【短編】白薔薇【1600文字】

音雪香林

第1話 初恋は白薔薇とともに。

 俺が小学校に入学したばかりの頃、若い夫婦とその娘の三人家族が隣に引っ越してきた。


 うちはこじんまりした一般的な戸建てだったが、隣家はでかい平屋建ての家に車が五台は収まりそうな広い庭のついた豪勢な邸宅だった。


 ご近所さんとはいえ庶民とセレブの身分違い。


 引っ越しの挨拶に高級店のものとわかる菓子折りを渡されて恐縮していた両親を、二十歳になった今でも思い出せる。


 挨拶はしたものの、前述したように身分違いで交流などないものと……少なくとも両親は思っていただろう。


 しかしまだ小学一年生の男児だった俺は、自分より少しお姉さんな……のちに三歳上とわかるのだが……隣家の娘が挨拶の時ににっこりと笑ってくれた表情が頭から離れず、ある日ちょっとぎこちないピアノの音が聞こえてきてたまらず隣家の庭に侵入してしまった。


 音源を辿って歩き、庭に面した日当たりのいい部屋にたどり着いた。


 床から天井までの大きなガラス窓は空気の入れ替えのためか開かれており、ふわりと揺れるレースのカーテンの向こうに三歳上のお姉さんがいた。


 陽の光が差し込みきらきらとした光の粒子をまとっているようなお姉さんは、かすかに微笑みながら楽しそうに鍵盤に指を躍らせている。


 幼いながらも邪魔をしてはいけないと考え息をひそめて見守っていたが、曲が余韻を残して終わると、くるりとお姉さんがこちらを向いた。


「お隣の子よね? 遊びに来てくれたの?」


 子供とはいえ不法侵入者だったというのに、叱ったりせずにやわらかな声で話しかけてくれた。


 お姉さんの声はピアノと同じくらいに綺麗な声で、俺は一丁前にドキドキした。


 あまりにも胸がいっぱいで声が出せず、もじもじしていたら、お姉さんが椅子から立ち上がりそばへと歩み寄ってくれた。


 お姉さんはその日真っ白なワンピースを着ており、ふわりとまたひるがえったレースのカーテンがその華奢な身体にかぶさって……俺はウェディングドレスを想起した。


 そして、思考をどう超展開したのか『お姉さんは俺のお嫁さんになる人なんだ!』と電流に打たれたようにビビッときてしまった。


 お姉さんが目線を合わせるようにしゃがんでくれたので、俺は彼女の手をガシッと両手でつかみ。


「俺……お姉さんのこと幸せにするから!」


 ませたガキだったが、思い込みも激しかった。

 お姉さんはしばし『いきなりなんだろう?』という感じで首を傾げていたが、続けて俺が。


「浮気しちゃだめだよ」


 といったことから、どうやら察したらしい。

 お姉さんはくすっと笑ってから立ち上がり、花壇から白薔薇を一輪摘んで俺に渡してきた。


 今度は俺が首を傾げる番だった。


「綺麗だけど……まだ蕾だね? くれるの?」


 お姉さんはこくりと首を縦に振る。


「ええ、今のあなたにあげられるのはこれくらいだから」


 俺は「???」と疑問符を大量発生させながらもお姉さんに促されるまま帰宅し、母に一輪挿しを貰って白薔薇の蕾を生けた。


 そして母が教えてくれる。


「白薔薇の蕾の花言葉は確か『恋をするにはまだ若い』だったかしら。フラれたわね」


 母は「花言葉で返事するなんて素敵だわ~。まだ小さいのにおしゃまさんね」と笑っていたが、俺は「フラれた」という事実に打ちのめされていた。


 三日間くらい落ち込んだ。

 だが「まだ」若いである。


 人間は成長する生き物だ。

 俺はお姉さんにふさわしい男になろうと、それから勉強も運動も頑張った。


 結果、二十歳の俺は最高学府に入学することができている。

 まだ学生とはいえ、二十歳だ。


 酒の飲める年齢だ。

 俺の手には開花して今が見ごろの白薔薇が一輪。


 今度は俺がお姉さんに渡す番だ。

 隣家のインターホンを押すと、カメラで姿を確認したのか「今開けます」とのやわらかな声が届く。


 開かれる扉がスローモーションのように目に映る。

 開花した白薔薇の花言葉は……。


『私はあなたにふさわしい』




おわり

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