エピローグ

 2023-2024シーズン。ドルフィンズは西地区2位から激闘の末に、僅か0.5ゲーム差で自力で首位を掴み取り、王者・琉球に対して全勝、いわゆる"スイープ"して初の地区優勝の座に輝いた。


 昨シーズンの借りをきちんと返し、日本人選手全員残留の筋を通したというわけである。

 そして、念願だったチャンピオンシップホーム開催の権利を勝ち取り、シーホース三河との愛知ダービーを制して、初のクオーターファイナルを突破、なんとセミファイナルまでドルアリで開催するという偉業を成し遂げた。


 ドルファミの声があれほど大きかったのは、今シーズンだったからではない。

 ドルフィンズの長い歴史の先に今の勝利があるように、僕よりも前にいた歴代のホームMC、サブMC、DJ、ドルファミの礎によって作られた。僕はそこに自分の味を足しただけに過ぎない。


 振り返ってみれば、ここに書ききれないほどの名場面や名言がたくさんあった。

 タクミが「ドルアリでまた会いましょう」とファンに約束し、その通り、有言実行して再びチャンピオンシップでホームに戻ってきた姿は美しかった。

 テンケツが長いリハビリ生活からの復帰戦後、ファンに向けて発した最初の一声が「イエーイ」だけだったのも彼らしくて微笑ましい。

 個人的に忘れられないのは、西地区優勝をアウェイで決めたとき、歓喜で渦巻くSAGAアリーナのロッカールームからスッサンがわざわざ電話してきてくれたことだ。


「クロさん! やりましたよ!」


「おめでとう! バスケットLIVEで観てたよ! てか、何で電話してきたのよ! 今、忙しいでしょうに!」


「何言ってるんすか! だって一緒に戦ってるじゃないですか!」


 渦中にあっても遠くにいる誰かを思う。

 スッサンとはそういう男なのだ。


 シーホース三河戦では、タクミがこぼれ球を拾い、#43イデソンを目にも止まらぬ速さで振り切り、倒れながらレイアップを決めた直後、興奮したタクマが駆け寄って「You're the best point guard!」と叫んだのも良かった。

 なぜ開口一番に英語が出たのか未だに謎なのだが、タクマは相変わらず面白い男だ。

 面白いと言えば、タイトが試合中にコンタクトを落とし、それを広島チームも一緒になって探し、ようやく見つけたと思ったら今度はエサトンが落としてみんなでまたコンタクトを探すことになり、結局その二人が試合のMVPを飾ったのも良き思い出である。


 タッチャンの勇敢なディフェンス。レイのクールさの中にもある熱さ。セイガの野性のようなスピード。ティムのここぞのスリー。トシさん、マナトの精神的支柱。ゴール下無双のスミス。ロボの得点力。そんな先輩たちの背中を間近で見ている未来の種、ユウトとエイタ。

 何の因果か、個性的なメンバーが同時代に集い、歯車がカチッと噛み合って素晴らしい成績を残すことができた。

 音楽でも最高のメンバーと巡り合うことが、まず最初のヒットだ。


 思い出深い試合は挙げたらキリがないけれど、やはり広島と繰り広げたセミファイナル3連戦は忘れられない。

 1勝1敗で迎えた最終日。

 いつも笑顔を絶やさないルージュが、コートに出る前に肩で息をするほど、選手もスタッフも満身創痍の中で戦っていた。

 第三クォーター。タクミが怪我してやむなく戦線離脱した後、それを補って余りあるほどタイトが覚醒し、レイとスッサンのスリーで点差に追いついたのを見て、"誰かのためにチームが一つになったときの強度の高さ"に思わず視界が潤むほどの感動を覚えた。

 勝つことはできなかったけれど、勝ちに匹敵する負け方もあることを知った。


 いつかスッサンと語り合った協調性を持ちながら自己主張していくプロの世界の厳しさ。

 だが、“勝ちたい”という一つの目的さえあればすべては瑣末なことに過ぎないのかもしれない。個人の記録は、あくまでも結果論だ。

 結局、2023-2024シーズンは、ワイルドカードだった広島がそのままチャンピオンシップを制覇した。これもまた出来すぎたシナリオのような話である。



「なんかすっきりしているね」


 試合後、スッサンがわざわざMCの控室に顔出してくれた。

「そうっすかね? でも、地区優勝したときは自然と泣けたのに、今日は試合が終わったあとに不思議と泣けなかったんすよね。なんでだろう……」

 スッサンが履いている青色のバッシュが眩しい。汗をかいていても、まるでサウナ後のような爽やかさだ。

「前に言っていたさ、優勝する前のような、なんかそういう予感って今回は感じてた?」

「うん。ありましたね。アシスタントコーチのヤスとも話したんすけど、なんか感じるよねって。マジで横アリに行くイメージしかなかったっす」

「そうだよね。さっき裏でさ、スタッフが号泣してたよ」


 ファイナルが決まってからホテルの予約や新幹線のチケットを手配していては遅い。スタッフはルージュのスケジュールも含め、数日前から奔走していた。全国にいるBリーグのファンが一斉に横アリに集うからである。関係者であっても、なかなかホテルが押さえられないのだ。

 そんな嬉しい悲鳴を近くで聞いていただけに、今ではそのすべてが無に帰したことがやるせない。


「クロさんたちにも来てもらいたかったです」

「俺もミホちゃんもコースケもシャンパンファイトする気満々だったよ」

 ミホちゃんも横で頷いている。

「ただ、なんて言いますか、これも人生と言うか、なかなか思い通りにいくもんじゃないし、きっとこの経験がまた次のステージに連れて行ってくれるんだと思います。とはいえ、今シーズンはドルフィンズとしていろいろと叶えることができたので、本当にいいシーズンでした。欲を言えば、もうちょっとだけこのメンバーと試合がしたかったですけどね……」

 スッサンはそう言うと、少しだけ俯いてから「じゃ、スタッフにちょっと挨拶してきます」と言って出て行った。

 まさかこれがスッサンのドルフィンズでの最後のゲームになるとは、このときの僕は想像もしていなかった。 


 ***


 2024年8月12日。ドルフィンズ練習場。


「さあ、好きなシロップかけて!」

 ミホちゃんのよく通る声が体育館に響き、コースケが選手たちにスプーンを渡していく。

 陣中見舞いにカジさんに断って三人で即席のかき氷屋台を体育館で開いた。


「イマムラ選手、どうぞこちらへ」練習終わりの隙を見つけて、半ば強引に誘導する。

「初めまして。今シーズンからお世話になります。イマムラです」

 話しにくいかなと思ったら、むしろ礼儀正しくて好青年。物腰も柔らかそうだ。

「どうぞ」ミホちゃんが、かき氷を渡す。

「昨シーズンまで僕のこと嫌いでしたよね」

 いきなり彼がそう言ってきたので、一瞬、どう答えようかと迷っていたら「本当ですよ! またスリーが決められると思ってヒヤヒヤしてたんですから! でも、今シーズンからは心強い味方です」とミホちゃんが返したので、彼も大きく笑った。

 まさか琉球の中心人物がドルフィンズのチームメイトになるとは思わなかった。未だに不思議な感じである。

 沖縄も暑かったけど名古屋も暑いとか、愛犬の話など、たわいない会話が弾む。


「ゼイ! カモン」


 アイザイヤ選手が近くを通ったので声をかけると、ボールを持って駆け寄ってきた。

 笑顔が少年のようだ。

 シロップをたっぷりとかけてカメラに向かってポーズをする。なんと愛嬌のある選手なのだろう。彼は昨シーズンの優勝チーム、広島からドルフィンズにやって来た。

 まさに昨日の敵は今日の友である。


 福島から移籍してきたカトウ選手とも早く話をしてみたかったのだが、ずっとシュート練習をしていてタイミングが見つからない。

 タクミが僕の横で、バスケが好き過ぎて休日もセイガと一緒に1on1をしていると教えてくれた。セイガとカトウ選手は同い年。99年組だ。きっと今シーズンは素晴らしい相乗効果を生み出すに違いない。

 ようやく一段落したみたいで、かき氷を受け取ってくれたのだが、彼はアイザイヤ選手と違ってとてもシャイだ。ドルフィンズのカメラにもちょっと目線を向けたくらいで、そそくさと去っていく。イケメンで真面目。なんだか人気が出そうな匂いがプンプンする。


「スッサン、シーホース三河でキャプテンらしいっす」

 タイトに新キャプテン就任おめでとうと伝えたら、こっそり耳元で教えてくれた。

「そうなんだ……。でも、まあそうだよね。スッサンならそうだと思う。愛知カップますます白熱しそうだね」


 今シーズンは開幕前に、前哨戦としてB1愛知4クラブによるバスケットボール愛知No.1決定戦が行われることになっていた。

 ドルフィンズの初戦は今シーズン移籍したばかりのスッサン率いるシーホース三河。それもホーム、ドルアリで戦うのである。

 スッサンにしてみれば、ほんの数ヶ月前まで心血を注いだコートで仲間やドルファミ相手に別のユニフォームを着て戦うのだ。

 バスケの神様はとことん意地悪である。


「負けらんねぇっす」

 タイトが氷を一気にかき込みすぎて頭を押さえながら言う。

「俺もとても複雑な気持ちだよ。でも、そんなこと言ったらイマムラ選手とか他の移籍組もそうだもんね。ファンは辛いけど、選手にとっては一回しかないバスケ人生だし、決断を応援するしかないよね」


 昨シーズン終了後に、選手やスタッフと過ごした最後の夜を思い出していた。


「常に困難な道を選びたいんです」


 スッサンと二人っきりになったとき、彼が僕にそう言った。


「ずっとそうやって生きてきたし、この決断に至るまで本当に悩んで、何度も迷ったけど。でもドルフィンズで自分が捧げたものはけっこうできたかなと思って。そう思ったときに、まだやれることがたくさんある三河で、もう一度ゼロからやってみることに挑戦してみたくなったんです」

「そうか……」

「仲間と離れるのはもちろん寂しいです。みんなにも何度も引き止められました。でも、安心感のある場所でずっといるより、困難な道を選んだときの方が自分も成長できるんです」


 選手のたった一度しかないバスケキャリアに、僕が言えることは何もない。


「どこに行っても応援するよ。だって家族だもん」

「ありがとうございます」

「スッサンはさ、もしかしたら刺激ジャンキーなのかもしれないね」

「ああ、そうかもしれないっす。逆境の方がグアーって燃える」スッサンが笑う。

「俺もなんかそんなところがあるから、よく分かるよ。ここに自分がいるのもそうだし。最初はすげぇ迷ったけど、今はドルフィンズに来ることができて本当に良かったと思ってる。あのときの決断があったから、こうして多くの仲間やスッサンとも出会えたしね。世界が広がった。受け入れてくれて本当にありがとう。心から感謝してる」

「いえ、でも、移籍するって言っても同じ名古屋なんで。遠くに引っ越すわけじゃないから、クロさん、また飲みましょう!」

 スッサンは最後まで爽やかだった。


 コートにまた目を戻すと、カトウ選手が引き続きシュート練習をしている。イマムラ選手もスリーを打っていた。アイザイヤ選手もペイントエリアから繰り返しシュートを打っている。付き添いのスタッフは選手たちが練習を終えるまで、かき氷を食べることができない。


 年季の入った練習場を見渡す。


 もうここにタッチャン、レイ、ロボ、ソアレス、ジョシュア、スッサンの姿はない。

 そんなことはバスケの世界では、ごまんと繰り返されてきたことであろう。

 ボールがネットを通過する音は、いつ聞いても気持ちがいい。

 これまでここで何度もドルフィンズの選手たちが繰り返し鳴らしたであろうドリブル音やネットを揺らす音が、今、僕にはまた新しいドルフィンズの産声のようにも聞こえた。

 その心強さに、思わず頬が緩む。


『スポーツの感動に勝つ』というのは、うちのマネージャーがエンタメの仕事をしながら掲げている裏テーマだ。僕にもそんな矜持はある。

 しかし選手が命を削って生み出されるスポーツの偶発的なドラマに、エンタメが勝つことはなかなか容易なことではないかもしれない。

 あるいは、そもそも打ち勝つ必要などないのかもしれない。

 スポーツとエンタメが融合したら、もっと最強だ。

 間もなく歓喜に沸くIGアリーナが待っている。その前にやるべきことは山ほどある。

 道は困難な方が面白い。

 ここから一体どんなドルフィンズ劇場が繰り広げられるのか。


 新しい歴史のTip Offが鳴る。



 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Diamond in the rough サミュエル・サトシ @satoshisamuel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ