結界



「それじゃあ魔術師さん、おいらはここら辺で」


 皇都セーヴィルの南門近くで、レイは商人の馬車を見送った。

 商人は持ち物などの検問に時間がかかるらしく、街へ入るには旅人用の検問所を抜ける方が早いとのことだ。


 馬車が列を成して順番待ちをしている検問所へ向かう商人を見送りながら、荷馬車の中でもらった栞を取り出す。


 本物の蝶を使い作っているとのことだが、鮮やかな赤い羽を携えている蝶を、レイは知らない。


「赤の商人……」


 ボンボルの連れだったというレンカが気にしていたという、謎の商人を思い出す。


「……はっ!まさかな」


 さすがに考えすぎだと自分を笑う。渡されたものが赤い蝶の栞というだけのことだ。繋げるには無理がありすぎる。

 馬鹿な考えを否定して、皇都の検問所に向き直る。


「やっぱり、皇都ってのはここのことだったか」


 目の前には皇都を囲む頑強な砦が聳え立つ。この位置から門を超えた中までは見えないが、その堅牢さから国にとって要の街であるということが容易に想像できた。


 レイは魔力を練り上げ感知を試みる。感知術を得意として扱う魔術師には劣るものの、平均以上の正確さだという自負はある。イスティフの時代で考えてという話ではあるが。


「……相変わらずすっげぇな」


 幼稚な感想であるとは思う。しかしそれ以上の言葉が見つからない。レイの感知の範囲網には、皇都を覆い尽くす、恐ろしく強靭な結界の反応を捕らえていた。


「神聖対魔結果……」


 大陸に三つ存在が確認されている、神話の時代から存在すると言われる強固な結界。その一つは、この首都セーヴィルを守っている。

 イスティフの時代、この結界の中に街は存在していなかった。少数の部族が森へ隠れ住むように細々と生活を営んでいるだけの地域であった。

 しかし、この結界だけは本物だ。瘴気の存在を内にも外からも寄せ付けず、並の魔物なら結界に触れるだけで存在ごと浄化される強力な結界。数多の国を滅ぼすほどの力があるイスティフでさえ、結界の突破は叶わなかった。


「まだ存在してやがったのかよ……」


 忌々しい結界に、不満を垂れる。この結界に拒絶され、イスティフであっても深手を負った。レイにとっては因縁のある代物である。結界の手前で止まり、逡巡する。


(……ん?でも俺はもう今はイスティフじゃねぇよな?この結界も問題なく通れるんじゃね?)


 一見するとなにもない空間、しかしレイの感知には、しっかりと強固な結界の反応を感じ取っている。

 結界の向こうには皇国軍なのか、白い装束に身を包んだ男女が数人、こちらを訝しげに眺めていた。


(よ、よーしいくぞ。こういうのは案外ヒョイって行ったほうが上手くいくよな?ヒョイっだ。ヒョイっ!!)


 レイは左手の人差し指で、結界を感じる場所をツンツンとつつく。結界に弾かれる感覚はない。


「……よーし。——うおらあぁぁぁ!!」


 雄叫びを挙げて前へ跳ぶ。結界に拒絶される感覚も、通過した感覚も何もない。ただあの強固な結界の中に自身の体が入り込んでいることを、レイは感知した。


「……入れた」


 前世のイスティフでさえ突破の叶わなかった結界の中にすんなり入り込めた事実に、感動のような感情が湧いてくる。


「入れたぞ……うおぉぉぉぉ!!」

「……それはよかった、おめでとう」


 湧き上がる興奮を雄叫びへ変えるレイに、男の声がかけられる。

 こちらの様子を伺っていた男女が二人、目の前に立っていた。


「はい!ありがとうございます!」


 称賛に素直に礼を述べると、女の方が呆れたようにため息をついた。


「……君にはこのまま詰所に来てもらう。怪しさ満点だったからな」


 見たところ女は騎士か。二十歳そこらだとは思うが、若い見た目に似合わない厳格な口調で、詰所に誘導される。


「えっ……いや俺、決して怪しいものでは……」

「自分で自分は怪しいなんていうやつなんていない。とりあえず大人しく着いてきてもらおう。抵抗しなければ今ここで危害は加えない」


 どこかで聞いたセリフだ。四人組に拘束された時のことを思い出す。やはりこの二人も皇聖隊に所属する手練なのだろう。戦闘にでもなれば勝てる自信のないレイは、言われた通り大人しく着いていくことに決めた。


「俺違うのに……本当にやましいことなんて考えてなかったのに……」


 両脇を固められ、とぼとぼと南門まで歩く。詰所は、大きく聳え立つ城門の中にあるらしい。


「皇都に来たのは初めてか?」


 男が問いかけてくる。三十も中盤だろうか?薄く髭を蓄えた凛々しい顔つきとローブの上からでも分かる鍛え上げられた体は、一流の戦士のオーラを放っている。


「はい……初めての皇都だというのに、いきなりのこの仕打ち」


 涙を拭うような仕草を見せると、再び女のため息が聞こえてきた。


「仕方ないではないか。あんな怪しい動きをされたらこちらも警戒せざるを得ない。もう一度言うが大人しくしているなら危害は加えない」


 暴れたらボコるとの忠告に、縮み上がったのを感じた。


「……お前、なぜあそこであんな怪しい動きをしていた?」

「……いや、これがあの有名な結界かって」


 男の問いに答える。


「なるほど、結界を感知できるのか。——お前、魔術師か?」

「……そうですけど」

「ほーん。そうかそうか……」


 肯定すると、横からの女の視線がより険しいものとなった。犯罪者を見るような目つきに、自然とレイの視線は男へと流れた。


「黒髪赤眼……平均的な体格の、魔術師……」


 男はぶつぶつと独り言を呟いている。どうやら自分の世界に入っているようだ。邪魔しちゃ悪いと意識を逸らす。


 すぐ目の前に、強固な城門が迫っていた。鉄製の扉を女が押すと、無機質な部屋が姿を現した。


「なんにもねぇ」

「当たり前だ。楽しいおもちゃが転がっている部屋とでも思ってた?君は詳しく話だけ聞かせてくれたらそれでいい」


 どうやらこの女は部屋に負けず劣らず無機質なようだ。きっと彼氏はいない。

 レイの思考が伝わっているはずもないが、女がキッと睨みつけてきた。


(表情は無機質ってわけでもなさそうだな。女の勘ってこえぇ……)


「ではこの椅子に座ってもらえるか」


 男に促されたのは部屋の中央に位置する椅子。机を挟んで向こう側に、男も腰を下ろした。

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ラウナの情景 橋本 かでん @qwermnbv

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