵な笑みを浮かべていた。


「き、桐崎?」


 彼女は、二人が沈没する船から脱出する際に一緒だった元クラスメイト、桐崎真夜だった。


「久しぶりだね、砂長谷くん、縞野さん」


 妙に出来過ぎな展開だった。まさか同じ日に三人が再会するなど、誰かの陰謀が働いているのかと思えてしまう。


「ずるいなぁ、二人だけで遊ぶなんて、私だって仲間なのに」

「お前まで、どうしてここに?」

「うーん、多分縞野さんなら、山田さんの家に来てるんじゃないかなって思って。わざわざ会いに来たの。ただ、砂長谷くんまでいるのは想定外だけど」


 言い方に、少し不満があるように感じられた。

 勘のいい砂長谷は、自分のことを邪険にしているのだとすぐに察した。

 沈没事故の日以来、この女は縞野にぞっこんだからだ。

 桐崎は砂長谷の体を引き寄せると、耳元で囁いた。


「あっ、もし縞野さんと夜を共にする日があれば、私も誘ってね、砂長谷くん」

「は、はあぁ? 急に何言ってんだお前!」

「そりゃ、私は二人のことがどっちも大好きだからだよ。まあ、さすがに一番は縞野さんだけど」

「な、なんだよそれ、つうか、んなことあるわけねぇだろ!」

「えー、嘘だー。砂長谷くんはともかく、縞野さんはそうでもないんじゃない?」

「いやいや、縞野だってそんな気があるわけ」


 自分で言ってて、少しだけ心が傷ついた。本当は好かれていてほしいと思うのは男として当然の感情だが、そんなことないと否定するのは、若干胸が痛い。


「ちょっと二人とも、こそこそ何話してるの?私だけ仲間外れ?」


 不服そうに、縞野が頬を膨らませる。


「なんでもない、お前は入って来なくていいから!」

「ふふ、焦っちゃってー、砂長谷くんってばうぶだねぇ」

「お前は黙ってろ!」


 砂長谷の声が、公園内に響いた。

 三人がただ公園で話しているだけの時間は、妙に長く感じた。あの、絶海に囚われた日のように。

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カルネアデスの愚問 江戸川努芽 @hasibahirohito

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