第2話 おかえり軟柔くんっ!


 やっぱり駅徒歩二分は伊達じゃない。

 暑さを感じる間すらなかったな。


 マンションに到着し5階へ。

 エレベーターから降りると、少しだけ開かれたドアの隙間からひょいと顔を覗かせこちらの様子を窺う見知った顔に気付く。


「あれ。美亜田みあだじゃないか」


 一瞬目が合いひょいと手を挙げようとするも、何やら慌てた様子でバタンと閉じられるドア。


 なぜ閉める。

 

 小首を傾げつつ自室前まで歩を進めた俺は手早くカードキーを翳しドアノブに手をかけた。


 気を取り直して深呼吸。とりあえず、第一声は「ただいま」でいいよな?

 今日から新しい生活のスタートだ。楽しみ半分、不安も半分。そんな心もちでゆっくりとドアを開く。


「ただ——」


「おっかえり~っっ!!」


 ただいまと言い切る前に被せられたおかえり。次いで目に飛び込んできたのは複数のクラッカーを手に持つ美亜田みあだだった。

 同時にパンパンパン!! と幾重にも重なり合う快音が玄関に響き渡る。


 し、心臓が止まるかと思った……。

 胸に手を当て絶賛ドキドキタイムの俺に向け「びっくりしたでしょ~!」と美亜田みあだの嬉しそうなニヤリ顔。ドッキリ成功と言わんばかりだ。


 なるほど。だから一旦ドアを閉めたのか。


「た、ただいま。美亜田みあださん……」


「おかえり軟柔しなやくんっ。改めまして、これから宜しくだねっ」


「うん。こちらこそ。宜しく……」


 まだ驚きが収まらず変な間が生まれる。すると美亜田みあだがクスっと笑った。


「なんだか堅苦しくて笑っちゃうね。ささっ、入って入って。軟柔しなやくんはまず着替えておいでよ」


 そう言うと玄関を掃除し始める美亜田みあだ。改めて見るとよくそんなに準備したな。クラッカー。


「着替えるって。どこかに行くの?」


 見るに美亜田みあだはブラウンチェックのロングスカートに白のロゴ入りカットソーとなにやら他所よそ行きの格好だ。


「今日は私に任せてって言ったでしょ? 実は軟柔しなやくんを連れて行きたいお店があるの」


 そう言うと美亜田みあだは昔となに一つ変わらない人懐っこい笑みを向けてきた。




 着替えを終え、連れてこられたのはマンションに隣接するレストランだった。


 一見カフェっぽい外装ながら本域はイタリア料理店らしい。

 店舗名は「オステリアMOGAMI」。オステリアは居酒屋って意味だったっけ。実は俺も初めて見た時から気になっていた店だ。


「でも美亜田みあださん。CLOSEDクローズドになってるけど」


「そうだよ。でも大丈夫、入ろっ♪」


 重めのドアを開き先陣を切った美亜田みあだに続くと頭上からカランコロンと心地の良い音色と小狭いながらも木目主体の洒落た内装が目に飛び込んできた。

 次いで同い年くらいだろうか、エプロン姿の女性店員が愛想の良い笑顔で駆け寄ってくる。


天響てぃなっち~! 待ってたよん♪」


 仲良さげにきゃっきゃと挨拶を交わす女子を横目に。あれ、この子どこかで見たことがあるような……。どこだっけ。

 などと小首をかしげていると俺も声を掛けられる。


「しなっちも久しぶり~。って、私のこと覚えてる?」


 しなっちというワードで一気に記憶が蘇る。


 サイドで一括りにした明るめの髪。少し日焼けした小麦肌。そしてなにより俺をしなっちと呼ぶ女子はこの世に一人しかいない(ちなみに初対面から)。


 間違いない。高校の時に美亜田みあだとよく一緒にいた子だ。


美亜田みあださんの友達だよね。たしか森田さん……だっけ?」


「残念。それは去年までの苗字だよ軟柔しなやくん。月日は人を変えるのだ。よく覚えておきたまえよ?」


 美亜田みあだ。なぜまた藤原ふじはら先生の真似をする?


「ということは……」


「どうも初めまして。店主の最上もがみです」


 タイミングを見計っていたのか、キッチンから一人の男性が歩いて来る。 

 大柄で恰幅かっぷくが良く、短めに狩り揃えた顎髭が特徴的な優しそうな人だ。年齢は三十歳前後といったところだろうか。

 体躯にマッチした渋い声と共にすっと差し出される右手。「どうも」と俺も左手を差し出し返すとガチっと握られる。


「ということで妻の千佳ちかでーす。って挨拶はほどほどにして。ほら座って座って」


 案内されるまま中央のテーブルに腰掛ける美亜田みあだと俺。

 キッチンに引っ込んだ最上さん改めマスター(最上さんが二人いるので)を尻目に対面から最上さんがぐいっと身を乗り出してくる。


「ちょっと聞いてよしなっち。びっくりしたんだよ」


「びっくりしたって何が?」


「ちょ、やめてよ千佳。軟柔しなやくんも聞かなくていいからっ。この話終わりっ」


 慌てふためくも結局押し切られる格好になった美亜田みあだ。最上さんが話を進める。


「でねっ。天響てぃなっちが言ってきたわけよ。『家族が出来たのっ!!』って。しかもこーんな嬉しそうな顔で」


「もうっ。そんな顔してないしっ」


 ぷくっと頬を膨らませ美亜田みあだが横やりを入れるも最上さんはまるで意に返さない様子だ。ほんとに仲良しなんだろうな、この二人。


「びっくりするじゃない? ほとんど毎日店に来てるのにそんな素振りも無かったし。もしかして行きずり?! なんて思ったら結局しなっちよ。ルームシェアかよって」


「ルームシェアだって一緒に暮らすんだし。そう言う意味では家族みたいなものじゃない。軟柔しなやくんだってそう思うでしょ?」

 

 俺は黙って首を横に振る。美亜田みあだ、それはさすがに違うと思うぞ。


「ま、なんにしてもしなっちと暮らせることすっごく喜んでたから。悪い子じゃないのは知ってると思うけど。この子のこと宜しく頼むわよ」


「それはこっちこそというか。俺も一人暮らしなんてしたことないしさ。美亜田みあださんには色々教えてもらわないとなって思ってる」


「お、いい心掛けだねぇ軟柔しなやくん。大船に乗ったつもりで任せておいてよっ」


 そう言うと自信ありげに胸を張る美亜田みあだ

 やっぱり亜沙乃あさのさんにも負けてない。なんてのはともかく、逆に不安になるのは気のせいじゃないんだろうな。


 でも今日だって帰るなり歓迎してくれて。楽しみにもしてくれてたって話も聞けて。


 何よりいまこうやって無防備な笑顔を向けてくる彼女に自然と頬が緩んでしまうのだから、そんな不安なんて些細なことだって思える程度には俺も楽しみなんだろうな。きっと。



 その後、遅くまで和気あいあいと昔話に花を咲かせた俺たち。


 あっという間に楽しく時間が過ぎてゆき、そんなこんなで同居初日の夜は更けていった。


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