朝起きると、エルフになっていた。

小日向葵

朝起きると、エルフになっていた。

 「何この耳」


 鏡に映る、細く長く飛び出た耳。昨日までは丸くて慎ましやかな耳だったはずなのに、今朝髪を整えようと鏡の前に立ったら、みにょんと左右の耳が長く尖っていたのです。なにこれ。


 触ってみる。感覚があるので、寝てる間に弟が何かを貼り付けたということではないみたい。引っ張ってみる。痛い、そして抜けない。生えてるなこれ。


 「姉ちゃんなにしてんの」


 まだ眠そうな弟が、パジャマのまま洗面所に来た。そして私の耳を見る。


 「耳どうしたのよ」

 「なんか長くなってた」


 厳密に言うと、耳の形そのものが変わっている。みみたぶが無くなってるんですよ。言うなれば笹の葉のような、すらりと長い耳になっている。


 「エルフじゃん」

 「森の精霊?高貴な私にぴったりね」

 「嘘つけ。エルフはエルフでもいすゞのトラックだろ、姉ちゃんなら」

 「ひどいこと言うねお前。どぶドワーフみたいな顔してるくせに」

 「なんでもいいから場所空けてよ」

 「ああごめんね」


 ブラシを手に洗面台を離れる。軽く髪を漉いてみたけど、手触りはいつもと大して変わらない。色も長さも昨日と同じ、天然のままのショート黒髪。なのにロング耳。


 弟は冷水でぱしゃぱしゃと顔を洗って出て行った。もう一度鏡を見ても、やっぱり耳が長い。まあいいか、ちゃんと聞こえるし。


 私はそれから身なりを整えて登校に備える。中間テストも終わり、今日からまた通常授業。夏休みまではまだまだ間がある。


 食卓にはお母さんが朝食を用意してくれている。いつものトーストと目玉焼き、そしてオレンジジュース。部活の朝練がある弟はもう家を出ている。


 「ちょっと沙希、何よその耳」

 「うん、なんか朝になったら伸びてた」


 お母さんが怪訝な顔で私の耳を引っ張る。痛い。


 「痛いよ」

 「オモチャかと思った」


 ぴん、と指で弾かれた。痛いっちゅーのに。


 「何かしらね?病院行く?外科なのか耳鼻科なのかも判らんけど」

 「やだよ、皆勤狙ってるんだから」


 急いでトーストを飲み込み、目玉焼きも食べてしまう。オレンジジュースはこの後の歯磨きが変な味になるからやめてって言ってるのにやめてくれない。だけど飲まないと怒られるので、飲む。


 「ごちそうさま」


 食器を流しに運んで、歯を磨きに洗面所へ。さささっと所定の動作を終えて、もう一度鏡を見る。



 やっぱり耳長い。



 「いってきまーす」


 私は元気良く家を出た。容姿も成績も人並みの私なんだから、せめて元気くらいは良く行こう。愛車の自転車、轟天号に乗り込んで力強くペダルを踏み込む。ちなみにこの名前はお父さんが付けた。自転車と言えばこの名前なんだそうだけどよく判らない。だから友達にも教えていない。


 高校の自転車置き場に入るのには、正門からではなく裏門が便利なので、自転車通学の生徒はみんな裏門を使う。これには他にもメリットがあって……生徒会主導の持ち物検査なんかは正門側だけでやっていて、裏門はノーチェックなのです。うひひ。


 まあ持ち物検査なんてたまにしかやってないから、そんなに気にする必要もないけども。





 「竹田沙希。前に出なさい」


 ホームルームが始まってすぐ、担任の倉田緑先生がそう言った。周囲がざわめく。なんだろう、私はゆっくりと席を立ち、教壇へと歩む。


 「どうしたの竹田、先生は君のこと、割と真面目な生徒だと思ってたんだけど」

 「な。何のことでしょう」


 はあ、とため息をついて先生は定規を取り出した。竹で出来た三十センチ定規。先生が小学生の頃から愛用していると自慢していた逸品で、裏には油性マジックで名前が書かれている。


 「ほれ」


 先生は私の耳に定規を当てた。


 「生徒の耳の長さは十二センチまでと校則で決まってるでしょ?二十センチもあるじゃない」

 「えっなにそれ」

 「テストが終わって開放的になるのも判るけどね、これは見過ごせないわ」

 「いや先生ちょっと待って。何その校則」

 「生徒手帳見てみなさい」


 私はだっと自席に戻って、学生鞄から入れっぱなしの生徒手帳を取り出して校則のページをめくる。髪型の次の項目に、耳の長さについての規定があった。



 ふええ何これ知らないよ!?



 「でもでも先生、朝起きたらこうなってたんです!」

 「ふむ、天然ってことか?」

 「ですです先生、ちゃんと感覚もあります。付け耳じゃないです」

 「ふむ?京田、ちょっと引っ張ってみて」


 すぐそこの席に座っている京田さんがおずおずと私の耳をつまみ、そして軽く引っ張る。


 「痛い痛い」

 「ふむ」

 「本物ですってば」


 そう言えば、元々髪が茶色い子はみんな何か申請を出していた気がする。耳もなのかな?


 「ま、天然なら仕方ないな」

 「仕方ないですよね」

 「切ろう。いや、斬ろう」

 「ちょ」


 先生はどこからか枝切りバサミを取り出して、大げさにジョキジョキやる。えっえっなにそれ?


 「たまにいるのよ、こうやって耳伸ばす生徒。我が校のモットーは品格ある人間教育。見た目もちゃんと人間じゃないとね。亜人は対象外」


 にっこり笑いながら、枝切りバサミをチャキチャキやって近づいて来る先生。たまに耳伸ばす生徒って何よそれ?そんな簡単に伸びるものなのこれ?がしっ、と私を後ろから羽交い絞めにする京田さん。ああっ、何これ何これ何これ!


 「ちょっとだけ痛いけど、ちゃんと止血するから大丈夫よ」

 「やだやだやめて離してなんなのこれっ!!」


 私は叫んで暴れて、なんとか脱出しようとする。けれど逃がしてくれない。クラスの皆もただ見ているだけで助けてくれない!あーもうすぐそこまで先生が来てる!!



 どすん。



 鈍い衝撃と共に周囲は暗黒に包まれ、私は自分の体が床に倒れていることに気付く。その床は木製のパネルではなく、じゅうたんだ。教室ではない?この世界の暗黒はなんだろう?いやこれは私が目を閉じているからだ。


 恐る恐る目を開ける。あれっ?ここ私の部屋?


 左腕が痛い。あれっ?私床に寝てる?きょろきょろして状況から色々と推測する。





 ああ、寝ぼけてベッドから落ちたんだ!全部夢だ!




 心底ほっとした。まだ目覚まし時計が鳴る前の、私の部屋。机も本棚もカーテンもタブレットPCも昨日のままだ。まだ心臓がドキドキしてる。あれは夢、全部夢。


 しかし何なのよあの変な夢は。校則で耳の長さとか馬鹿みたい。昨日寝る前に、異世界転生もののアニメ観たから、変な夢を見たのかしら。やだなもうすぐに影響されるなんて、私って単純だ。


 ふと気になって、私は耳に触れてみた。




 あれ?なんか耳、長いんですけど?




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朝起きると、エルフになっていた。 小日向葵 @tsubasa-485

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