ギラつく太陽の下で

 シャヘルは突き刺すように言葉を吐きだした。


「昭和二十三年、一月二十六日。帝銀事件」


 こいつはいったい、なにを言いだしている?

 唐突な言葉にアシラは眉根を寄せていた。


 ショウワ。

 テイギン事件……。


 その言葉はあまりにも不吉な響きを放っていた。

 アシラは歯をかみしめる。

 詐欺師の言葉に耳を傾けてはならない。今すぐにでも引き金を引いて、こいつを黙らせなければならない――頭ではそうすべきとわかっていた。それなのにまるで魔法にかかったみたいだ。アシラはシャヘルの言葉に耳を傾けてしまう。


「帝銀事件。僕が過去にいた世界で起きた、痛ましい事件だ。子どもを含む十二人もの人びとが、毒で殺されて金品を奪われた」


 ひと呼吸おいて、シャヘルはつづける。


「それは雪降りつもる、うすら寒い日のできごとだった」


 その瞬間、アシラの脳裏に忌まわしい光景がよみがえる。そうだ、あの日。あの日も雪が降りつもっていた……。


「その日、役人を名乗る男が帝国銀行椎名町支店を訪れた。病気の予防薬だと偽り、人びとに毒を飲ませた。薬で歯を痛めてはいけない……そう言いながら、こうやって」


 と、シャヘルは舌を伸ばして見せる。


「舌の上に薬を垂らし、巻きこむようにして飲むんだと――自分で実演してみせた。それをみんな真似して飲んだ。その奇妙な飲み方が、毒の効果を高めるためだと知りもしないで」


 シャヘルはじっと、アシラの目を見つめながら言った。


「どうかな。君の事件と、そっくりだと思わないか」


 アシラは息をのむ。自分を見つめるシャヘルの瞳。それはまるで、光りを通した氷のようにも見える。透き通っていて、冷たい――アシラは銃を持つ右手を、左手で押さえた。いつの間にか、震えていた。


「僕はね。テベット商会事件のことを聞いたときに、こう思ったんだ――帝銀事件の犯人が、僕と同じようにここウルガの世界に辿りついた。そして、再び犯行を繰りかえしているんだ……ってね」


「でたらめを言うな……ッ!」


 シャヘルは静かに首を振った。


「アシラ。君は犯人が、僕と同じ顔だと言ったね」


 そうだ……それこそがなによりの証拠じゃないか。

 アシラはほとんど縋りつくように、心のなかで叫んでいた。


「でもね、アシラ。それは本当なのかな」


 そう言いながら、シャヘルは手のひらをひらひらとさせた。


「僕の手を見てごらん。君が見た犯人の手は、こんな形をしていたのかな。爪の形は? 指の長さは? 腕の長さは? 足の長さは? 肩幅は? 髪質は? 耳の形は? 話し方は? 姿勢は? 歩き方は? 歩幅は? 食事の好みは? 本当に僕と同じだったのかな。僕は朝起きたら、日差しを浴びながら伸びをする。犯人もそうだったのかな。僕は数字を記録することが好きだ。僕は哲学が好きだ。僕は観劇が好きだ。僕は無能が嫌いだ。僕は心根の醜い者が嫌いだ。僕は他人を利用することは好きだが、利用してくる奴は大嫌いだ。金儲けは好きだ。戦争は嫌いだ。人を騙すのは好きだ。人殺しは嫌いだ……」


 アシラを見るその目は、憐れむような眼差しだった。


「本当に、君が見た犯人と僕は、同じだったのかな」


 足もとが崩れていく……アシラはそんな錯覚を覚えていた。確信だったものが揺らぎ、壊れていく。恐怖が膨れあがる。「あぁ、そうそう」とシャヘルは首もとの黒子ほくろを指さした。「君の見た犯人も、ここに黒子はあったのかな」


 いつの間にか呼吸が荒くなっていた。胃の奥からなにかがこみあげてくる。激しい眩暈。荒々しく呼吸を繰りかえしながら、こいつは悪魔だ……アシラはそう思っていた。言葉で人を飲みこむ悪魔。人をたぶらかし、あざむく悪魔。詐欺の悪魔。悪魔……そうだ、こいつは悪魔なんだ。


 殺さなきゃ……。


 手を震わせながら、アシラは引き金を引こうとした。


「ひとつ!」


 それは唐突に響きわたる声だった。「君に教えたいことがある」シャヘルの声のトーンは、明確に明るいものへと変わっていた。「僕がいた世界には、手品というものがあってね」


 テジナ……?


「そう、手品。見ててごらん。こうやるんだ」

 シャヘルは右手をひるがえす。

「ほら」


 刹那。右手の人差し指と親指の間に、それまでには存在しなかった呪符が翻っていた。アシラは目を見開く。それは災いの神ガシャルの呪符だ。呪符に描かれた真言に光が宿っていく。ガシャルの呪符は、敵対者を粉微塵にする呪いを放つ――。


「しまっ……」アシラはとっさに身を伏せていた。でも、もう間に合わないことはわかっていた。走馬灯のように父と母の顔が想い浮かぶ。呪符が閃光を放ち、アシラは――。


「ドカーンッ!」


 シャヘルが叫んだ。

 床のうえで頭を抱えたまま、アシラは思わず声に出していた。


「……は?」

「はい、没収~」


 いつの間にか、アシラの手から拳銃が奪われていた。アシラは茫然と顔をあげた。そこには、微笑むシャヘルの顔があった。


「形勢逆転。だめだめ、詐欺師の言葉に耳を傾けちゃ」


 そう言いながら、彼はカチャカチャと拳銃をもてあそんでいた。「ブローニング拳銃かぁ、懐かしいね」そして次の瞬間には「もういいや」とアシラに放り投げている。アシラはキツネにつままれたようにそれを受けとった。


「僕を撃ちたければ、お好きにどうぞ」


 ぺたりと座りこむアシラを背に、シャヘルは歩きだす。会議場の窓を開け放ち、真夏の日差しに照らしだされていく。窓の外に身を乗りだす。「ん~」と伸びをする。そうしてなにやら「帝銀事件……帝銀事件……僕と顔が似た男……」とつぶやきはじめる。そして。


「ねぇ!」


 アシラはびくりとした。窓枠にもたれかかりながら、シャヘルがこちらを見つめていた。「思ったんだけど」真夏の太陽を背にして、彼は微笑む。


「君のかたき討ち。僕にも手伝わせてもらえないかなぁ。ふふ、タダでとは言わないよ。なんだか大きなシノギの予感がするんだ」


 その笑顔は、無邪気な少年のようだった。


 あぁ……、とようやくアシラは気がつく。


 違う。違うんだ。

 微笑み方が、あの男とは違う……。


「たぶんだけどさ、君と僕、いい友達になれると思うよ」


 この男を信用してはならない。

 でも。


 その頭上には蒼い空があった。

 ギラつく太陽が輝いていた。

 その光に照らされながら、シャヘルはアシラにむけて手を差しのべていた。

 その光景は鮮烈で、まるで……。


 神殿に描かれた、神の似姿のようだ。


 アシラは、そんなことを思ってしまった。

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異世界アウトサイダーズ しゅげんじゃ @shugenja

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