終章

第45話 浅い眠り

 ナファネスクは重たいまぶたを開けた。なんだか長い間眠っていたような感覚に襲われた。

「ここは――!?」

 そこは静寂に満ちた空間だった。自分以外には何も存在しなかった。人も物も。その空間でナファネスクは宙を浮くようにゆったりと漂っていた。


 おぼろげながら自分の姿を見た。手も足もちゃんとあった。しかも、村を旅立ったときからずっと着ていた豪奢で高貴な衣服も傷一つなかった。

【ようやく目が覚めたようだな】

 突然壊神かいしん竜ゼラムファザードの声が脳に直接響いてきた。

「ゼラム!? 俺は死んだんじゃねぇのか?」

【確かに、お前は死にそうになっていた。それを我が助けたのだ】

「助けた?」


 ナファネスクは正直なところ、あのまま死んでも良かったと思っていた。もし死後の世界があり、そこでカサレラと再会できるのなら。

「ってことは、ここはいったいどこなんだ?」

【時空の歪みによって作られた虚無の空間だ】

「虚無の空間?」

 意味がよく分からなかった。

【そうだ。ここにいれば空腹を感じないし、歳も取らない】

「へぇ、それでどうやって出るんだ?」


【出ようと思えば、我の力ですぐにでも出られる。だが、ヴェラルドゥンガとの戦いで限界を超えるほどの獣気じゅうきを放出したお前は体の内側から深く傷つき、満身創痍の状態だ。見た目では無傷のように見えるが、このまま現実世界に戻ったとしても、まともに歩くことすらできないだろう】

「そうか……なぁ、何で俺を助けたんだ? その理由が知りてぇ」

 少しの間、静寂が訪れた。


【お前は我の無念を晴らしてくれた。その恩に報いるためにも、あのまま死なすわけにはいかなかった】

「恩ねぇ。ゼラム、らしくないこと言うじゃねぇか」

 ナファネスクは軽く笑った。

 ヴェラルドゥンガの話が真実なら、壊神竜は自分が長年抱き続けてきた怨念を晴らすためにナファネスクを利用してきたのだ。それが念願を成就させた途端、手の平を返すようなことをされても迷惑千万な話だ。


【それに、あの少女は普通の人間の死とは異なる。ヴェラルドゥンガの顕現けんげんにより、あの者は魂ごと消滅させられた。お前が死んだところで、あの者と会うことは叶うまい】

 壊神竜はまるでナファネスクの心を読んでいるかのような話しぶりだ。


「なら訊くけどよ。生きる目的を失った俺にこれから何しろって言うんだ? まさか祖国再興とか言わねぇよな?」

【残念だろうが、お前とヴェラルドゥンガが戦った場所は海底へと沈んだ。祖国再興は至難の業だろう。だが、獄淵界ボラドゥーラとの扉はまだ封じられてはいない。現実世界に戻れば、自ずと新たな目的を見出せるはずだ】


「そういうもんかねぇ」

 確かに、獄淵界の扉はどうしても封じなければならない。そのためにまた戦うのも悪くない話だった。


 不意に三年前の、霊峰マハバリ山で壊神竜を魂に宿したときのことを思い出した。

 当時、父親代わりだったエゼルベルクは、冥邪めいじゃどもの存在しない世界を作りたいと宣言していた。


 冥邪天帝はたおしたが、まだ冥邪どもはこの大陸に巣くっている。生きている限り、これから何年かかろうとエゼルベルクの遺志を継ぐべきかもしれない。

 そう考えると、あの頃のように胸が躍動した。こんな俺をカサレラなら「バカなあんたらしい」と受け入れてくれるはずだ。


 この大業を成し遂げるためにも、この旅路で共に戦ってきたオルデンヴァルトやハバムドに加えて、幾度も自分を助けてくれた焔豹ケマールのハクニャの生死の有無が気になった。

 全員がエスカトロン城から無事に脱出し、いつの日か笑顔で再会できることを切に祈るしかなかった。


「なぁ、ゼラム。もしまだ肉体が存在していたら、また冥邪天帝の座を狙っていたか?」

 不意の問いかけに壊神竜はまたもや沈黙した。

【今の我にはもはや昔のような野心はくすぶってない。お前の魂に宿っている間に、我の心は少し変わったのかもしれぬ】

「そうか……」

 その言葉にナファネスクは満足した。


【まずはここでゆっくりと傷を癒せ。それからのことは完治した後で考えればよい。我は常にお前と共にある】

「ああ、そうするよ」

 ナファネスクは、壊神竜の言葉に従うことにした。また瞼を閉じる。


(そう言えば、あの悪夢は正夢ではなかったな)

 一部が海低に沈んだとは言え、渾沌こんとんと自由の大陸バルドラーニアはまだ存在している。夢に現れた初老の男の預言は大きく外れ、この世界は滅びることはなかった。


 そんな下らないことを思い返しながら、ナファネスクは深い眠りに落ちていった。

 次にいつ目覚めるのかは誰にも分からないまま――。

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哭天の魔神 夙夜屍酔 @desconocido

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