第3話 もう一人の総務課員


 翌朝、出社した俺は総務課の小狭な一室に女性の姿を見つける。


 黒髪を後ろで団子結びにするその後ろ姿は昨日病欠だった真名瑠梨まなるりさんだ。どうやら課長や亜沙乃あさのさんはまだ出社していないらしい。


「おはようございます真名まなさん。風邪はもう大丈夫なんですか?」


「はい、おかげさまで。昨日はご迷惑をおかけしました」


 ほんの一瞬だけ俺の方へ顔を向けてくれたものの、またすぐにモニターへと視線を戻してしまう真名さん。うん、相変わらず今日も距離感が遠いな。


 もう少しくらい何か話を続けようと思うものの、既に手際よくタイピングを始めてしまったその姿に腰が引けた俺は結局諦めて自席へ着くことにした。


 その後、業務前の準備を進めつつ横目にちらりと彼女を見遣みやる。


 亜沙乃あさのさんの1個下、つまり俺の2個上の先輩に当たる彼女は今みたく誰に対しても敬語で。逆にその分け隔てのない態度は好感が持てるほどだ。

 ちなみにそのカッチリとした外見の通りというか、高校時代は生徒会の役員を務めていたらしい(亜沙乃あさのさんに聞いた)。


 きっと今日も朝早くから出社して昨日休んでた分の処理全てに目を通してでもいるんだろう。そういう人だ。

 

 その後、静かな時間が流れること数分。沈黙を破ったのは意外にも真名まなさんだった。


軟柔しなやさん。昨日引っ越しされたんですね」


「え。は、はい。実はそうなんです」


 昨日の処理を確認していたのなら知っていて当然。とはいえ、唐突に自分の名前が挙がったことに動揺してしまう。といっても駐輪場代も交通費から削除したしな。特に指摘されることはないはず。多分。


 まだ続きがありそうなその仕草に緊張の面持ちで身構えていると、なぜか今度は少し言いにくそうに口を開く真名さん。


「ちなみに……。あ、あまり込み入ったことを聞くのもどうかと思いますが。その引っ越しした先ってファミリー向けのマンション、ですよね?」


 さすがに住居情報だけで把握できる情報じゃない。つまり、調べたってこと……? でもどうして彼女が? 状況を上手く噛み砕けず小首を傾げる俺に真名さんが珍しく目をしばたたかせながら慌てた様子を見せた。


「べ、べつにっ。貴方に興味があるからとかそういうんじゃありませんからっ。一応貴方は課の後輩ですし把握できる範囲の情報を把握しただけであって。というかただ話題としてというかっ。そ、それだけですからっ。」


「は、はぁ」


 勘違いされるのがよほど嫌らしい。まあそれはそうなんだろうけど何もそこまで早口で捲し立てなくても……。


「それ、実は昨日亜沙乃あさのさんからもびっくりされまして。ちなみに結婚するとかじゃなくてですね、高校の時に部活が同じだった奴とルームシェアすることになったというか」


「はぁ、そういうことですか。ちなみにですけど。もしかしてお相手さんは女の子、だったりします?」


 まさか真名さんからそういったたぐいの指摘を受けるなどとつゆにも思ってなかった俺は動揺し一瞬固まってしまう。

 なるほど、俺が野球部だったことを知っている亜沙乃あさのさんと違って、真名さんはそういった先入観がないからこその発言だったんだろう。


 直後、背後に人影を感じ。 

 振り向くと亜沙乃あさのさんがポカンと口を開け立っていた。


 次いで沈黙を是ととったのかその表情かおが驚きの表情それに変わり、今度は勢いよく詰め寄ってくる。


「えっ。今の話ほんとなの軟柔しなやくん?!」


「え、えとですね。そのっ?」


 などと慌てふためいているとまた救いの神が現れる。


「姫野さーん。軟柔しなやくんが困ってるよぉ」


 出社してきた課長に指摘され「あぅ」と肩をすくめる亜沙乃あさのさん。


 そんな彼女を見て俺はため息一つ。

 まあいつかはバレることだし。それにただ面倒そうだっただけでそもそも隠す理由もない。


 そう思い事情を正直に説明することにした。



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「リベンジしてみない?」 高校を卒業して5年。久しぶりに再会した当時の野球部マネージャー、美亜田天響の選んだ球種がまさかの魔球だった件 若菜未来 @wakanamirai

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