「うぅ……やべぇ……気持ちわりいぃ……」


 人を乗せるには適していない荷馬車の荷台で、レイはいつものように湧き上がる吐き気を抑えていた。


 村人たちのささやかな見送りによって村を出発して数日。商人の馬車に揺られて皇都を目指す旅も、終盤に差し掛かっていた。


「魔術師さん、もう少しなんで、辛抱してくだせぇ」


 商人は言う。皇都にほど近いこの街道は、皇国軍の連中が定期的に整備を行なっているようで、連合国とを繋ぐ街道よりは手入れが行き届いている。

 しかし、交通の量が多い分、多少の凹凸が目立ち、吐くほどまでに激しい揺れでもない振動に、レイは気持ち悪さを募らせていた。


「いっそ、いっそ殺してくれ……」


 やりようのない気持ち悪さに、楽にしてくれと望む。


「すんませんなぁ……こんなオンボロ馬車で……おっ!あんな豪勢な馬車だったら、揺れも感じにくいと思うんですがねぇ」


 商人の謝罪を聞き流し、前方を確認する。紫を基調とした豪華な馬車が見える。屈強な馬を二頭も使って引いているようだ。覇気のない馬一頭で引かれているこちらの馬車とはわけが違う。


「あれが……ブルジョワか……ん?なんか止まってないですか?」

「確かに……どうしたもんですかねぇ」


 どうやら前方の馬車は街道脇に逸れ、立ち往生しているようだ。商人は豪華な馬車の隣につけると、仕立てのいい服を着込んだ御者に声をかける。


「こんなとこでどうかしたんですかねぇ?」

「……あぁ。ほら、あそこ」


 御者はレイたちを一瞥すると、街道の先を指し示す。そこには、大型の魔物が地面に横たわりうるさいイビキをたてていた。トロールだ。どうやらあのトロールのせいで先に進めないらしい。


「これは……近くに皇国軍は?」

「どうやらいないようです。時間になれば警備の軍人が周ってくるでしょうけど、道を塞がれて呼びに行くこともできません。起こしでもしたらなにをされるか分かったもんじゃないですからね」


 商人の御者の会話から、今は警備で周ってくる皇国軍を待っているようだった。


(……仕方ねぇか)


 レイは荷馬車から飛び降りると、屈伸をひとつ体を伸ばす。


「魔術師さん、馬車に戻ってくだせぇ。トロールはちっと危険すぎる。時間になれば警備の軍人が——」

「いつになるか分からないんですよね?ちょっと胃もムカムカしてるしここらで一発ストレス発散してくるんで」


 商人の忠告を聞き流し、前へでる。ぐうすか眠っているトロールが目を覚ます気配はない。


 ムカムカするお腹を摩りながら、魔力を練り上げる。途端に、胃の中から迫り上がってくるものを感じた。


(やッ……ばッ……)


 溢れ出しそうなものを必死に抑え、魔力を解放する。


「〈蒼炎〉!!」


 地表から溢れ出した蒼い炎がトロールを呑み込む。ここまで伝わってくる熱気が収まった頃、先ほどまでトロールが寝ていた場所には、黒焦げの物体が転がっていた。


「おぉ!すっごい!魔術師さん、あんた思ってたより全然……って、うわぁぁぁ」

「……おろろろろろろろろ」


 口から内容物を吐きこぼすレイを見て、商人が悲鳴をあげる。張り切って魔力を練ったら酔いが回る。心のメモ帳に書き記した。


「すんません……うっぷ……限界だったみたいで……」

「いやまぁ……トロールを倒してくれたし全然いいんですがね。——とりあえずこれで問題なく通れますね。魔術師さん、乗ってくだせぇ」


 一度口を濯いだレイはヨロヨロと荷馬車に乗り込み、荷台の後ろから顔を出す。

 呆気に取られている御者に商人が「それじゃ」と、声をかけると、再び馬車は走り出した。


「いや魔術師さん、あんたなかなか腕の立つ使い手だったみてぇですな」


 小さくなっていく紫の馬車を見守っているレイに、商人が話しかけてきた。


「……まぁそれなりっすよ」

「皇都に行ったら軍にでも入隊するんですかい?」

「その予定っすけど、やってけるかなぁ」

「トロールを一発で焼き焦がすほどの魔法がありゃあ、きっと軍でもやっていけますさぁ!」


 商人からの激励を背中に受けると、馬車が大きく上下に揺れた。


「うっっぷ!!」


 跳ね上げられたレイに再び吐き気が襲ってくる。


「すんません。ちょっと大きな窪みがあったみてぇですな」

「うっ……やばい。やばいっす」

「まぁ吐きたきゃ吐いても構わねぇですがね。商品にさえかけなければ……って、魔術師さん、それ落っこちてますぜ」


 商人の指摘に足元を見ると、『アルスリア戦記』が転がっていた。さきほどの衝撃でポーチから飛び出したようだ。


「魔術師さんもそんなもん読むんですねぇ」

「……やっぱ、有名なやつなんですか?」


 飛び出した本をポーチにしまいつつ、吐き気を誤魔化そうと話しかける。


「えぇそりゃあもう。大陸中で読まれてるみてぇですぜ。おいらも昔は母親によく脅されました。いい子にしてねぇとイスティフがやってくるぞって」


 笑いながら話す商人は懐かしい思い出に浸っているらしい。どうやら自分は教育のダシに使われていたようだ。


「そのイスティフってのはこえぇものだったんですかね?」

「ん?そりゃあもう恐怖そのものだったって伝わってますぜ。異形の見た目で理性なんてものはなく、ただ感情のままに大陸中を破壊して周った最悪の魔物だってな。——実在したと言われている魔物の中ではいっちばん強えぇ、魔物の神で『魔神』ってまで呼ばれてますからね」


 なんとなく聞いてみたが、気分の良いものではない。当たり前のことであるとは思うが、ため息が一つ漏れた。


「その本は『アルスリア戦記』の長編ってやつじゃねぇですか?まだ読みかけですかい?」


 読みかけもなにもレイに文字は読めない。少しだけ見栄を張り、読みかけだと答えた。


「そうですかい。それはちょうどよかった。魔術師さんにこれを渡しときますぜ」


 商人は自身の懐を弄ると、一枚の紙切れのようなものを渡してきた。

 手に取るとそれは、赤い蝶を模した形の栞だった。


「……これは?」

「栞ですぜ。読みかけの本があるなら丁度いい。なんでもそこそこ珍しい栞みたいでしてね、その蝶は本物を魔法で加工した作ったみてぇです」

「へぇ……くれるんですか?」

「あぁ、持ってってくだせぇ。魔術師さんが軍で出世でもしたら、おいらのことをたまにでも思い出して贔屓にしてくだせぇよ」


 ものの価値の分かるレイではないが、珍しいものを貰ったとなれば素直に嬉しい。礼を述べ、本に挟み込もうと、もう一度『アルスリア戦記』を取り出す。


「その栞は皇国で少量だけ出回ってるみてぇですが、誰が作ってるかは分かんねぇみてぇです。羽のとこに文字まで刻んで、器用なものですよねぇ」


 本に挟み込む直前、栞にされた蝶の羽を見る。確かに、なにか文字らしきものが刻まれていた。文字の読めないレイには読むことができなかったが、確かにその器用さには感心する。


 小さな文字をじっと眺めていたレイであったが、しばらくすると本に挟み込み、ポーチへと戻した。


 再び荷馬車の後ろから顔を出してみるが、後方に先ほどの紫の馬車の姿は見当たらなかった。


「よし、大丈夫みてぇだな」


 ホッと声を出したレイは大きく息を吸い込み——


「おげえぇぇぇぇぇぇ」


 街道に胃の内容物を吐き散らした。


「はっはっはっ!小せぇ文字を読んで酔いが回りましたかい?」


 なぜか後ろの商人は面白そうに笑っている。今後一切利用してやるものかと決意を固め、レイは皇都まで、快適な馬車旅を続けた。

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