夜の湖に似ていた

 澄みわたるように空は蒼く、輝く太陽はギラついている。

 風は潮の香りをのせて、ここが海の近くであることを主張していた。

 熱を帯びた、真夏の正午。


 だが……。

 それとは別種の熱が今、キシュ港湾組合の会議場には満ちようとしていた。


「皆さん!」


 上座に立ちながら、大きな声をはりあげているのはシャヘルだ。

 彼は居並ぶお歴々を前にして、快活に話を繰りひろげていく。


「魔王の軍勢をこのキシュの街より追いだしてから、聖月が巡ること九つ。それだけの刻が経ちながら、どうでしょう? この街はわずかなりとも復興したと言えるでしょうか?」


 シャヘルは出席者を見渡す。大地主、豪商、金貸し、神官や貴族の名代代理……どいつもこいつも、いかにもな顔をしている。彼は静かに息を吸いこむ。こうやって間を取ることこそがコツなのだ。そうしておもむろに……。


「答えは、否だ!」


 声をはりあげる。出席者たちが目を見張る。仕掛けは上々。シャヘルはさらに熱量をあげた。


「なぜ復興しないのか。それは足りないからです。そう、足りていない! なにが足りないって? そんなことはわかりきっている。子どもにだってわかる、皆さんにだってわかる。ですよね? 足りないのは……かね。そう、金だ!」


 反応を注意深く見ながら、シャヘルはつづけていく。


「もちろん偉大なる聖上陛下は、そのようなことなどすでにご存じだ。そして海洋通商のかなめたるキシュが機能しないこと、その大きな損失もまた陛下はご神慮深く理解されている。しかし! 魔王との戦いが峻烈を極めている昨今、戦費は増大していくばかり。キシュに回す金などない。ゆえに……」


 地主のひとりが声をあげた。「今回の話につながるというわけかね」……よいね。実によい。練習通りの素晴らしいタイミングだ。シャヘルは溌溂とした笑みを浮かべながら「そのとおり!」声をあげた地主サクラを指さした。


「ゆえに聡慧そうけい比類なき陛下は、慈雨のごとき勅旨を出されたのです……契約神コシャル・ハシスの誓約をほどこした、戦時公債の発行! 利率は聖月が巡るごとに、なんと一割五分。元本はもちろん保証。さらに公債の借入金は街の復興に全額投入される。まさに我々にとって、確実なる商機が訪れたと言えましょう!」


 場がどよめく。熱気が……欲望が渦を巻いている。公債を購入すれば、一割五分という破格の配当が入ってくる。しかも元本保証……帝国という揺るぎない信用のもとに、購入費はいずれ全額返還されるのだ。そして、集まった資金……きっと莫大なものになるだろう……その全てが街の復興に投入されていく。商機はありとあらゆるところに生まれるだろう。儲からないはずがない。


 ここに集められた我利我利亡者がりがりもうじゃどもは当然この話に飛びつく。我先にと公債を買うことになる。無論、すべてが嘘なのだが! シャヘルは静かにほくそ笑んだ。


 さぁ、仕上げといこうか――。


 と、まさにそのときだった。会議場の扉が、唐突に音をたてて開いたのは。

 なんだ……?

 場に微妙な空気が流れた。シャヘルは眉根を寄せて扉の方を見た。真紅の鮮やかな長髪が目に入る――女だ。真夏にもかかわらず、厚手の外套をまとった小柄な女がそこにはいた。女はつかつかと、こちらに向かって歩いてくる。


「なんだ君は……」

 列席者のひとりがそう誰何すいかしたときには、すでに女はシャヘルのそばまで来ていた。シャヘルの傍ら……空いていた椅子を引いて女は座る。足を組み、外套に手を入れる。そして、胸元からなにかを取りだす。

 おやおや……。

 シャヘルは珍しいものを見たかのように目を見開いた。女が手にするそれは……「拳銃じゃないか。実に懐かしいね」女は銃口をシャヘルへと向けた。


「お前に話がある」


 出席者のひとりが激昂する。「おい貴様、失礼ではないかッ!」そういきりたつ出席者を手で制し、シャヘルは「どうかお静かに」と告げた。そして、やれやれだな……とため息をつきながら、女に向かって「抵抗はしないよ」と両手を挙げる。


「皆さん、騒ぐのはやめてください。彼女が手にしているのはケンジュウ。〈まれびと〉が持ちこんだ武器です。離れた場所からでも簡単に人を殺せる、そういう呪具だと思ってください」


 え? 空気が固まった。どこからか小さな悲鳴がした。

 シャヘルは静かに微笑む。


「で、どうすればいいの?」

「全員、外に出せ。お前とふたりきりで話したい」

 シャヘルは出席者に向けてウィンクをした。

「だ、そうですよ」


 そう言った瞬間だった。キシュの上級市民エスタブリッシュメントたちは慌てふためき逃げだしている。転げるように出ていく彼らを見ながら、シャヘルは肩を震わせ笑った。


「あはは、まるで道化。程度の低い喜劇!」

「……動くな」

 女があらためて拳銃を突きつける。

「へいへい」


 そう返しながらも、シャヘルは女のことをつぶさに観察している。暗く影のある眼差し。頬には引き攣れた大きな傷跡。腕にも無数の傷が見える。おそらく全身にも。相当な修羅場を潜りぬけてきた証だ。そして……。


「大人びて見えるけど、ほんとは十四歳ぐらいだね。お嬢さん」


 女は……少女は何も答えない。

 ただ暗く冷たく座った目で、シャヘルのことを見つめているだけだった。


 図星かな……。「座っていい?」そう言いながら、シャヘルは足で椅子を引きよせ、少女の許可も取らずにさっさと座った。無論、両手は挙げたままだ。そうしてふたりは向きあう形となった。


「さて……お望み通りだけど?」

 少女が口を開いた。


「シャヘル……全名はシャヘル・サレム。年齢不詳。ここキシュでは、帝都から派遣された行政官と名乗っている」

「ほぅ……?」

 少女の声音は低く、淡々としながらも異様な迫力をともなっていた。


「だが、そのような行政官など実在しない。シャヘルも偽名だ。そして以前、帝都イブラではチャクエクという別の名を使っていた」

「……すごい。よく調べてあるね」

 シャヘルは感心したように片眉をあげてみせる。


「帝都でもお前はここと同じようなことをやっていたな……〈まれびと〉どもからお前の手口についてちゃんと教わっている。投資詐欺ポンジ・スキーム、と言うのだろう? ありもしない儲け話に投資を募り、しばらくは高額の配当をつづける。そうやって利益が出る投資だと評判を呼んで、さらなる投資の呼び水とする……だが本当は利益など出ていない。投資で集めた金の一部を、配当として横流ししているのが実態だ。そしてほとんどの金は、お前の懐に消えていく。そして充分に金が集まったら、ころあいを見て姿を消す……」


「おおー、すごいね。よく勉強している!」


「だがポンジ・スキームをやるには前提がある。お前に金を出しても貸し倒れしない……そう思わせるだけの信用力が必要だ」

「うん、そうだね」

「だからお前は……」


 少女の瞳に殺気がこもった。


「お前自身が潤沢な資金を持っている、そう思わせるためのを必要としていた」

「うむ……?」


 なにやら雲行きが怪しい。


「……〈テベット商会事件〉を知ってるか?」


 シャヘルは小首をかしげてみせる。そして、なにかを思いだしたように「あぁ~」と声をあげた。


「あったね、そういう残忍な事件が。僕が帝都でチャクエクと名乗っていたころ……たしか、年神を五柱ほどさかのぼる、それぐらい前の話だったかな」

「そのとき、お前はテベット商会にいたはずだ」

「違うよ」


 シャヘルがそう答えるのとほぼ同時だった。

 少女の椅子が転げ、派手な音を立てた。少女は立ちあがっていた。


「しらばっくれるな……ッ」


 頭蓋に冷たい金属の感触。

 少女は銃口を、シャヘルの額に押しあてていた。


「忘れもしない……忘れるわけもない。お前のその顔を。日焼けで誤魔化そうとしても無駄だ。顔のつくり、目つき、鼻の形……そのすべてが忌々しく焼きついている。みんなを殺した最低最悪の人非人にんぴにん……お前だよ、シャヘル」


 少女は、ささいなきっかけで引き金を引く――そういう実感があった。死が間違いなくそこにあった。久しぶりの感覚だな……シャヘルはそう思った。


「そうか。あの事件では生存者がひとりだけいたね。たしか、その生存者の名はアシラ……それが、君なんだね」

「そうだ」

 少女の……アシラの拳銃を握る手に、力がこもるのがわかる。


「あのときの小娘が、今日、お前を殺しに来た」


 シャヘルはため息をついた。

「なるほどね。でも、誤解だよ。さっきも言った通り、テベット商会事件が起きたときに僕はそこにはいなかった。僕はね……アルシャク大公家の別邸にいたんだよ」


 アルシャク大公家――その言葉に、アシラの眉根が動いた。


「そこで今日と同じようにお仕事してたのさ。結果はどうなったか……もちろん僕の大勝利だ」


 シャヘルはへらへらと笑って見せる。


「君も知ってるだろうけど。アルシャク家と言えば、ウルガ随一の大貴族だ。僕のような〈まれびと〉に騙されたとあっては、彼らの沽券にかかわるのだろうね。だからあの日のことは無かったことにされているんだ。表沙汰にはなることはないだろうよ。でもね、アシラ。君の調査能力はすばらしい。きっとこの件についても、簡単に裏を取ることができるだろうね。それで僕も無罪放免だ」


「……そうか」アシラは淡々と応じた。


「お前が言っていることが正しいのか。ひとまずお前を殺してから考えるとしよう」


 引き金に添えた指が今にも動こうとしている――。アシラの瞳をじっと見つめる。そこには殺意と、冷たい闇がひろがっている。それは夜の湖にも似ていた。だが、その奥底には悲しみが……慟哭が満ちているのだと……シャヘルにはよくわかった。


 だから、シャヘルは笑みを止めた。


 静かに息を吐く。

 まっすぐにアシラの瞳を見つめたまま、突き刺すように言葉を吐きだす。


「昭和二十三年、一月二十六日」

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