取り置き期限

ぽんぽん丸

取り置き期限

私の栄転の1週間前に、最後のメールが届いた。


"スタッフ様の移動に伴い対応が難しくなる旨承知致しました。これまで大変なご迷惑をお掛けいたしました。商品の郵送、買い取り対応、代金の振り込み等のお申し出も痛み要ります。ですがそこまでのご厚意賜るわけにはいきません。長期間に渡りご対応頂いたせめてもの償いとして無償でお引き取り頂きたいです。最後まで私の身勝手にお付き合い頂く形になり誠に恐縮ではございますが何卒宜しくお願いいたします。"


メールボックスを閉じた。


3年店長をしているが腹の出た中年男性にはこの狭いバックヤードは堪える。デスクと呼ぶには小さいPC置きに腰掛けて長く続いた対応の結末を見た。立ち上がり後ろを向く。取り置き商品を持ち上げる。クレジットで支払い済み。注文日は2年前。6万円もする良いリールだ。


しかし私が値段よりも気がかりなのは箱に貼り付けたままのメッセージカードだ。学生の頃から釣り具店で働いてもう12年になるがこういった対応は初めてだった。だからこそお渡しまで対応したかったが叶わなかった。


商品の注文があったその日のうちに注文主から最初のメールがきた。このリールはプレゼントで近々自分ではなく「斎藤」という人が受け取りに来るからメッセージカードを外箱に貼ってほしいという内容だった。私は社内規定を無視して承諾した。このカードはそのやりとりから3日後、商品の店着より早くお店に到着した。


封筒を開けると掌に収まるサイズのメッセージカードとお店へのお願いの手紙、イルカやクジラが描かれた可愛らしいマスキングテープが入っていた。


メッセージカードには細いペンで涼やかにこう書かれていた。


"茹だるような夏の暑さの中で自販機から取り出した炭酸飲料の爽やかな冷たさを味わうように、冬の寒さの中で巡回販売の焼き芋を買って口いっぱいに温もりを頬張るように、難しさの中に見つかる幸せがあると信じているよ。"


同封の私達宛の手紙には丁寧な硬い筆致でお願いが書かれている。


”メッセージカードは商品外箱の一番目立つ場所に同封したマスキングテープで貼り付けてください。マスキングテープの残りはご使用頂くかご処分ください。本来メッセージが見えないように配慮すべきかと思いましたが受取人がずぼらでそういったものを開封しないことが多く、誠に勝手ながら直接貼り付けて頂く形にさせて頂きました。スタッフの皆様にはお目汚し頂いて構いませんが、不特定多数、他のお客様の目に触れると恥ずかしいのでもし可能であれば保存場所にご配慮頂ければ幸いです。様々なわがまま大変申し訳ございませんが何卒よろしくお願いいたします。"


取り寄せ商品が到着した日。臭いのきついアミエビやイソメの作業をその日ばかりは他の人に任せてしまう。すべての仕事を終えて、バックヤードを片付け清掃してからビニール袋に入れて手の届かない高いところに保管していた商品とメッセージカードを取り出した。それからごく簡単な貼り付け作業をどの仕事よりも慎重に丁寧に行って、取り置き棚の最も迅速に手に取ることが出来る場所に安置した。幸いスタッフスペースの奥の取り置き棚には店内からの視線はない。最も重要な仕事の成果であるその姿を私は誰もいないたった1人の店内でにやつきながら眺めた。


それからずっとずぼらな斎藤様の来店を心待ちにするのだった。しかし2年が経ち遂に訪れなかった。


この3年間が実って都会の大きな店舗の店長を任されることになりこの土地を離れてしまう。私の唯一の社内規定違反であるこの取り置き対応をもし次の新しい店長に伝えたなら、きっと二つ返事で引き受けてくれただろう。だけど私はそうしたくなかった。


社内規定に従った月に一度の受け取り催促のメールは私にとって心苦しくはあっても決して嫌な仕事ではなかった。月に一度来る私からの嫌なメールに対して実に丁寧な返事を頂いた。注文主の対応やメッセージカードから感じる人柄が私は好きだった。


またずぼらな斎藤様のことも決して責める気にはならない。注文者がどんな人であってもこうなるべき理由があったのだと思う。


私は長く切なく良い時間を共にした取り置き商品から注文書とメッセージカードを取り外す。注文書をシュレッダーにかけメッセージカードはPC机に置いた。


レジデータの取り置き登録を抹消する。引き取り処理、中古商品登録を済ませる。値札を用意する。バイトの子を呼んで中古棚に並べておいて欲しいとお願いする。


それから私はメッセージカードを手に取った。声に出して読み上げてみようとした。


「店長!」


読めずにバイトの子に邪魔された。


「さっきのリール中内さんが買いたいっておっしゃってますがいいですか?」


彼はレジを通れば販売できることを知っている。わざわざ商品を持ってきてくれた。


「ありがとう。秒だね。ナイス接客、売っちゃって」


狭いこの店でたった一つ許された店長の引き出しを開ける。重要な書類の束の上に置いた可愛らしいマスキングテープだけ出勤に使うリュックに入れた。


メッセージカードをシュレッダーにかけた。

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取り置き期限 ぽんぽん丸 @mukuponpon

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